昭和10年代から終戦までの駅舎(2) - 駅と駅舎の旅写真館



ときわ台駅 (東武鉄道・東上線)~開業時の姿が再現された東京23区内のレトロ駅舎~

東武鉄道東上線・ときわ台駅、昭和10年開業時の姿が再現された駅舎

ときわ台駅は1935年(昭和10年)の開業。開業当時は武蔵常盤台駅という駅名だったが、1951年(昭和26年)に現在の駅名に改称された。駅舎は開業以来の洋風駅舎だ。使い込まれた大谷石の壁、青いスペイン瓦の屋根、改札ホールの高い天井、破風板の波線と玉の文様など、洋風の造りが素晴らしい駅舎だ。

来宮駅 (JR東日本・伊東線)~行楽ムード漂う洒落た洋風木造駅舎~

JR東日本伊東線・来宮駅、南欧風の洋風木造駅舎

駅開業の1935年(昭和10年)築の木造駅舎が残る。スペインなど欧州を思わせるオレンジ色の屋根瓦、車寄せや窓周りの装飾など、リゾート地の別荘のような佇まいが印象深い洋風木造駅舎だ。伊豆多賀駅や網代駅など伊東線の駅舎は…

神志山駅(JR東海・紀勢本線)~古民家風のユニークな木造駅舎~

JR東海・紀勢本線・神志山駅、昭和14年築の木造駅舎

乗ってきた普通列車と上りの特急南紀が発車し景色が開けると、プラットホームが意外と短い事に気づいた。旧国鉄の「本線」と名のつく路線の駅は、とても長いプラットホームを持っている事が多い。半世紀以上前の鉄道全盛期の頃…

桃山駅 (JR西日本・奈良線)~明治天皇の大喪列車を受け入れた由緒ある駅の今~

JR奈良線・桃山駅、改修された木造駅舎に古い上屋が風格を添える。

京都駅からJR奈良線の普通列車に乗った。車内は地元民よりも、色々な国の人が目立ち混み合っていた。外国人観光客が急増する京都を象徴するような風景に身を置き列車に揺られた。伏見稲荷の最寄りの稲荷駅で大量の観光客が下車すると、二駅で桃山駅だ…

玉江駅 (JR西日本・山陰本線)~実は洋風の小洒落た木造駅舎~

山陰本線、萩市内の駅・玉江駅のモダンな木造駅舎

山口市から流れて来た阿武川は日本海に注ぐ直前、松本川と橋本川に分岐する。2本の川を濠にしたかのように、その内側に三角州が形成され、毛利氏が治める長州藩の城下町として発展し、幕末には吉田松陰や高杉晋作など幕末の志士を輩出した…

肥前長野駅(JR九州・筑肥線)~廃虚のようなオンボロ駅舎の10年後~

JR筑肥線・肥前長野駅の木造駅舎、ホーム側

2005年に初めて肥前長野駅を訪れてから10年の歳月が過ぎた。駅開業の1935年(昭和10年)3月1日以来の木造駅舎が残るが、初めて見た時、廃虚のような荒廃振りに大きな衝撃を受けたものだ。待合室は廃品が占拠し、旧駅事務室にも廃品がごちゃごちゃに置かれ、待合室以上に荒れていたものだ。

道後山駅 (JR西日本・芸備線)~昭和モダンな木造駅舎がある秘境駅~

JR西日本・芸備線・道後山駅、モルタルの木造駅舎

早朝、備後落合駅から新見行きの芸備線普通列車に乗った。乗客は私だけだった。備後落合駅から一駅、6時55分に道後山駅に到着した。運賃を払い降りようとすると、運転手さんに「午後まで列車無いんですけど…」と申し訳無さそうに言われた…

三河線・高浜港駅~また消えゆく名鉄の木造駅舎~

名鉄三河線・高浜港駅、昭和15年築の木造駅舎

名鉄三河線、高浜港駅の木造駅舎が2014年度中にも取り壊されるというニュースに接した。思えば2000年以降、木造駅舎など名鉄の古駅舎はばったばったと次々となぎ倒されていくかの如く、取り壊されていったものだ。その理由の一つが駅集中管理システム導入にあわせた老朽駅舎の改築だ…

日中線・熱塩駅~廃線後も日中線記念館として保存された洋風駅舎~

国鉄日中線・熱塩駅'(現・日中線記念館)。昭和13年築の洋風木造駅舎

1984年の廃線後も日中線記念館として駅舎が保存されている国鉄日中線の終着駅・熱塩駅を訪ねたいと思った。しかし日中線代替バスさえも2012年に廃止され、今では喜多方市が運営する予約制乗り合いタクシー、デマンドタクシーが代替となっている…

曽根田駅(福島交通・飯坂線)~運良く生き長らえている木造駅舎~

福島交通・飯坂線・曽根田駅、昭和17年築の木造駅舎

福島駅から1駅、福島交通(飯坂電車)の曽根田駅で下車した。普通の3分の、あるいは4分の1程度しかない狭い島式ホームだ。駅構内の真横をJR東北本線の列車が行き来する。福島駅までの距離は0.6kmで、福島駅に着いた時は、飯坂温泉行きの列車が出てしまった直後で…