亀田の街を通りつつ…
羽越本線の秘境駅として知られる折渡駅から羽後亀田駅を目指し自転車を走らせた。
羽後亀田駅まで500メートル手前まで迫ったが、進路を90度東に向けた。自転車で柔軟に色々なルートを取れるので、折角なので駅名の由来となっただろう亀田の町を見てみたいと思った。
坂を越え軽快に下ると亀田の街並が現れた。少し自転車でぶらついた。車がすれ違える程度の町を東西に貫く道は、メインストリートなのだろう。シャッターや看板建築風の面構えなど、お店っぽい家屋が並ぶが、今、現役で営業している所はすごく少ないよう。だけど人の気配はそこそこし、今は田舎の宅地と言った感じだ。
そんな町並みの中、洋風のレトロな家屋があった。2階の高さに何やらエンブレムのようなものが付いているの目が吸い寄せられ「ああっ!」と思わず小さく唸った。郵便マークを囲う葉っぱや花の模様…。かつての亀田郵便局の局舎だ!1階部分はシャッターに改装されているので、移転後は店舗に転用されたのだろう。今ではその店舗も閉業したようだが。
移転後、何十年…、いや半世紀以上はゆうに過ぎているのかもしれない。しかし、金色のエンブレムを戴く様は、この建物のかつての歴史を誇っているかのように輝いていた。
さて、羽後亀田駅を目指そう。駅はここから約2.5㎞西と、ちょっと離れている。
大正築の木造駅舎
亀田の町並みを抜け走り続けると、人家は少なくなっていき、車窓から駅間のひっそりとした風景を眺めているような気分。
やがて羽越本線の踏切に差し掛かり、越えて左に曲がると、羽後亀田駅のプラットホームや跨線橋が見え、そして駅舎の前に出た。
羽後亀田の駅舎は横に長いやや大きめの木造駅舎で、駅開業の1920年(大正9年)以来のもの。今年2023年で築103年というご長寿。
桜の木が一本、寄り添っているのもまた風情溢れる。
この羽後亀田駅、松本清張の小説「砂の器」で、事件のキーポイントとして登場した駅として知られる。被害者の「カメダ」という言葉が含まれた会話から、カメダとは地名で東北訛りだった事から、捜査でこの地を訪れるという流れだ。(結局、ここではなく「カメダ」とは違う駅だった訳だが…)
とりあえず、駅巡りの旅を共にしている折りたたみ自転車・BROMPTONと木造駅舎で記念撮影。自分が入る気は無いけど(笑)
大正築の木造駅舎は木の風情溢れる。バス停のポールがちょこんと置かれているのも田舎風。時刻を見ると本数は少ないけど。
木の質感が趣深いが、壁面に銀色の釘の跡が点々と規則正しく並んでいるのが目に付いた。古い木造駅舎ではこんなふうに釘は目立たないが、十何年か前にどうやら改修で正面の板を張り換えたらしい。それがまた年月が巡って使い込まれ古びた質感を得つつある。新建材等でもっと簡単に改修できたはずだが、よくこんな味わいある改修を施してくれたものだ。
正面右側の庇の部分は、JR東日本カラーを意識したのか、緑色に塗られている。でもこちらは板が張り換えられていなく原形のまま。軒を支える柱など、より古びた木の質感を感じる。
車寄せも昔ながら造りをそのまま残している。このへんは折渡駅の前に訪れた新屋駅と同じ造り。正面の軒支えは彫り込みなどの装飾が施された凝った造り。欄間や長押のような側面の板は古び木目浮く。やはり長年の使用でガタが来ているのか…、よく見ると側面の板の部分は少し曲がっている。
哀愁の羽後亀田駅
暑さがピークの午後、ちょうど列車の間隔が空く時間帯で、乗降客の姿は無い。しかしトラックなど車が時折やってきては、ドライバーが出てきて、自動販売機で飲み物を買ったりトイレを使ったりしている。広いスペースがあり、気軽に車が停められる穴場なのだろう。
待合室に入った。無人駅となっていて窓口は塞がれていた。ベンチは何故か新しかった。
簡易委託が取りやめになり、完全に無人化されたのは、半年前の3月18日。窓口を塞ぐ板が白っぽく真新しいのがそれを物語る。ついこの前までは、昔から使い継がれて来たこの木のカウンターで切符のやり取りをしていたんだなぁ…
駅舎のホーム側は新建材で改修され上屋も鉄筋製の新しいもの。正面とは打って変わって、昭和40年代か50年代に新築された駅舎のような雰囲気。
2面3線の配線を持つが、ダイヤ改正の3月18日より島式ホームの2番3番線での乗降は無くなった。「列車の発着は1番線から」と注意書きが貼られたカラーコーンが置かれていた。自転車でやってくる時、鉄パイプが組まれているのを見て何か工事をしているのかと思っていたが、ホーム上屋の解体をしてるようだ。それにしても歴史感じる石積みのホームが使われないなんて、何やらもったいない。
折りたたみ袋に収納した自転車を、ホームに上げておこうと1番ホームに向かった。
ふと振り返ると、駅舎横の枯池にハッとさせられた。この駅に来て早々、この枯池の存在に気付いていて、写真撮影も済ましたのだが、駅舎を借景にする庭園跡はまた違った風景を 見ているかのよう。
駅の外から見て…、1番線と駅舎を行き来する人々…、そして1番線から見下ろして…、かつては水を湛え緑豊かだった池庭は、さぞ乗降客の目を楽しませた事だろう。
去り際にもう一度、外に出て駅舎を眺めた。こんな立派な駅舎がある駅、駅前にもうちょっと何かあってもいいような気がするのだが、ポツリポツリと家屋があるだけ。かつてはタクシー会社があったようだが、その建物ももう無い。小高い山に囲まれたこの地には、空地や実りつつある稲があるばかり。秘境駅として知られ、先ほど訪れた折渡駅よりは開けているかなという程度だ。
しかし昔の航空写真を見ても、だいたいこんな感じで、多少の衰退はあるのだろうが、賑やかな街並みが形成された訳でも無さそう。
この羽後亀田駅、合併して由利本荘市が成立するはるか昔、開業の大正時代は、松ヶ崎村という自治体に設置された駅だ。亀田町はその隣にあったのだが、亀田に無いのに亀田と名付けられた。駅は両者の中間に設置された格好だが、位置的には約2.5㎞離れた亀田より、松ヶ崎の方がやや近い。それでも約1.5㎞離れている。
それぞれの自治体が市街地を形成していて、中途半端な位置に設置された駅の駅前が発展する余地はあまりなかったのかもしれない。それでも駅は賑わっていたのだろう。モータリゼーション前なら、バスや或いは歩いて駅に通い列車に乗った人も大勢いたのだろう。
そろそろ羽後亀田駅を立ち去る時間。秋田行きは、これまでなら跨線橋を渡らなければいけなかったが、1番線に統一されたお陰で、重い自転車を抱え渡らずに済んだ。
やってきたのは701系電車。今やすっかり北東北の顔となったものだ。
[2023年(令和5年)9月訪問](秋田県由利本荘市)
- レトロ駅舎カテゴリー:
- JR・旧国鉄の二つ星レトロ駅舎