品井沼駅 (JR東日本・東北本線)~素朴な造りを残す昭和の木造駅舎~



東北本線では僅かとなった素朴な木造駅舎

 木造駅舎が残る東北本線の品井沼駅。この駅は1918年(大正7年)8月16日 、旧線区間の松島(旧駅)‐鹿島台駅間に幡谷信号所として開設されのがルーツだ。

 1932年(昭和7年)12月26日から旅客取り扱いが開始され、その時に品井沼という駅名が与えられた。今の木造駅舎はそれ以来のものだ。

JR東日本東北本線・品井沼駅、素朴な雰囲気を残した木造駅舎

 形状は下見張りのありふれた造形だが、自動販売機や電話ボックスなど遮ぎるものも無く、本来、木造駅舎が持つ素朴な雰囲気をしみじみと感じられる。JR東日本のコーポレートカラーに合わせたのか、屋根は濃い緑色だが、この駅舎にはよく似合っているい。

 東北本線の岩切駅‐品井沼間は、1890年(明治23年)に「山線」とよばれた旧線区間が開業した。しかし勾配がきつい難所で、1944年(昭和19年)、海側の新区間延伸や塩竈線の既存区間を編入するなどして新区間、いわゆる「海線」が開業した。

 しばらくは海線と山線が共存する状態が続いたが、線形が良く沿線の人口が多い海線の方がメインルートとなり、山線の品井沼-松島(旧)間が1962年(昭和37年)の4月2日に、更に松島(旧)‐利府間が同年7月1日に廃止となった。今日では岩切‐利府間のみの4.2kmが、東北本線支線の利府線が山線の名残りのように残っている。

東北本線・品井沼駅、駅前にある水飲み場

 駅舎の前には、レトロな造形の金属製水飲み場が残っていた。

宮城県松島町、品井沼駅。木造駅舎の横に古い木造トイレが並ぶ

 昔の駅らしくトイレは別棟となり、駅舎の隣に少し離れて設置されている。トイレも木造で、古い造りを残した昔ながらの駅トイレと言った感じで、駅舎と共にレトロな駅風景を奏でているかのように映った。

東北本線・品井沼駅、駅開設記念碑

 駅舎に寄り添い、黒色で何やら重々しく、古そうな碑が建てられていた。内容をちょっと見ると、品井沼駅開設に尽力した人を称える記念碑のようだった。碑文の末尾に書かれた年月を見ると昭和22年と標されていた。

宮城県松島町、品井沼駅。駅前の風景

 駅は静かながら、駅前は意外と広々としている。駅の向かいに品井沼駅前郵便局があり、昔懐かしい丸ポストが健在だ。

宮城県松島町、東北本線の品井沼駅、簡易委託駅で駅員さんがいる

 窓口周りはずいぶんと改装されているのだろうが、出札窓口と手小荷物窓口跡が健在だ。改装されているとは言え、どことなく二昔前位の雰囲気を残し、木造駅舎を大切に使い継いでいる事を感じる。

 昔ながらの雰囲気をよく残しているのは、委託とは言え駅員さんがいるから、いっそうそう感じさせるのだろう。。出札口の奥には女性の駅員さんが座っていた。品井沼ステーションサービス(現:品井沼ステーション有限会社)による簡易委託駅だ。

JR東北本線・品井沼駅、手小荷物窓口跡のピンク公衆電話

 出札口の隣の手小荷物窓口跡は、荷物の取り扱いはとうに止めているが、昔の造りを残している。特に、カウンターの台と引戸は木製のままで、使い込まれた木の質感が昔ながら味わいを放つ。今では公衆電話のピンク電話を置くために、ちょうどいい台となっているようだ。

 窓口の上には蒸気機関車の走行写真が掲示されている。廃止された山線の風景を写したものだろうか。山深い単線の中、煙を吐き出しながら走る様は難所に挑む機関車の荒い息遣いが今にも迫り来るかのようだ。そして楽天イーグルスのポスターが貼られているのが、いかにも宮城の駅らしい。

東北本線・品井沼駅、石積みのホームと古い木造待合室

 石積みのプラットホームの上に、古い木造待合室が残る。駅舎側の1線、そして島式の2線と2面3線の構造だが、真ん中2番線はレールはすっかり赤錆び雑草が生い茂る。もう使われていないのだろう。このホームからもかつては山線経由の列車が発着したのだろうか…。

JR東日本東北本線・品井沼駅、石造りの危険品庫(油庫)
東北本線・品井沼駅、ガイシの廃品を使いまわした花壇

 駅舎の近くには、架線の電気を絶縁するパーツ「碍子(がいし)」を再利用したユニークな花壇があった。木の枕木で形作られた花壇はたまに見るが、碍子とは珍しい。有人駅だけあって手入れは行き届き、花が咲き緑が活き活きとしていた。

東北本線・品井沼駅、木造駅舎と701系電車

 そして小牛田行きの列車に乗って品井沼駅を後にした。


 最後に駅名になっている品井沼について触れておこう。

 品井沼の地名は現在でも残っているが、江戸時代の昔、駅から北に約3kmの所に、品井沼という広大な沼があり、沼の周囲は湿地帯であったという。大雨が降ると、鳴瀬川の水が品井沼に逆流し、水害に遭う事もしばしばだった。

 江戸時代、水害を防ぐため品井沼の水を松島湾に排水し、そして品井沼を干拓し水田にするため、排水用のトンネルを造り、川に繋げる事にした。これが「元禄潜穴」だ。工事は江戸時代の元禄六年(1693年)から始められた。当時は、技術が乏しく、ずり出し穴と呼ばれる竪穴をいくつも掘って、土砂を排出し、竪穴同士を横穴でつなぎトンネルを延長していく手法が取られた。工事は困難を極め多くの犠牲者を出しながら、元禄11年まで、5年間工事が続いた。

 その後も、元禄潜穴の改修、明治時代の「明治潜穴」など、治水・干拓事業が続けられ、現在では、同じ地に広大な沼があった事は感じられい程、変貌を遂げているという。今度、この区間を通る時、その歴史を思い出しながら車窓を眺めたいものだ。

[2005年(平成17年) 8月訪問](宮城県宮城郡松島町)

追記: 品井沼駅建て替えへ…

 JR東日本・仙台支社より、2019年度中に品井沼駅駅舎の建て替えを行うと発表があった。昭和から令和へとおよそ87年生き抜いてきた駅舎だが、ついにその役目を終える時が来た。

 そして2020年(令和元年)3月、新駅舎が供用開始となった。待合室の内装には、元禄潜穴をイメージした石材やれんが調のデザインが採用されたという。


~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の失われし駅舎


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