思い出深きレトロ駅舎

ひときわ大仰な木造駅舎が残っていた奥羽本線の神町駅。戦後、この駅に連合軍鉄道運輸司令部事務所(RTO)が置かれたため、その機能に応える駅舎が1947年(昭和22年)に建てられた。2階建てに見える駅舎は平屋で、吹き抜けで天井がやたらと高いのはアメリカ風。いかにも占領軍仕様と言った造りだ。
この占領期の面影を残す個性的でレトロな駅舎が大好きで、何度も訪れたもの。
しかしそんな駅舎も遂に取り壊される時がやってきた。2017年9月28日を最後に使用停止、戦後から70年の歴史に終止符が打たれた。
責めて最後の姿を焼き付けたいと、使用停止から数日後の10月のある日、日帰りで愛知県から飛行機で訪れた。

「旧」となったあの駅舎は、仮設の壁や柵で囲われ取り壊し工事に入っていた。だけど、外観は概ね姿を留めていた。そこにあるのにもう入れないのをもどかしく思いながら、旧駅舎での最後の時を過ごした。
それから約半年後の2018年2月23日、新駅舎が供用開始となった。聞くところによると、新駅舎は旧駅舎の特徴的な部分を取り入れたデザインという。
すっかり変わった風景
2024年(令和5年)6月、山形に行く機会があり、久しぶりに神町駅に行ってみようと思った。

下り列車で到着し神町駅に降り立つと
「うわっ!空が広い…」
と驚かされた。やたらと天井が高く壁のようにそびえていたあの駅舎が無くなった事を実感させられた。知ってはいたけど寂しいもの…。神町駅じゃない所にいる感覚に包まれた。

山形新幹線の新庄延伸の際に廃された反対ホームは、架線柱の土台のように遺構が一部残っている。これは私が初めて訪れた時のまま。

自動券売機は、駅舎の中にではなくホーム上に設置されていた。

駅舎を通りぬけ周囲を眺めると、左手前方にあるはずの駅前旅館が見当たらなかった。
「あれ!??もうちょっと左側だったっけ?」
と思い、もう一度見てみたら無かった。
改めて思い直すと、雑草が生えた空地…、そこが旅館の跡だろう。どうやら廃業し、その後建物も取り壊してしまったらしい。変わりゆく神町駅に戸惑いを覚えずにはいられなかった。
ありふれた民家のような佇まいの旅館は、昔ながらの庶民的な駅前旅館の風情で、いつか泊まってみたいと思ったもの。
2010年の夏、2回目に訪問した時、打ち水に出ていた女将さんと話しになり、そこにあった駅構内の池のある廃れた和風庭園について
「私が嫁いできた頃はきれいだった…」
と話されていたものだった。
どこか懐かしいデザインの新しい簡易駅舎は
新駅舎を見てみた。

大きなあの駅舎の6分の1…、いや8分の1だろうか…?建替えられた駅舎は、以前を思うと、とにかく小さくなった。待合室の機能だけの簡易駅舎と呼べるものだ。隣に取り付けられている建物はトイレだ。
昔は有人駅で一通りの機能を備えた立派な駅舎があったが、衰退し無人駅となった後、駅舎が改築されると、簡素で小さな駅舎になるのはありがちで、まるで風景が一変したかのような驚きを覚えるもの。
しかし、タクシーは以前とだいたい同じ位置で客待ちしていて、どこか懐かしさ感じる。そしてちっぽけな駅舎自体も、旧駅舎の記憶を呼び覚ますようなデザインだった。

正面から見て、新駅舎は床面積に対し背が高く、左から右に下がる片流れの屋根を持つ。片流れの屋根にやたらと背の高い造り…、旧駅舎外観の基本にして特徴的な造りだった。旧駅舎は正面からホームにかけて低くなっていたので、新駅舎では90度左に回転させられた格好だ。

そして出入口上部に「JIMMACHI STATION」と大きく掲げられた駅名表記。緑色で丸文字調のローマ字が一字ずつ取り付けられているのは、旧駅舎の表記そのもの。日本人ではなく、外国人向けの表記だったのだろう。

片流れ屋根の高い方は、2階建て近い高さがあり狭い床面積たいしてかなり高い。屋根裏部屋が造れそうだ。
駅舎左側面の縦長の窓は、旧駅舎の出入口上部の窓をイメージしたのか…?そして正面左側にある窓のダイヤ状の格子は、旧駅舎左側のあのローマ字の駅名表記下の窓を塞いでいた板がすぐに思い浮かんだ。記憶の彼方の過去と目の前の現在が交錯する不思議な感覚…

駅舎内部には飲料の自動販売機があり、通路を挟んで待合室がある。待合室のガラス扉には、さくらんぼが名物の東根市らしく、さくらんぼのイラストがあしらわれていた。昨日、山形空港に着いてロビーに出た時、キャンペーンで東根産のさくらんぼをもらったなあ。

待合室の扉を開けると、2本の幾何学模様の装飾が床から高い天井に昇るように伸びていた。
「ああっ!これは…!!」
旧駅舎のコンコースにあった柱だ。
旧駅舎では切符売場や待合室に面したコンコースに、長い一本の柱があった。柱自体はたぶんコンクリートの四角柱なのだろうけど、幾何学模様に彫り込まれた木の長細い板に覆われ、武骨な駅舎にデザイン性を感じさせたもの。
叩いてみると、確かに木の感触がした。

ダイヤ模様をアレンジしたような幾何学模様は、まさに旧駅舎と同じ。この部分のみ、旧駅舎の部材を使い継いでいるのだろう。
小さな簡易駅舎に、旧駅舎の味わいを注ぎ込まれ、部材さえも受け継いだ。、今、時を刻んでいる駅舎は、想像を何倍も越えるユニークな駅舎だった。
[2024年(令和5年)6月訪問](山形県東根市)