JR東日本(5) - 駅と駅舎の旅写真館



女鹿駅(JR東日本・羽越本線~秘境駅に埋もれる池のある庭園跡~

羽越本線の秘境駅、女鹿駅構内に埋もれる枯池

5月の連休明け、女鹿駅への再訪を果たした。一日の列車本数が僅か1ケタという少なさで、朝の9時、下り列車は午後まで待たなければいけなかった。仕方なく、隣の吹浦駅から歩くしかなかった。小雨降る中、日本海を眺めつつとぼとぼ歩き続けた…

木戸駅 (JR東日本・常磐線)~二つの池庭跡、お城と何これ?!~

JR東日本・木戸駅名物、上りホームにある城のオブジェ

常磐線の下り列車に乗車中、木戸駅に停車した。反対側の上りホーム側を見ると、お城のミニチュアが置かれているのが目に入った。ミニチュアと言っても、人の背丈の高さはあろうかという大きさで、かなり目立つ。思わず目がぐっと引き付けられてしまう…

末続駅 (JR東日本・常磐線)~二つの枯池と戦後築の木造駅舎がある駅~

JR常磐線・末続駅、木造駅舎正面に造られた枯池とミニ庭園

常磐線、末続駅の駅舎に面したプラットホームは幅が広くスペースは余裕がある。その中に、木々や花が植えられた一角もあり、「ありそうな」雰囲気を感じ、ホームを歩いていると、道路と駅を隔てる柵の前に、小さな枯池が埋もれてるのを発見した…

品井沼駅 (JR東日本・東北本線)~素朴な造りを残す昭和の木造駅舎~

JR東日本東北本線・品井沼駅、素朴な雰囲気を残した木造駅舎

木造駅舎が残る東北本線の品井沼駅。この駅は1918年(大正7年)8月16日 、旧線区間の松島(旧駅)‐鹿島台駅間に幡谷信号所として開設されのがルーツだ。1932年(昭和7年)12月26日から旅客取り扱いが開始され、その時に品井沼という駅名が与えられた。今の木造駅舎はそれ以来のものだ…

神町駅 (JR東日本・奥羽本線)~戦後占領下を色濃く残す大仰な木造駅舎~

奥羽本線・神町駅の木造駅舎、吹き抜けで広々とした待合室

奥羽本線の神町駅には一風変った個性的な木造駅舎が建てられている。付近には、戦前は神町海軍航空隊があった。終戦後は米軍キャンプが進駐し、神町駅にRTO(連合軍鉄道運輸司令部)が置かれた。神町駅の開業は1901年(明治34年)だが、この駅舎は戦後占領下の1947年(昭和22年)、連合軍によって建て替えられた…

玉川口駅廃駅跡 (JR東日本・米坂線)~「廃」な風景広がるかつての駅~

米坂線の事を調べていると、玉川口駅の事を知った。1936年(昭和11年)年8月31日に、小国駅と越後金丸駅間が開業した事により、米坂線は全通となった。それと同時に、この区間の中間で、山形県の端っこの新潟県との県境近くに玉川口駅が設置された。駅舎と交換設備を備える駅だったと言う…

用土駅 (JR東日本・八高線)~まだ現役のように佇み続ける木造駅舎~

埼玉県寄居町、JR八高線・用土駅、現役同様に佇み続ける木造駅舎

JR八高線にも木造駅舎が意外と残っているが、その中でいちばん昔ながらの風情を残しているのが用土駅の駅舎だろう。駅舎は開業の1933年(昭和8年)以来のものだ。窓や扉が銀色のサッシに換えられているものの、長年使い込まれた木の壁面がそのままで…

原宿駅 (JR東日本・山手線)~都内最古の木造駅舎は今日も大忙し~

原宿駅3番線、国鉄型駅名標とチューリップの展示、そして原宿村

原宿駅には、洋風の造りが印象的深い洋風木造駅舎が現役で残っている。ファサードや外壁の、英国調のハーフティンバー、屋根の塔と言った造りがお洒落で目を引く。しかもこの駅舎、1924年(大正13年)築と言う、東京都内でいちばん古い木造駅舎だ。

鶴見臨港鉄道・本山駅跡~JR鶴見線に残る廃駅跡~

JR鶴見線に残る、前身の鶴見臨港鉄道・本山駅廃駅跡、プラットホーム

京浜工業地帯の横浜市から川崎市にかけてのエリアに路線を伸ばすJR東日本の鶴見線は、鶴見臨港鉄道を起源とする。鶴見臨港鉄道は京浜工業地帯の貨物輸送を目的に、実業家・浅野総一郎が中心になり設立された。浅野総一郎は、明治、大正、昭和初期に、鶴見・川崎地区の港湾埋め立て事業を推進し…

女鹿駅~たった数秒、視界を掠めた秘境駅を訪ね…~

山形県遊佐町、夜の闇に包まれ秘境駅ムード溢れる女鹿駅

青森発大阪行きの特急白鳥に乗車し、車窓に広がる日本海と雪景色を眺めている時だった。雪深い林の中を走っていると、突然「女」「鹿」という黒い文字が目の中に飛び込んで来た。ハッとして振り向くと、その文字が書かれた小さくて粗末な建物とプラットホームが後方に飛び去っていく様が見えた…