行川アイランド駅へ再び…~16年振りに訪れると~
行川アイランドの衰退とともに駅利用者も少なくなっていたが、閉園後は1日20人程度まで乗客数は落ち込んだ。そんな経緯でも駅名が変わらなかった事や、広大な園跡地はそのままでで、行川アイランド駅は秘境駅とみなされるようになっていったのだろう。今どうなっているのだろうとずっと気になっていた。訪れてから16年と半年が過ぎようとする頃、久しぶりに訪れる事にした…
那古船形駅(JR東日本・内房線)~時の流れの中感じる変化の中、木造駅舎は佇む~
早朝、館山駅からわずか一駅、那古船形駅で降りた。2007年に訪れて以来、約14年振り。木造駅舎が印象深く、いつか再び訪れたいと思い続けていた。金網のフェンスで仕切られた1番線の向こうに、あの木造駅舎が佇んでいるのが見えた。かつて島式ホームの1面2線の配線だったが、駅舎に近い1番線側は廃止された…
遠野駅(JR東日本・釜石線)~民話伝わる土地のレトロな洋風駅舎~
新花巻駅から快速やまゆりに乗り、遠野駅に到着。2面3線のホームは線内の主要駅らしさ感じる。遠野駅の開業は1914年(大正3年)4月18日。現在の駅舎は釜石線の改軌と全通が成った、1950年(昭和25年)築。一見、石造りが印象深い洋風駅舎だが…
東大館駅(JR東日本・花輪線)~駅名標が国鉄時代を醸し出す木造駅舎~
大館に到着し、ホテルで旅装を解いてから、再び自転車で出た。行く先は花輪線の東大館駅。明日、東大館駅から列車に乗るので、その時に見てもよかったのだが、早朝で時間が無さそうなので、じっくり見ておきたいと思った。急に古めかしい感じの街並みになった。右に向くと、目的地の東大館駅の木造駅舎があった…
ホテルメトロポリタン秋田・ノースウイング~秋田駅のトレインビューを愉しむ~
部屋から列車が眺められそうなホテルメトロポリタン秋田の新館ノースウイング。秋田駅西北側に位置し、線路近くに建てられ大いに期待できる。羽越本線の羽後亀田駅を訪れた後、もう一駅訪れる計画をだったが、朝早かった事もあり疲れていて、もうホテルに向かう事にした。JR東日本系列のホテルという事もあり、駅から徒歩1分程度、駅前というかほどんど駅内という好立地で、折りたたんだ自転車という重い荷物を持つ私も楽々…
羽後亀田駅(JR東日本・羽越本線)~哀愁漂う大正の木造駅舎~
自転車で亀田の町に立ち寄った後、羽後亀田駅へ。駅舎は横に長いやや大きめの木造駅舎で、駅開業の1920年(大正9年)以来のもの。桜の木が一本、寄り添っているのもまた風情溢れる。車寄せも昔ながら造りをそのまま残している。欄間や長押のような側面の板は古び木目浮く。やはり長年の使用でガタが来ているのか…、よく見ると側面の板の部分は少し曲がっている…
大船渡プラザホテル~トレインビューホテルならぬBRTビューを愉しめる大船渡駅前のホテル~
今宵の宿となる大船渡プラザホテルがある大船渡駅にやってきた。大船渡線は海沿いの区間は東日本大震災の津波で甚大な被害を受けたが、鉄道路盤をバス道に転用しBRT(バス・ラピッド・トランジット)として運行再開された。駅舎やホームなど駅の施設が流失した大船渡駅もBRT駅として再スタート。「配線構造」は鉄道で言うなれば2面2線の相対式ホームだ…
大津港駅(JR東日本)~消えた!?駅舎横にあった御堂のある池は…~
2006年1月、常磐線の大津港駅を訪れた。駅舎の外に出て左手に、池庭があるのを発見した。こんな風に駅の敷地内に池…(今やほとんどがその「跡」と化してしまっているが)があるのは珍しくない。しかし大津港駅の池で目を引いたのが、池の中に中国風の赤い御堂がある事だった。オブジェであるが、なぜこんな所に中国風のお堂が?とても不思議に思った。
下船渡駅(JR東日本・大船渡線BRT)~鉄道時代からの木造駅舎が大改修されながらも残る…~
16年振りに大船渡線を訪れた。前回2006年は木造駅舎が残る折壁駅など、いくつかの駅で下車した。下船渡駅にも木造駅舎がある事は知っていたが、スケジュールの都合上、訪れる事ができず心残りだった。そしてあの大震災…、風光明媚な海沿いにレールが伸びていた大船渡線を何もかも変えてしまった…
渡波駅(JR東日本・石巻線)~ひそかなレトロさが楽しい洋風木造駅舎~
渡波駅の開業は1939年(昭和14年)10月7日。その時以来の木造駅舎が東日本大震災を乗り越え現役だ。駅舎は一見きれいに改修されシンプルだ。しかし縦長の大きな窓や待合室天井の造りなど、洋風の造りが印象深く、随所にレトロさを残している