その後の行川アイランド駅
最寄りのレジャー施設「行川アイランド」が2001年に閉園されたにもかかわらず駅名が変更されなかった行川アイランド駅。
行川アイランドは1964年(昭和39年)開園し、フラミンゴショーを看板に何十年も昔は賑わっていたというが、県内にレジャー施設が相次いで開業すると競争相手となり衰退、閉園の道を辿った。
その最寄駅として1970年(昭和45年)7月2日、臨時駅として行川アイランド駅が開業した。その後、常設駅に昇格となり、特急列車まで停車するなど賑わうようになった。
行川アイランドの衰退とともに駅利用者も少なくなっていたが、閉園後は1日20人程度まで乗客数は落ち込んだ。そんな経緯でも駅名が変わらなかった事や、広大な園跡地はそのままでで、行川アイランド駅は秘境駅とみなされるようになっていったのだろう。
閉園され久しいが、園で飼育されていたキョンというシカ科の外来動物が逃げ出し、房総半島を中心に大繁殖し農作物への食害が深刻というニュースが時折報じられる。残した負の遺産の話が、ああ昔そんな所があったなと人々に行川アイランドを思い出させるのだろう。
行川アイランド駅には2007年10月に訪れ、賑わいの残り香漂う駅が強く印象に残った。それから駅舎が建て替えられるなど変化があったが、今どうなっているのだろうとずっと気になっていた。訪れてから16年と半年が過ぎようとする頃、久しぶりに訪れる事にした。
約16年振り、新しくなった??行川アイランド駅
4月のある日、行川アイランド駅に降り立った。
ホームを少し西側に歩くと近くの名所を案内する看板があって、いまだ行川アイランドが記載されていた。
「まだ消していないんだ…」
と思ったが、その部分だけ白く霞んでいるので、シールか何かで隠していたが剥がれたのかもしれない。
看板には「おせんころがし」という名所も併記されている。昔、重い年貢を課した領主を民衆が怒って崖から海に投げて殺したが、それは身代わりに父の変装をした娘のおせんだったという事件があった。悲劇の現場はおせんころがしと言わるようになり、おせんの供養塔が建立された。
私が訪れた時、ホーム上の待合所はトタンなどでできたボロ屋だったが、前述の通り新しく建替えられた。ガラス張りの4~5畳ほどの空間にベンチが数脚置かれている。
2階建て位の高さの構造物が待合室にくっつき一体化している。扉もあるが鍵が掛けられている。倉庫か何かにでもなっているのだろう。
じっくり見たいが、列車を待つ乗客が中にいる。
「おお、ちゃんと地元の人に使われいるんだ…」
あたりまえだが、北海道で利用者ほぼゼロの駅を見てきて感覚が麻痺してきたようだ。中は後で見る事にしよう。
ホーム沿いの改札口跡までの長い通路というか敷地は相変わらずあった。かつて、この長い敷地を見て、学校の遠足などでホームが団体で溢れかえるのを防ぐための待機場所だったんだろうなと想像したもの。
駅舎改築を機に、駅全体をもっとコンパクトにすればいいのに思ったが、改札口跡まで行かないでも駅の外に出られるし、そこまで手間をかける程でもなかったのだろう。
さあ、改札口跡まで歩いてみよう…
少し歩くと、右手の茂みに基礎部分だけ残った何か建物の跡があった。自分の記憶と照らし合わせるとトイレがあった場所と思ったが…。でもこんな狭かっただろうか。そこで、自分の行川アイランド駅の訪問記をスマホで開いてみると、やはりトイレだった。
トイレの横には、上屋の下にコインロッカーがあったもの。しかしこちらも既に撤去済みだった。
トイレ跡の数歩先の右側には茂みの中から藤が木が伸びていて、ちょうど紫色のきれいな花を咲かせていた。
「そうそう!ここに藤棚があったよなぁ。」
春から初夏の行楽シーズン、鉄道で行川アイランドを訪れる人々の目を楽しませてきたのだろう。老朽化した藤棚は撤去されたのだろが、いまだに木は残り花を咲かせているのが嬉しい。
そしてアスファルトの上に規則正しく点々と標されたコンクリートの跡と、その横の花壇の跡かと思わせるブロックの仕切りがある茂み…。まさに改札口の鉄パイプを引っこ抜いて埋めた跡と、駅舎の跡だ。駅舎と言っても、切符売場と改札のためだけ小屋といった程度のものだが。トイレもそうだが、無くなってしまうと随分とちっぽけに見えるものだ。
そして、旧駅舎跡地の正面に立って駅を見渡してみた。駅舎は無くなったが、両サイドの蘇鉄は以前のまま。16年前と同じように南国らしいムードを奏でていた。
そんな風景の中、何故か電話ボックスと中の公衆電話もそのままだった。携帯電話が普及し街ではだいぶ見なくなったが、なぜこんな秘境駅に…?1ヶ月に1回でも使われる事があるのだろうか…
少し進んだ所に勝浦市の観光地図の看板があった。その横に人の背の高さほどの、フラミンゴが彫り込まれた何か石材の板が添えられていた。フラミンゴと言えば行川アイランドのフラミンゴショー…。もしやと思って地図を見ると、行川アイランドがしっかり表記されていた。
フラミンゴの石の板はいまだに立派で映える。かつては石板のフラミンゴと共に記念撮影する人もいた事だろう。
閉園されてから20年以上。そのままとは…。いや、観光目的でこの駅に来る人はもはやいなく、撤去するのも費用がかかり面倒。むしろ秘境駅巡りやB級スポット巡りが好きな物好きのためにあえて残しておくのが趣あるというもの…、という事だったりして。
最寄りの町、浜行川に行ってみる
ちょっと周辺をぶらつこう…
行川アイランドは、チケット売り場と言った入口付近のほどんどの施設はもう取り壊されたが、広い駐車場は依然として残っていた。園内部へのトンネルはフェンスで塞がれながらもぱっくりと口を開けたまま。
敷地はホテル経営などを手掛ける企業が2004年に購入したというが、これと言った変化無く時は流れた。今後リゾートホテルが建つ予定らしい。しかし、工事をしているなら、工事用車両や人の出入りなど何か気配があっていいものだが…。どうやらまだ未着工の様子。
近くにある浜行川の町に行ってみようと国道128号線を東に歩いた。右側には行川アイランドの駐車場が延々と続いた。最盛期はこんな隅の方まで車で埋まったのだろうが今は空っぽ。大きな街とか近くに強力な観光地があるならよかったのだろうが、そうでなければ広大な跡地は転用し辛い。
遮断機か駐車券発券機か…?駐車場の出入口には何か機械の箱が、なぎ倒されたかのように折れたまま放置されていた。
海岸沿いに山が迫るような険しい地形を切り開いた道の両側には、家屋が寄せ集まっていた。
15分程歩くと、浜行川の中心地に着いた。商店が一軒と漁港関係の建物の他は、民家が寄り集まった静かで町だ。
カメラを持ってウロウロする私に、地元のおじさんが話しかけてきた。
「あそこ行くと眺めがいいよ。」
と上の方を指さした。崖の上のような場所に神社があるらしい。折角だから上ってみよう。
急な階段を上り切ると、狭い敷地に神社があった。八坂神社といい、小さいながらも立派な社殿を構えている。ただ無人のようでひっそりとしている。
神社からは房総半島の海岸や太平洋を一望の下にする絶景が広がっていた。そんな海の原風景の中、浜行川の漁港と町並みがささやかにある。僅かに開けた土地に、漁業を生業にする人々などが住み着いていったのだろう。
ソメイヨシノの季節は過ぎたが、八重桜はちょうど花盛り。神社は満開の桜に包まれていた。
同じ道を行川アイランド駅へと引き返した。
行きに「行川小学校」という看板が道沿い山側にあるのには気づいていた。高台で見えないが、もうやってなさそうだよなぁという雰囲気だった。
帰路では元行川小学校と標された別の看板があり、津波や地震発生時の緊急避難場所として表示されていた。
「元…、元行川という名前?いや、やっぱりもう閉校されたのか…」
緊急避難場所として案内されている位だから、立ち入り禁止ではないだろう。ちょっと見に行こうと急坂を上がった。
上り切るとコンクリートの校舎があった。ただそこから声は聞こえてこなく、くすんだ建物からは生気は感じられなかった。草むした校庭の片隅には二宮金次郎の像と立派な創立百周年記念碑がひっそりと建立されたままだった。
駅に戻りプラットホームをぶらぶらしていると…
行川アイランド駅に戻って来た。
跨線橋から駅全体を見渡してみた。海近くの急峻な地形を切り開きよく鉄路と道路を通したもの。にもかかわらず行楽駅として何とかスペースを作り出しているとわかる。
待合室を見てみた。何脚かのベンチに乗車証明書発行機、壁に掲示物があるだけのシンプルな設備。扉は無く締め切りできなく、壁はガラス張りで見通しがいい。付近は家屋が無い町外れなので、防犯目的であえてそうしているのだろう。
列車が来るまでの暇つぶしに、勝浦方のホーム東端まで歩いてみた。長いホームはカーブがかかり見通しは悪い。昔は特急や長大編成の普通列車がホームいっぱいに編成を横たえたのだろうが…。
今度は安房鴨川方のホーム西側に歩いてみた。床にはいまだに特急停車位置の案内が標されたままだった。
ホーム西端まで来てみた。谷底にあるようなホームと、眼前にトンネルが迫り秘境駅感がより増してくる。
今では誰も来なさそうなこんな端っこだが、車掌用のモニターが設置されている。見通しの悪いホームでは必須だが、こんな所まで編成のある列車まだあるのか?もう使われていないのだろうと思い見て見ると、しっかりホームの様子を映し出していた。
待合室のベンチに座っていると、正面の木々が密集した斜面から不意にザワザワと葉が揺れる音がし、ピシッ!バシ!と枝を叩くような音も聞こえてきた。
「えっ!」
と思い木々の方を見た。音はしきりにまた聞こえてきた。鳥が枝にとまる音にしては大きい。何か動物がいるようだ。行川アイランドから逃げ出したというあのキョンか?まさか熊か!?人里での熊の目撃情報が頻発している今日、それも不思議ではない。扉の無い待合室しかない駅に逃げ場はない。逃げた方がいいのかと思いながら立ち上がり、音の方向を注視し続けた。
すると木の切れ間から、小さな動物の群れが素早く移動している姿が一瞬見えた。正体は猿だったよう。一安心しベンチに座り列車を待った。
[2024年(令和6年)4月訪問](千葉県勝浦市)