新垂井駅跡 (東海道本線・新垂井線)~廃駅花見~



下り列車のためだけの究極の珍駅!?

 東海道本線の新垂井駅が開業したのは戦時中の1944年(昭和19年)10月11日。その開業は戦争の副産物だと言えるだろう。

 従来の垂井駅経由の東海道本線、大垣から関が原の区間は急勾配が続き、当時は補助の機関車の助け無しに超えることが出来なく、迅速に軍用物資を運ぶ妨げになっていた。そこで軍部の強い意向で、この区間を迂回する勾配を抑えた下り列車専用の別線を建設した。通称「新垂井線」と呼ばれる迂回線は、開業と同時に、その線上に新垂井駅が開業した。そのため、新垂井駅は下り列車しか停車しないという変則的な駅だった。

 新垂井経由の下り迂回線の開業で、従来の大垣‐関が原間の下り線は撤去され、垂井駅は上りのみの停車となり、新垂井駅と垂井駅間は国鉄バスにより連絡された。

 しかし、それでも不便で、戦後、垂井経由の下り線は復活され、垂井経由の方は通称・垂井線と呼ばれた。しかし一方、新垂井駅も存続した。下り普通列車は旧来の線の垂井駅、迂回線の新垂井駅のどちらかを経由していた。

 そうなると外れにある新垂井駅より、街中にある垂井駅の方が便利で、垂井駅経由の列車の方が次第に多くなっていったという。ちなみに1977年(昭和52年)の平日時刻では、下りの26本の内の7本が新垂井駅経由だった。新垂井発時刻と行先は、6:51網干、7:26西明石、9:19米原、14:09西明石、17:36関が原(休日運休)、20:13米原、21:35米原と標されていた。

 そして遂に1986年の10月31日に新垂井駅は廃止となった。しかし迂回線は現在でも廃止される事なく、特急列車、貨物列車の下りのバイパス線のように利用されている。

なおも駅の痕跡を色濃く残す…

 新垂井駅の廃駅から25年過ぎた新世紀の2001年、青春18きっぷを手にし、東海道本線の列車を乗り継いで、垂井駅に降り立った。

JR東海道本線・垂井駅前の地図に残る新垂井駅の表記

 駅前に設置された観光地図の看板を見ると、迂回線上に、未だに新垂井駅の場所が示されていた。たぶん放置状態の看板のため、残っているのだろうが、文字は薄くなり、塗料の痕跡程度でしかないが、一応「新垂井駅」と書いてあるのが認識できる。

 新垂井駅への行き方だが、バス路線はとうに廃止され公共交通機関は無い。…となるとタクシーしか無いが、それもお金が惜しいので、約4km北の新垂井駅を目指し歩き始めた。

 垂井の市街地を抜けると水田地帯に入った。適当に北に向って歩いてしまったため、散々迷い、見当をつけながらも、その辺りをさ迷い歩いた。その甲斐あってか、架線を見つけた。

 そして集落の中に、単線なのに一部たけ架線柱の幅が広い部分があった。そこが駅跡なのかと思い、地元の人に確認し、ようやく新垂井駅跡を見つけた。

国鉄東海道本線・新垂井駅、駅舎跡地

 かつての駅前は医者や製材所などの他、十数軒の人家があるだけの静かな所で、周辺には水田などで間隔を置いて人家が散らばっている程度だ。駅舎跡はすっかり草が生し、駅舎前の駐車場だった思われるアスファルトの空き地は、柵で囲まれている。

 その近くには、ハイキングコースを示した大きな地図が立てられている。駅の北の方は小高い山が連なり、昔はハイキング目的の乗客も、この駅を利用したのだろう。だけど、今になっては、こんなものを掲げていて、一体誰が見るというのだろうか…。

 濃い目のピンク色の花を咲かせているしだれ桜の横を通りホーム入った。とても長いコンクリートのプラットホームが「本線」である東海道本線の駅である貫禄をいまだに感じさせる。しかし廃駅から15年近く過ぎ、所々では雑草がコンクリートを割り生い茂っている。本線上の隣りの待避線横にホームがあり、かつては特急などの通過待ちもあったのだろう。しかし、待避線のレールは剥がされ、本線との間にはぽっかりと空間が出来ている。踏切が鳴り列車の気配が近づくと、富山行き特急しらさぎ号が通過していった。

東海道本線・新垂井駅跡を通過する485系ボンネット車の特急しらさぎ
国鉄東海道本線・新垂井駅跡のプラットホームの桜

 ホーム上には十何本もの桜の木が植えられ、昔は春になり花開くたび利用客の目をさぞかし楽しませていた事だろう。私が訪れた時はほとんどの木が5分咲きで少々残念だったけど、中には満開に近い木もあった。桜の木の下の日陰で、ここに来る途中で買ったパンと赤飯を花見気分で食べた。駅の周りは数軒の人家と畑で、新緑の山が目の前に迫ってくるような位置にある。とてものどかな風景の中にある廃駅の桜を独占し、のんびりとした時を過ごした。

東海道本線、廃駅となった新垂井駅。荒れたプラットホーム

 ホームの大垣寄りは、隣りの畑から土が崩れてきたのか、コンクリートであっただろうホームは、荒地のようになっていて、雑草が茂っている。足を取られないよう慎重に先に進むが、乱れるように茂る雑草と根っこのような木が続くばかりだ。

新垂井駅で使われていた??ホーム跡に埋もれた染付けの和式便器

 荒地と化したホーム大垣寄りを歩いていると、草木の中から、青い物が姿を見せていた。何だろうと、足で草木を掻き分けると、何と染付けの和式便器が出てきた。いつから打ち棄てられているのだろうか…。駅の古いトイレでは、このような便器が使われているのを何度か目にした事がある。もしかしたら、新垂井駅のトイレで、実際に使われていた物なのかもしれない…。

東海道本線・新垂井駅の廃駅跡。プラットホームが残る。

 プラットホーム東側外れにある跨線橋の上から、駅を見下ろしてみた。とても長いホームで、先ほど通過した7両編成の特急しらさぎが停まったとしても、まだ余裕がありそうだ。

 雑草で覆われている部分は多いが、コンクリートのホームは頑丈に造られているようで、時を経ても割としっかりとし駅らしい姿を保っている。待避線にレールを敷くなど手を加えれば、すぐにでも駅として営業できそうな雰囲気だが、それももう叶わないのだろう。ただ、廃駅後も忘れずに咲き誇る桜の華やかさが、責めてもの慰めに映った。

[2001年4月訪問](岐阜県不破郡垂井町)

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