かつての八百津線分岐駅もすっかり小さく…
存廃問題が騒がしくなってきた広見線末端区間にある明智駅で下車した。この駅から分岐していた八百津線が2001年に廃止されて以来、約24年振りの訪問で、ここから終点の御嵩駅に至っては初の乗車だった。

ホームにはビニール張りの上屋で覆われていた。ちょっと安っぽいなと思うが、無いよりはだいぶいい。こちらの方がコスト的に安上がりなのだろう。
同じ面の隣の八百津線用の1番線跡にはスロープが設置されバリアフリー化されていた。ただ鉄パイプで組まれたもので、工事現場のような仮設感漂う造りだった。

列車が離れ風景が開けると、目の前に反対ホームあった。石積みの歴史感じるホームにはがっちりとした上屋があり、ベンチのある待合所も健在。だけど2年前に廃止され、レールはほとんど剥がされ、構内通路は無くなっていた。交換設備は撤去されたため、新可児駅-御嵩駅間の7.4㎞は行き違いできる駅が無くなり、同区間は基本的には2両編成の6000系電車が行ったり来たりするだけの運用になっている。

駅の東の方を見ると広い構内跡が残っていた。少し先には貨物か何か業務用ホームとおぼしき構造物も残っていた。
明智駅は元々、2面4線という分岐駅らしい構内配線を持っていた。駅舎側から八百津線用だった1番線と2番線。反対側に廃止された3番線と、3番線に面して側線跡もあった。現在、生き残っているのは僅か2番線だけ。ずいぶん小さくなってしまったもの…。棒線化されてしまったため、その2番線も、現在では番号は振られなくなった。

スロープを下りつつ、駅舎を眺めた。窓にはサッシの柵が取り付けられているものの、木造駅舎らしい趣き。いい風情だ。
正面から撮影しようと外に出たが…、駅舎左手前に被るように車が1台止められていた。あれれ…、駅巡りではよくある事だけど。そのうち立ち去るかもしれないと 駅舎の観察をはじめた。

外壁は驚く程、古い木の質感が豊か。これは何と!名鉄にまだこんなに木造駅舎らしさ溢れる木造駅舎があったとは。
軒を持つが、柱ではなく駅舎から斜めに取り付けられた軒支えが支える。

撮影していると、駅舎の横に1台のホンダの業務用バイクのスーパーカブが停められた。時間は午後3時。
「これは、もしや…」
と思った。
名鉄では日曜祝日以外の午後、名鉄名古屋駅から一般の列車に夕刊を積み込んで各駅に発送している。名鉄名古屋駅で新聞の積み込み作業にに出くわした事があるが結構大々的。あの狭く混雑する駅の真ん中の島式ホームで、乗降客と新聞が入り乱れているかの如くだ。そして目的の駅に着いた新聞は、待機する新聞屋さんが自分で下し受け取っていく。
もうそろそろそんな時間かと思い観察していると、もう一台、スーパーカブがやってきた。更に駅舎の真正面に軽のワンボックスがデンと停められた。これも新聞屋さんぽい。
3時24分、御嵩行きの列車が到着すると、ホームで待機していた男性数人が、ドア横に積まれた新聞を取り出していた。チラッと見ると量は少なく、一家庭の一ヶ月分位の量を束ねた程度だった。
そしてワンボックスの軽の荷台で仕分けっぽい事をしていると思ったら、各々新聞を持ち直ぐに駅から立ち去って行った。

駅舎ホーム側、駅事務室の扉の上に、「下り」「上り」「八百」と標された3つ一組のランプがあるのを発見した。これは列車がどの番線に接近しているかを示す警告のランプで、「八百」は八百津線を表している。小さく乗客の目に付きにくい位置にあるので、おそらく駅員さんの業務用だったのだろう。
よく見ると、「八百」の所だけ電球が無い。2001年に八百津線が廃止された時に外されたのだろう。
半切妻の入母屋造の味わい深い駅舎
周辺をうろうろしていると、いつしかあの車はいなくなっていた。
風景が開け、駅舎前景をすっきり見る事がができた。
入母屋造りという屋根の形状の駅舎はあるが、妻面が半切妻(はかま腰)になっているのは珍しいのでは…?そして木の質感豊かで木造駅舎らしさ溢れ趣深い。屋根の赤色は名鉄のコーポレートカラーだ。ちょっと色褪せてはいるけど…。
駅の開業は1920年(大正9年)8月21日。当時は東農鉄道による経営だった。この駅舎が何年に建てられたが不明だが、開業当初からのものだろうか…?
駅名は元々は伏見口で、長い間、その名を名乗っていた。しかし明智光秀の出身地説がある事から、可児市の働き掛けにより、1982年(昭和57年)4月1日に明智駅へと改称された。

広見線の主要駅と言えるが、2008年(平成20年)6月29日より無人駅となり、窓口跡はシャッターで固く閉ざされていた。
待合室は旧国鉄の駅舎に比べて狭く、壁際に造り付けのベンチが僅かばかり設置されている程度。正面にも改札口側にも扉は無く、その痕跡も残ってなかった。駅舎こそあるが、元々、開け放たれた東屋のような感じだ。尾西線の苅安賀駅もこんな造りだったなぁ…

造り付けの木造ベンチは、ペンキ越しに使い込まれた質感が伝わりレトロさ感じさせる。脚が土台から外れそうなのが気になる…

改札口ラッチ横の僅かな空間にも同じ古さの木のベンチがあった。僅か1.5人分の長さが可愛いが、ラッチのせいで一人しか座れない。いや、有人駅時代は乗降客の邪魔になりそう。

こんな素晴らしい木製ベンチがあるのだからと座って一休み。ふと上を見上げると、天井は木の板張りのまま。これもまた何と味わい深い事が。

24年前は駅舎に関心は無く、この駅舎の記憶も無い。ただ建物に囲まれた狭い駅前のこの感じは何となく印象に残っている。
駅前には小さなバスロータリーがあり、八百津線代替バスなどが乗り入れいている

少し離れ駅舎を眺めてみた。やはり半切妻の入母屋造は個性的で印象深い。使い古された木造の入母屋造の建物は、まるで日本の古民家を見ているかのよう。
しかしドイツ屋根とも言われる半切妻の駅舎を眺めていると、不思議と洋風駅舎にも見えてくる。
広見線は今年に入り、存続か廃止・バス転換かが問題になっている。沿線の可児市と御嵩町で年1億円の補助をしているが、それでも赤字は大きく、補助の枠組みも今年度で終わるという。
広見線が存続。そして味わい深くユニーク…、そんな明智駅の駅舎は末永くあってほしい。
[2025年(令和6年3月訪問)](岐阜県可児市)
- レトロ駅舎カテゴリー:
私鉄の三つ星レトロ駅舎