車窓の外に見えたモノ…
常磐線の下り列車に乗車中、楢葉町の木戸駅に停車した。反対側の上りホーム側を見ると、お城のミニチュアが置かれているのが目に入った。ミニチュアと言っても、人の背丈の高さはあろうかという大きさで、かなり目立つ。思わず目がぐっと引き付けられてしまう。
上り列車で折り返している時、再び木戸駅に停車した。やはりあの城に目が行ってしまう…

上りホームで車窓の真ん前だ。何気に見ていると、城の周囲が浅く掘られコンクリートで整えられいる事に気付いた。それはまるで池であったかのように…。
城のミニチュアが置かれているとだけでも印象に残るのに、まるで濠を模した、あるいは水上の城を思わせるような凝った展示していたなんて。そうなると、俄然、興味が増し、予定を変更し数駅過ぎた所で再び下り列車に乗り。木戸駅に舞い戻ってきた。
駅舎側1番、驚きの枯池!
何とか木戸駅に下りる時間を捻出したため、時間的に余裕は無い。列車が駅舎側の1番ホームへの到着だったため、駅舎を手短に撮影して、城のミニチュアのある2番線に向かおうとした。すると、この1番線にも枯れた池のある庭園があるのに気付いた。まさかあの城の他にもう1つ池の跡があったなんて…。意外すぎる収穫に驚く事しきりだった。

池の中程にデンと石が居座り、池の底面からは雑草が生い茂っている。池の横は丘を模したのか、コンクリートがこんもりと盛り上がった造形だ。その上には松や燈篭などが配され、どこか日本庭園的な造りもある。よくある感じだなと思い池を見ていたが、とても凝った仕掛けがあるのに気付き、目を見開き唸らずにはいられなかった。

それは丘のような造形の部分に、長く浅い溝が設けられ、枯池へと下るように繋がっていたからだった。起点となる頂上の溝の端には、プラスチックの管が見える。そう、その「溝」とは水路!いや川なのだろう。プラスチックの管は注水口なのだ。言うなれば、この池はウォータースライダー型という飛んでもない池庭だったのだ。

~丘の上から水が川を下るように流れ、やがて水を湛えた池に注がれた。池の中では金魚がスイスイと泳ぐ…~
この池が現役の頃はそんな感じだったのだろう。そんな事が頭の中に自然と思い浮かび、とても楽しい気分になってくる。きっと乗降客たちもそうだったのだろう。たかが駅のちょっとした飾りのはずの池に、これほどまでに凝り遊び心に満ちたたものを造ったとは…。しかも上りホームには、ミニチュアの城を配した池まである。二つのユニークでインパクトのある池庭を発見した驚きは、3倍にも4倍にも達する心地だ。駅の中の池庭・枯池を見るようになって、まだ多くを見てきた訳ではないが、ユニークさでは、西の横綱が池谷駅(JR四国・高徳線)なら、東の横綱こそこの木戸駅だろう。
そして2番線のあのお城…
もっと見ていたかったが、上り列車の時間が迫ってきたので、急いで跨線橋を渡り、本来の目的だった2番ホームのお城のミニチュアを目指した。

あまり時間が無いながらも、城のミニチュアの前に立った。他の枯池のように、水が張られた池だったとは断言できないのかもしれない…。しかし、単に城のミニチュアを展示するのに、わざわざ周りを掘ってコンクリートで整えるのは無駄だし、石垣の下の方だけが色が薄くなっているのは、かつて水に浸かっていたのでは思わせ、隅に排水口と思われる管があるなどの理由で、私はかつてここには水が張られていたのではと思っている。築城しただけでなく、何とお濠まで造ったのだ!

同じ列車を待っていた地元のおばさんが、このお城は、かつてこの地域にあった城をイメージして作られたものだと教えてくれた。
[2006年(平成18年1月訪問)](福島県双葉郡楢葉町)
木戸駅訪問ノート

駅の開業は1898年(明治31年)8月23日。当時は国有化前で、私鉄の日本鉄道の路線だった。
今の木造駅舎は1936年(昭和11年)築。改修されていて、デザインこそ違うが、隣の竜田駅と似た雰囲気の駅舎だ。
2011年(平成23年)3月11日より、東日本大震災による福島第一原発事故による営業休止となっていたが、2014年(平成26年)6月1日、広野駅‐竜田駅の復旧により営業再開となった。
~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の一つ星駅舎~