玉川口駅廃駅跡 (JR東日本・米坂線)~「廃」な風景広がるかつての駅~



米坂線の印象と廃駅・玉川口駅

 新潟県の坂町駅と山形県の米沢駅を結ぶ米坂線は、未乗だった事もあり一度乗ってみたいと思っていた。

 また、鉄道紀行作家の故宮脇俊三氏が、米坂線の今泉駅で終戦を迎えたエピソードはとても印象深い。その時の状況はこうだ。正午、玉音放送がラジオから流れる時、氏は父親と今泉駅前にいたという。天皇陛下が直々に終戦を伝える時、全国民がラジオの前で畏まっている思ったが、普通に汽車がやってきて感心しているという話だった。

 米坂線の事を調べている内に、玉川口駅の事を知った。1936年(昭和11年)年8月31日に、小国駅と越後金丸駅間が開業した事により、米坂線は全通となった。それと同時に、この区間の中間で、山形県の端っこの新潟県との県境近くに玉川口駅が設置された。駅舎と交換設備を備える駅だったと言う。

 しかし、利用者が極端に少なくなり、1995年(平成7年)12月1日に廃止されてしまった。晩年は、駅舎は半分の大きさに改修され、交換設備も廃止され、ほとんどの普通列車が通過となるまで落ちぶれていた。玉川口駅と同じく、坂町駅と越後大島駅間にあった花立駅も廃止されている。

レンタサイクルで廃駅跡へ…

 ある日の暑い初夏の日、新潟駅から米坂線直通の快速列車に乗り小国駅で降り立った。

 越後金丸‐小国間が9.5kmで、駅間距離だけを見ると、小国駅からだと5kmちょっとだ。まあ歩けない距離ではないなと思い徒歩か、または、片道だけタクシーを利用しようと思った。だが小国駅がレンタサイクルを営業している事を知った。これを活用しないテは無い。

米坂線・小国駅のレンタサイクル

 早速、プラットホームに停めてある自転車を借りた。国道113号線を走り、小国の街を十数分で走り抜けると、辺りは人家が殆ど無い緑豊かな風景となった。夏の暑さと連続する上り坂に息を切らしながら、自転車を漕ぎ続けた。漕ぎながら、徒歩での訪問がいかに無謀だったかを思い知った。

 ひたすら走り続け、トンネルを抜けたところで、米坂線の鉄橋が現れた。

米坂線・小国駅‐玉川口駅(廃駅)間、列車転落事故の慰霊碑

 鉄橋の下には荒川という川が流れているが、その土手にポツリとひとつの慰霊碑が建てられている。半世紀以上前の1940年(昭和15年)3月5日、雪崩により、ここに掛けられていた鉄橋が崩落した。不幸にも、その直後に鉄橋を渡ろうとした列車が川に転落し、乗客24名と乗員6名もの命が失われた。その痛ましい列車事故が起こった場所がまさにここだ。玉川口駅跡への道から一端外れ、「殉難碑」と書かれた慰霊碑の前に立ち、米坂線の悲しい歴史の1ページに想いを馳せ、静かに手を合わせた。

秘境駅ムードに包まれるかつての駅

 鉄橋から数分で、国道は米坂線と交差する跨線橋に差し掛かった。越後金丸の方を見てみると、目に入るものがほどんど生い茂る緑というむせ返るような山景色の中、ひとすじの鉄路が伸びていた。

JR東日本・米坂線、玉川口駅跡を見下ろす。鉄橋の向こうは県境で、新潟県。

 ほぼ、まっすぐ伸びているレールが鉄橋の手前で、一端、不自然に左に逸れている部分がある。そこに玉川口駅はあったという。以前は駅舎と交換設備を有していたそうだが、そんな面影は全く感じられない程だ。

 駅跡を過ぎると鉄橋があり、渡っててすぐの所が県境で、新潟県へと入る。

JR東日本・米坂線の廃駅、玉川口駅跡にある小さな建物

 更に先に進んだ。跨線橋からは、米坂線に平行する形で国道は伸びている。玉川口駅があった付近で、自転車を停めた。プラットホームの多くの部分は、とうの昔に崩されたのだろう。今は草で覆われて、どこまでがホームだったのか全く見当が付かない。ただ、コンクリートの小屋が草むらの中にポツンと佇んでいた。玉川口駅の数少ない生き証人なのだろう。

JR米坂線・玉川口駅跡近くの廃ドライブイン

 どこから駅跡に降りていいかわからず、印刷してきた地図を見た。駅跡を通り過ぎた所に、国道から分岐する小さな道があった。ここからなら駅跡に更に近づけそうだと、自転車を進めた。その道と国道との交差点には、ドライブインが建っていた。だが、窓や出入口か固く閉ざされ人の気配もしない。廃虚となって何年になるのだろう…。ドライブインと赤く書かれているのがどこか侘しく映った。

JR東日本・米坂線・玉川口駅跡。かつての駅前通りだが…

 先ほど、駅跡と共に眺めた米坂線の県境近くの鉄橋の下を通り、細い道に入り引き返すように進んだ。そして、信号機室を見た国道沿いの反対側あたりの場所に来た。つまりは、かつての玉川口駅の駅前だった所だ。

 しかし建物はほどんど無く、人の気配は全く感じられない。これがかつて駅だった所か…、ここがかつて駅前だった所か…。駅周辺は秘境駅のような人里離れたひっそりとした雰囲気だったのだろう。末期は停車する列車は少なく、乗降客も少なくて廃止になった駅だ。元々、住人は少なかったのか?或いはどんどん減っていきこうなってしまったのか?しかし、まさかこれ程だったとは…。廃駅になるとはこういう事なのだと、ただ唖然とした。

 現役時の玉川口駅の写真を見ると、駅舎とホームがあったのは、国道側ではなく、こちら側のようだ。かつてのホーム跡に上ってみたいが、胸の高さにまで成長した植物に覆われ、どこから入って行けばいいのか戸惑った。道より少し高くなっているのがプラットホームの名残だろう。その中から、何とか草の生え方が少ない部分を見つけ、草を手でよけながら中へと分け入った。

JR東日本・米坂線、玉川口駅跡。茂る草に痕跡は隠されている…

 そして、コンクリートの小屋の横に出た。近くで見ると信号機器室だとわかり、建物財産表を見ると、「昭和43」と記述されていた。

 線路からホーム一段分高く、ホーム跡だった事を窺わせるが、形はすっかり崩され、駅跡にはすっかり緑が還ってきている。知らなければ、ここに駅があったと気付きさえしなかっただろう。冬前や雪解け時など、緑が生い茂っていない時期なら、もう少し、駅の痕跡を感じささるものを見つけられたかもしれない。

JR米坂線・玉川口駅跡、かつての駅前に数軒の建物がある

 ホーム跡から離れ駅前の通りを更に進むと、パステルグリーンの住宅があった。それ程古くなさそうで、築20年は超えてはいないだろう。だが、カーテンは閉じられ、物音はせず、洗濯物が干されていたり、普段使うものが置かれている訳ではない。出掛けていて誰も居ない…、というより、生活の気配が全く感じられない。

 その横には、建築会社の資材置き場らしき所が見え、プレハブ小屋や倉庫なども見える。だが、平日にも関わらず、こちらにも人の気配は無かった。今日が休業なだけなのだろうか?

JR東日本・米坂線の廃駅、玉川口駅近く。JR貨物コンテナが放置された廃墟

 近くには木造2階建ての家屋もあった。しかし、こちらは傷みが酷く、ガラス窓も割れていて、完全に廃墟と化していた。古い2階建ての昔ながらの民家の造りだ。かつての住人はかなり前からここに住んいたのだろう。その廃墟の前には、家屋を塞ぐかのように、JR貨物の青いコンテナが2個放置されていた。

 駅跡やその周辺を散策している間、遂に人の姿を見る事は無かった。玉川口駅跡近くに定住している人は、現在ではどうやらゼロになってしまったようだ。

[2005年(平成17年) 8月訪問](山形県西置賜郡小国町)