昭和のような空気感に迎えられ…
山陰本線・湖山駅から折りたたみ自転車を漕ぎ、宝木駅(ほうぎえき)を目指した。

日本海側に出て坂を超えると、行く先に街並を見下ろした。目的の宝木駅はあの中だ。

無人駅となった駅で、寂れどれだけひっそりした所にあるのかと想像していたが、坂を下ると、家屋などが密集する懐かしい雰囲気の街並があった。古くからの街なのだろう。これなら、かつて駅に銀行が入居していたのも納得だ。
そして宝木駅に到着。駅前の駐輪場に自転車を停めた。
近くのスピーカーからは流れる曲は何故かド演歌。そして駅舎の軒下には、飲料を持ちながら気だるそうに座るた一人のおじいさんがいた。酔っ払い…!? 昔の地方の駅には酔っ払いがよくいたものだが、令和になってまでいるのか…。しかも静かな駅前に流れる演歌が不思議な時代感を掻き立てる。
駅舎前景を撮影したいが、とりあえず他の部分から見る事にしよう。

旧駅事務室には2018年7月までは銀行が入居していた。銀行の撤退は4年前だが、その痕跡はよく残る。窓は格子で覆われ、ガラスの扉は内側が更にシャッターで覆われるなど、多額のお金を取り扱っていたためガードは他の駅より固めだ。

駅構内の鳥取方面には側線ホーム跡が残っていた。2線分と広さがあり、1線はいまだにレールが残る。宝木駅での貨物の取り扱いが廃止されたのが半世紀も前の1970年。敷かれたままのレールは錆び付き、ホームの石積みは風化し遺跡のよう。長い年月を感じさせる。

1番ホームはゆったりとした幅がある。この辺りは2004年、鳥取市に合併される前は気高町で、更に前の1955年までは宝木村という自治体だった。本線の駅で村の玄関口の駅の風情をいまだ残しているかのようなゆとりだ。
ちょうど鳥取行きの普通列車が入線してきた。山陰でよく見る古参の国鉄型キハ40ではなく、新しいキハ121だった。
取り壊される方向の木造駅舎
あの男性がいつの間にか立ち去っていたので、駅舎をじっくり堪能しよう。

駅舎は新建材の外観で、旧駅事務室に銀行が入居していたため新築のようで、古き良き味わいは今一つ。しかし軒が取り囲む造りが、古い木造駅舎らしい端正さを残している。
宝木駅の開業は1907年(明治40年)4月28日。この駅舎はいつ建てられたのかはっきりしないが、かなり古いのだろう。
木造駅舎など山陰地方の古駅舎は、近年、簡易駅舎への建て替えがが進んでいる。鳥取県内では、山陰本線5駅、因美線4駅で「駅舎のシンプル化」の方針が公表された。乗降客数一日3000人未満で、築60年が過ぎた駅舎が対象だ。一日の乗客数130人程度、銀行が撤退した宝木駅舎もその一つ。地元も乗降客の利便性を損なわない程度のシンプル化は止む無しとの考えだ。
取り壊し時期は今の所未定で、シンプル化対象の駅が順番に15年以内に建て替えられていくという。

外観のほとんどは改修されたとは言え、軒を支える木の柱は古いまま。古び色あせた木の柱が並ぶ様は、歴史ある寺社の一部を見ているかのよう。「宝木」という有難そうな駅名がそう思わすのか…

何本もの古い柱の一本は、真新しい木を継ぎ足され改修されていた。風化し木目浮かぶ部分と、まっさらでつるつるの部分との差は歴然。
古駅舎のほとんどは、いつか取り壊されるものだ。しかし、こうして懸命に維持されてきた木造駅舎。取り壊しの運命を突きつけられたのは虚しさを感じずにはいられない…

待合室も大きく改修されている。簡易委託駅として数年前までは使われていた切符売場も残っていた。

しかし木の古い造り付けのベンチ、改札口付近の木材など、僅かながらも木造駅舎らしい趣ある造りを残していた。
[2022年(令和4年)8月訪問](鳥取県鳥取市)
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JR・旧国鉄の一つ星レトロ駅舎