20年振りに古虎渓駅を訪れる
中央本線(中央西線)の秘境駅として知られる古虎渓駅を久しぶりに訪ねようと思った。2002年の春に訪れて以来だ。その旅で訪れ, 同じく秘境駅として知られる隣の定光寺駅には、その後も何度か訪れているのだが、古虎渓駅は本当にその時以来。その時の古虎渓駅訪問記は載せているのだが、もう20年も過ぎているし不正確な部分もあり、さらっとしか触れていないので、自分の中の情報をアップデートしたく、再訪しようと思った。
暖かになり桜が咲き始めた頃、古虎渓駅に降り立った。乗って来たのは2022年3月のダイヤ改正で投入されたばかりの新車・315系電車だ。20年前は、まだ国鉄型の113系電車が走っていたし、313系8000番台で運用されていたセントラルライナーもあった。113系は中央西線引退から久しく、313系8000番台は今回のダイヤ改正で静岡に転属していった。20年も過ぎれば色々と移り変わりはあるものだ。
跨線橋に上り周辺の風景を眺めた。小高い山に四方を囲まれ、駅のすぐ横を土岐川が流れる。この先、もっと北の木曽地方山間部に一気に来てしまったのかと思わされる自然豊かな風景だ。街や集落は無い。車両は移り変わっても、この風景は変わらない。まさに秘境駅感溢れる。
しかし中央西線の名古屋近郊区間や太多線の沿線は、名古屋のベッドタウンとして発展し、8両編成の列車が何本も行き交う。それに合わせ古虎渓駅のプラットホームは長い。秘境駅ではあるが都市型の駅の顔も持つ。ある意味不思議な光景だ。
振り返り多治見方面を見ると、やはり山に囲まれている。民家はひとつとして見当たらない。しかし、川の向こうの県道沿いに、二つの廃墟が見える。そこからトンネルを進み出た所には、ホテルと思しきものも建っている。
こうして見渡すと、駅からの風景は定光寺駅に似ている。定光寺駅は崖にへばりつくような場所にホームがある凄まじい立地だが、それに比べれば古虎渓駅の方は、まだ下界が近い。
上りホーム背後では、一本の桜が咲き誇っていた。
20年前の春、桜のシーズンは過ぎていたが、新緑でもっとざわめいていた記憶がある。しかし現在、木々や草は冬枯から色を取り戻しつつある季節とは言え、高らかに枝を伸ばす桜はたった一本。違和感を覚えた。
ホーム脇をつぶさに見て歩くと、茂みの中に切株が埋もれているのが垣間見えた。やはり木々の多くは切り取られてしまったようだ…
都市型秘境駅の設備
ホームの定光寺方を見ると、本線からは2方向に線路が分岐していた。山側の下り線からは、駅舎南端で行き止まりとなる側線が分岐している。側線は短く、途中からコンクリート床にレールが敷かれた造りになっている。しかし、レールは埋もれ車輪が食い込む隙間は無く、検査ピットのようなものをアスファルトで埋めた痕跡もあった。保線車両の留置線だったのだろうが、今では使われていなさそう…
川側の上り線からは、トンネル横の川沿いにカーブし分岐している線路もあった。こちらは愛岐トンネル群で知られる定光寺‐多治見間の中央本線旧線跡の一部だ。廃線の割にしっかりレールが残っているなと思ったが、Googleマップの航空写真を見ると、保線用らしき車両が留置されているのが写り込んでいた。旧線跡を利用した留置線と言った所だ。
こんな秘境駅でも、ICカードTOICAの改札機が設置されている。
駅舎内の待合室にやってきた。コンクリートブロック積みで、壁の継目が目立つ。簡素で、壁に造り付けの木製ベンチがあって、出札口があって…というのは古い木造駅舎の造りがそのままコンクリートになったような感じ。
簡易委託駅だが、駅事務室をを覗くと、物があまり置かれていなくがらんとし、やや寂し気な印象。室内には60代位の女性駅員さんがいた。しかし、この地区でも、JR東海のTOICA、名古屋市営地下鉄のMANACAと言ったICカードが普及した。ただでさえ乗降客が少なく、窓口で切符を買う機会は減り、駅員さんはちょっと暇そうだった。
壁に掲示された時刻表を見た。日中でも一時間に二本。ローカル線の駅巡りで列車の少なさに苦心している身からすれば、天国のようだ。平日の朝ラッシュ時間帯の7時には7本もの列車が停車する。
地下鉄東山線との乗換駅の千種駅は、栄などの名古屋中心街や沿線の学校に通う人でごった返し、金山駅、名古屋駅と言った都心も通る。この秘境駅からの乗客も、そんな人の流れに混じるのだろう。
駅舎は20年前と変わらない。貼り付けらた建物財産標には「S40年10月」と標されていた。そこそこ新しそうに見えるが、それでも1965年築の55年を超えている。この簡素な形状は、その頃に全国各地で古くからの木造駅舎に代わり建替えれらたコンクリート駅舎の造りそのものだ。
駅前には小さなバスロータリーが設置されている。
古虎渓駅は駅周辺の景色こそ癒されるような自然豊かさに溢れるが、駅東の山の向こうの直線距離で500~1㎞あたりの一帯は宅地開発されていて、市の倉ハイランドと名付けられている。最寄駅は古虎渓駅だ。市の倉ハイランドと古虎渓駅間には、デマンドバスではあるがバス路線があり、平日土曜日の朝夕夜の通勤通学時間帯に集中運行されている。大規模なニュータウンだけあって一定の通勤通学需要はあるよう。これで、日中も列車に接続するバスがあればと思うが、なかなか難しい…
駐輪場も整備されている。しかし起伏のある地形で、停められているのは自転車よりもスクーターの方が多かった。
こうして駅構内や駅前をウロウロしている間、列車が発着する頃には、乗降客の姿が見られた。僅かではあったが…
駅周辺を歩いてみようと、道路を歩きプラットホームの下を通りぬけた。
これでも都市近郊路線!?駅周辺を歩く
川を渡り対岸から古虎渓駅を眺めてみた。山裾を削り取った場所に設置された駅で、周囲に余裕ある土地は無い。これでは駅前に住宅なんか立ち並ぶはずも無いだろう。木曽山間部か飯田線の駅のような趣だ。
対岸の道を多治見方向に歩いてみた、人の気配は希薄とは言え、車の通行は多くやや騒がしい。
日中は2本しか列車が停車しないが、快速列車や貨物列車など、古虎渓に停車する倍以上の列車が目もくれず通過してゆく。今度は長野行きの特急しなのが川沿いを走り抜けていった。
古虎渓駅からも見える廃墟の前までやって来た。前回20年前に来た時は、既に空家だったと記憶している。一体、打ち棄てられてどの位になるのだろうか?
櫓のように2階に家屋を嵩上げし、1階を駐車場にした建物は、川と緑の眺望が売りの飲食店だったのだろうか…
駐車場をはさんだトンネル寄りには、黄色い廃墟があった。2階建てでアパートのような造りだ。しかし荒れは激しく、割れた窓からは、つる性の木々が吐き出されるように茂っていた。
2棟の廃墟の間の駐車場の奥にも、もう一つ廃墟があるあのに気づいた。山に密着するように建てられ木々に遮られ、駅からは気付かなかった。2棟の廃墟以上に荒れ、あと数年で崩れてきそうだ。
駅に戻って来た。折角、桜が咲いている。自販機でお菓子とドリンクを買い、花見気分でホーム上の吹きさらしのベンチに座った。そして、次の列車がやってくるまで、一本だけ残った桜を愛おしむように眺めた。
[2022年(令和4年)4月訪問](岐阜県多治見市)
基本情報+FAQ
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古虎渓駅はどこにある?
岐阜県多治見市諏訪町神田。
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所属鉄道会社と路線は?
JR東海・中央本線(中央西線)
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開業年は?
1940年(昭和15年)10月10日。当初は池田信号所として。旅客営業開始は1951年(昭和26年)3月1日に仮乗降場として。翌年1952年4月1日に正式な駅になり、古虎渓駅と名付けられた。
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バス路線は?
市之倉ハイランドを結ぶデマンドバス「古虎渓よぶくるバス」。平日土曜日の通勤通学時間帯の運行で完全予約制。詳しくは古虎渓よぶくるバスのウェブサイトへ。
もう一路線、東農鉄道に運行を委託している多治見市自主運行バスがある。多治見駅など市街地と古虎渓駅間の運行。但し、遠回りし観光施設を結ぶ行楽色の強い路線で、土日祝日のみの運行。詳しくは、多治見市自主運行バスのページへ。