列車が停まらなくなり58年…、なおも残る旧駅舎
中日新聞の連載記事「街道を行く」に、名鉄瀬戸線の廃駅、笠寺道(かさでらみち)駅跡が取り上げられた。名古屋市北部の守山区、現在の瓢箪山(ひょうたんやま)‐小幡間にあった駅で、1944年(昭和19年)に営業休止となり、再開される事無く、1969年(昭和44年)4月5日、正式に廃駅になった。笠寺道駅は1905年(明治38年)の4月2日、名鉄瀬戸線の前身の前身、瀬戸自動鉄道が矢田駅‐瀬戸駅(現・尾張瀬戸駅)を開通させた時に設置された。瀬戸線が第一歩を標した時に開業した歴史ある駅だったのだ。
駅名は、尾張四観音の1つ龍泉寺(名古屋市守山区)から、同じく尾張四観音の1つ笠寺観音(名古屋市南区)に至る道「笠寺道」の道沿いにあった事に由来している。
記事には、58年も前の1944年(昭和19年)に休止となって以来、2度と列車が停まる事は無かったが、未だにその駅跡と、そして驚くべき事に駅舎も残り、現在は民家として使われているという。廃駅になり、プラットホーム跡が残っているのはよくあるパターンだ。しかし、民家としてとは言え、駅舎が残存しているのは非常に珍しい。特に笠寺道駅の場合、半世紀以上も前に実質的に廃止になったと言えるので、驚きは大きく、大いに興味を引かれた。
笠寺道駅の旧木造駅舎と廃駅跡を見に行く
久しぶりに名鉄瀬戸線に乗り瓢箪山駅で下車し、尾張瀬戸方面に伸びる線路沿いの細い道を歩いた。ここは古くからの住宅街と言った感じで、古そうな建物が多く、その中に新しめの住宅も混じる。
そのまま真っ直ぐ歩いていると、踏切の側に建つ、古い一軒の家に突き当たった。これこそが笠寺道駅の元駅舎だった建物だ。線路脇にはプラットホームの痕跡も残っている。
駅舎は半切妻屋根が特徴的な木造駅舎だ。切妻の壁面にモルタルの造りも見える。
民家と化した旧駅舎は、昭和19年の休止以来、取り壊されず残っている。とは言え、手はかなり加えられているのだろう。壁はトタンで覆われ、窓はサッシに交換されている。改札口や駅の出入口といった痕跡も今では全く留めていない。切妻屋根の壁面部分には、居住人の仕事関係の看板が掛かっている。昔はこの場所に駅名を標した看板を掲げていたのであろうか…。
外観はトタンに覆われた古い家と言った感じで、窺い知る事が出来ない屋内は民家らしく改修されているのだろう。しかし、半切妻屋根の外観は、言われてみれば、ほのかに駅だと感じさせる形をしている。そしてホームの痕跡が残っている事で、かつては道沿いに出入口があって、線路側に改札口があって…、と乗降客の動線が想像できる。
いや、屋内も思わぬ痕跡が残っているかもしれない。そう思うと、無性に内部も見たくなるものだ。
元駅舎の民家と続いているプラットホーム跡は、下りホーム、上りホームともほぼ削り取られ、僅かに痕跡が地面から姿を覗かせるのみだ。しかし上りホーム側は、まるで民家の庭先か敷地がと言った感じで続いているのが面白い。列車がすれすれの所を走っていくので、居住人の方がここに出て来て何かすると事はまず無いのだろうが…。
駅舎壁際には物が無造作に置かれ、ホームは草生し、手入れはイマイチだ。草生しているのは旧駅舎の前だけで、他は草がしっかり刈られたのか、土面を露わにしている。
痕跡を縁取るように低く残ったホームの残骸は、所々で風化し崩れるように欠け、鉄筋が数ヶ所から短く伸び出ている。ざっと見渡した所、ホームの長さは1~2両程度と短い。そんなホームの残骸に全く気付いていないかのように、赤い電車が何度も何度も通過していった。
周辺をぶらつくと、踏切注意の道路標識にパノラマカーが描かれていた。パノラマカーは他の名鉄線から孤立した瀬戸線を走らないが、名鉄の象徴的な車両という事で描かれたのだろうか…。
瓢箪山駅で帰りの列車の待っている時、下りホームを何気に眺めていると、3段階でホームが嵩上げされたり、延長されていったのがわかった。まるで瀬戸線発展の歴史を垣間見ているかのような心地だ。ホームの下敷きになっているかのような一番古いホームの痕跡は、笠寺道駅跡のホームと同じ程度の長さで、現在の半分以下の高さだ。笠寺道駅のホームは元はこんな程度のホームだったのだろう。
[2002年(平成14年) 5月訪問](愛知県名古屋市守山区)
追記: その後の笠寺道駅跡
廃駅後、40年以上も残存していた旧駅舎は、2012年(平成24年)、遂に取り壊されてしまった。2016年(平成28年)現在もプラットホームの痕跡は残り、駅舎跡地は空地のままだという。
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