名鉄(1) - 駅と駅舎の旅写真館

名古屋鉄道の印象的な駅をめぐる鉄道の旅。
末端区間の廃止が進んだが、それでも愛知県を中心に、岐阜県南部も含め、総距離444.2kmを誇る大手私鉄。21世紀になり、古い駅舎の建て替えが更に進んだ感があるのが残念だが、名古屋都市圏の都市型路線から、ローカル線ムードが漂う末端路線など、多彩な魅力を持つ。



吉良吉田駅(名鉄西尾線・蒲郡線)~三線交わった分岐駅に佇む小さな木造駅舎~

名鉄西尾線・蒲郡線・吉良吉田駅、改修されているが古い木造駅舎が残る

西尾線の列車に乗り終点の吉良吉田駅へ。蒲郡線との接続駅で、かつては三河線とも繋がっていたが、2004年に海線と称された区間が廃線。3線のちょうど合流点にある吉良吉田駅の敷地は三角状。ゆとりある敷地は乗換え通路として機能し、庭園風の一角には金魚が泳ぐ小さな池もあった…

富貴駅(河和線・知多新線)~名鉄では本当に貴重な素朴な木造駅舎~

名鉄・富貴駅の木造駅舎、堂々たる造りの車寄せ

私が駅巡りを始めた頃2000年代の前半、営業距離が長く末端にローカル線を多く抱えていた名鉄には、まだ古駅舎が多く残っていた。しかしこの20年ですっかり数を減らしたもの。そんな中、河和線と知多新線の分岐駅である富貴駅では、まだ古い木造駅舎が現役だ…

三河線・高浜港駅~また消えゆく名鉄の木造駅舎~

名鉄三河線・高浜港駅、昭和15年築の木造駅舎

名鉄三河線、高浜港駅の木造駅舎が2014年度中にも取り壊されるというニュースに接した。思えば2000年以降、木造駅舎など名鉄の古駅舎はばったばったと次々となぎ倒されていくかの如く、取り壊されていったものだ。その理由の一つが駅集中管理システム導入にあわせた老朽駅舎の改築だ…

西幡豆駅(名鉄蒲郡線)~名鉄のローカル線、小さな木造駅舎~

名鉄蒲郡線・西幡豆駅、小さな木造駅舎が残る

蒲郡線で古い木造駅舎が残る西幡豆駅で降りた。小さくほぼ箱状の単純な造りながら片流れの屋根になっていて目を引く。近年、名鉄では無人駅など末端部の小駅にも駅集中管理システム導入を進めていて、それに伴い古い駅舎の多くが取り壊されてきた。しかし蒲郡線では導入の予定も無いという…

名鉄名古屋駅の新聞輸送風景

名鉄名古屋駅、列車への新聞積み込み作業

名鉄名古屋駅で島式プラットホームに降り、乗客が下車したのと入れ違いに、外に立っていた人達が、いきなりダッシュするように動き出した。その人達は、ビニールに包まれた新聞の束を、車内の扉横のスペースに、何かに追われているかの如く、凄まじい早さと勢いで、どんどん積み上げていく…

平池駅跡~名鉄瀬戸線の廃駅跡~

名鉄瀬戸線の廃駅・平池駅跡、駅舎があった下りホーム沿いの畑

名鉄瀬戸線・尾張旭‐三郷間にかつて平池という駅があった。こちらも霞ヶ丘駅、笠寺道駅などと同様、1944年(昭和19年)に休止になり、1969年(昭和44年)4月5日に廃止になった駅だ。駅名の由来になったのが、平池駅の北西にあった平池という池だろう…

笠寺道駅跡~名鉄瀬戸線の廃駅跡(2)~

名鉄瀬戸線、廃駅後40年過ても残る笠寺道駅駅舎。住居に転用

中日新聞の連載記事「街道を行く」に、名鉄瀬戸線の廃駅、笠寺道(かさでらみち)駅跡が取り上げられた。名古屋市北部の守山区、現在の瓢箪山(ひょうたんやま)‐小幡間にあった駅で、1944年(昭和19年)に営業休止となり、再開される事無く、1969年(昭和44年)4月5日、正式に廃駅になった…

飯田線の異空間!? 下地駅と船町駅~豊橋駅の次の駅とその次の駅~

JR飯田線の下地駅を通過する!?名鉄名古屋本線の列車

飯田線は愛知県第2の都市・豊橋から、自然豊かな奥三河、木曽山脈、伊那山地の山々の間を縫うように走りながら、長野県の辰野に至る195.8kmのローカル線で、全線がJR東海に属している。そんな長大ローカル線、飯田線の始発の豊橋駅を出ると船町駅、その次に下地駅がある…

奥町駅 (名鉄・尾西線)~丸ポスト映える大正の木造駅舎~

名鉄尾西線・奥町駅、大正築の木造駅舎

愛知県西部を縦走する名鉄・尾西線、弥富-玉ノ井間は、運行上、新一宮駅(現・名鉄一宮駅)が境となっていて、実質的に別路線となっていると言えるだろう。1番ホーム北側に停車している玉ノ井行きの列車に乗ると、5分ちょっとで、目的の奥町駅に到着した…

霞ヶ丘駅跡~名鉄瀬戸線の廃駅跡(1)~

名鉄瀬戸線の廃駅、霞ヶ丘駅のプラットホーム跡を列車が通過

名鉄瀬戸線の霞ヶ丘駅は、現在の大森・金城学院前駅と印場駅の間にあった駅だ。1927年(昭和2年)の開業で、1944年(昭和19年)年に休止となった。そして、2度と復活する事無く、1969年(昭和44年)に正式に廃止となった。印場駅で下車し、出来るだけ線路沿いに栄の方に向けて歩き始めた…