信濃川田駅 (長野電鉄・屋代線)~木造駅舎の旅~



古色蒼然とした木造駅舎が残る駅

 長野電鉄の駅をいくつか巡った後、夕方に屋代線の信濃川田駅に降り立った。

長野電鉄・屋代線・信濃川田駅、満開の桜と駅名標

 桜が散り始める頃だが、2番ホーム待合室横の年季が入った桜の木は、まだ奇麗に花を咲かせていた。

長野電鉄・屋代線・信濃川田駅、石積みホームと木造駅舎

 信濃川田駅の駅舎をプラットホーム側から眺めた。漆喰や木の古びた質感が味わい深く感じられる駅舎だ。ただ、それ程丹念に手入れはされていないようで、トタンの屋根は錆び気味で、赤茶けた色をしていた。石積みのプラットホームも味わい深い。

長野電鉄・屋代線・信濃川田駅、須坂方の側線ホーム跡

 構内踏切を渡ると、須坂方には貨物取り扱い用の側線が残されていた。現在では長野電鉄の廃車体の解体が、この側線で行われているという。天に召される前、最後にその身を休める地…、といった感じだろうか?

長野電鉄・屋代線・信濃川田駅、枯池

 1番ホーム構内踏切近くには、枯池の痕跡が残されていた。池の底がの一部が、更に円形に掘り下げられていたが、そこには何があったのだろうか?今ではゴミと雨水が溜まっているだけだが、駅員さんがいた頃は、丹念に手入れされ植栽も豊かに植えられていたのだろう…。

長野電鉄・屋代線・信濃川田駅、駅舎ホーム側

 駅舎をより眼前にすると、やはり丹念に手入れはされていないと感じだ。窓は板で塞がれ、漆喰は薄汚れ、木は古びている。だけど、新建材などでリニューアルされた駅舎とは全く違い、使い込まれた木造駅舎らしい味を感じさせる。とうに無人駅となってい。しかし塞がれた窓の間に「駅長の許可の無いものの入室を禁ずる」という木の札がついたままだった。

長野電鉄・屋代線・信濃川田駅、古色蒼然とした木造駅舎

 信濃川田駅に残る木造駅舎は、回廊のように軒を巡らせた標準的な外観と言えるが、漆喰の壁面が目立つのが印象的だ。駅は1922年(大正11年)6月10日で、前身の河東鉄道が開業させた。その頃は、まだ町川田駅という駅名だったが、一年もたたない翌年の3月12日に信濃川田に改名された。

 人気(ひとけ)は少なくしばらく列車は来ないが、親子が待合室で手持ち無沙汰そうに過ごしている。狭い待合室で、知らない人と待つというのも何なので、しばらく入るのを控えた。

長野電鉄・屋代線・信濃川田駅の木造駅舎、待合室

 しばらくすると先程の親子は駅前に来たバスに乗っていった。この駅舎はバス待合室的にも使われているようだ。

 そして、ようやく駅舎内待合室に入る事ができた。内部も大きく改装はされていない様子で、ただ朽ちてゆくままにという感じだ。汚れた漆喰と木の質感が外観以上に古色蒼然とした空気を放つ。

長野電鉄・屋代線・信濃川田駅の木造駅舎、窓口跡(2009年)

 とは言え、窓口はカウンターだ取り払われ窓は塞がれているが、木が露な様に魅かれる。これで窓口がほぼ完全な形で残っていたら非常に趣き深い雰囲気を放っていた事だろう。

長野電鉄・屋代線・信濃川田駅の木造駅舎、窓口跡(2005年)

 この駅には2005年の1月以来、2回目の訪問で、その時の写真を引っ張り出してみた。当時も無人駅だったが、窓口跡はまだ窓口らしい形状を残していて、手小荷物窓口のカウンターも、一部が残っていた。

長野電鉄・屋代線・信濃川田駅の木造駅舎、待合室の時刻表跡

 改札口付近上部には古い時刻表の跡があったが、ご丁寧に紙が貼られ塞がれていた。木枠で作られ相当古いものと察せられる。紙をはがしてどうなっているか見てみたい衝動に駆られた・・・。箱のような形状をしているので、もしかしたら行灯みたいに電気が灯ったのかもしれない。

長野電鉄・屋代線・信濃川田駅、屋代方の側線ホーム跡

 屋代方にも側線跡があった。前回は雪が積もっていたため、構内の様子を窺い知る事ができなかったが、構内がこんなに広いとは思わなかった。列車交換ができる2面2線の駅で、2方向に側線があり、ローカル線にしてはなかなかの規模の駅だろう。

 通称・木島線と呼ばれた木島‐信州中野間、現在は長野線の信州中野‐須坂間、そして屋代線の須坂‐屋代間を通して、かつて正式には河東線という路線名称だった。こんなに広い構内施設を有するとは、貨物の取り扱いや保線の拠点などで、信濃川田駅は河東線の重要な駅の一つだったのかもしれない。

 2002年河東線の通称・木島線区間が廃止されると、運行の実態に合わせ、長野-湯田中間で長野線、須坂-屋代間で屋代線と線名が変更された。

長野電鉄・屋代線・信濃川田駅、保線員詰所跡

 屋代方の構内隅には鉄道員用の詰所跡、もしくは駅員宿泊施設跡と思われる木造の建物が残されていた。長野電鉄の木造駅舎には、古い詰所が残っている駅が目に付いたが、一部の駅を除きまともに使われている様子は感じられなかった。

[2009年(平成21年) 4月訪問](長野県長野市)

追記: その後の信濃川田駅

 2012年(平成24年)4月1日、屋代線廃線により、信濃川田駅も廃駅となった。しかし駅舎はバス待合所として利用されているとの事。

 また構内には、自社発注の生え抜き車両のモ604、2000系をはじめ、長野電鉄で使われていた車両が何両も搬入されているとの事。「屋代線トレインメモリアルパーク」として車両を保存し展示する構想があるが、搬入されただけで、特に整備はされていないようで、保存と言うより放置のような状態にあるという。

 搬入された車両は譲渡されたり、解体されるなどして、4両が残った。しかし、アスベストを使った車両がある事が判明し、維持費用の問題もあり、残ったモハ1000形と2000系A編成も2019年2月までに解体された。