那古船形駅(JR東日本・内房線)~時の流れの中感じる変化の中、木造駅舎は佇む~



14年振りに那古船形駅へ…

 早朝、宿をチェックアウトし館山駅からわずか一駅、那古船形駅で降りた。2007年に訪れて以来、約14年振り。木造駅舎が印象深く、いつか再び訪れたいと思い続けていた。

内房線・那古船形駅、1面1線の棒線駅になり跨線橋が撤去された駅構内

 ホームに降り立つと、金網のフェンスで仕切られた1番線の向こうに、あの木造駅舎が佇んでいるのが見えた。かつて島式ホームの1面2線の配線だったが、駅舎に近い1番線側は廃止された。

 そして跨線橋も撤去され、随分とすっきりしたのも驚かされた。17年前、跨線橋の上から周囲の風景を眺めたのが懐かしい。

 廃止された1番線側はレールが剥がされ、スロープや通路が整備され長い階段を昇降しなくても駅舎と行き来できる。跨線橋は無用の長物として撤去されるのも納得。

 跨線橋がある駅で、駅舎側をホームにすれば、階段を昇降する面倒は省けるからそうすればいいのにと思う事は多い。しかし現実、なかなかそうはならない。乗降客の負担を取り除く那古船形駅の改修は、評価に値する。

JR内房線・那古船形駅の木造駅舎、千葉地区独特のホーム側窓口

 駅舎ホーム側の改札口近くにはカウンターのある窓口の跡があった。精算窓口がこの位置にあるのは、千葉県内のJR駅でよく見られる造りだ。

内房線・那古船形駅の木造駅舎、旧屋外改札口付近の上屋

 ホーム側には昔ながらの木造の軒がまだ残されていた。駅舎横の屋外の改札口があったと思われる所まで覆われていた。

千葉県に残るJR随一の木造駅舎

 駅舎の外に出てみた。

JR東日本・内房線、古い木造駅舎が残る那古船形駅

 正面側は使い古された木の板が露で素朴な造りなのが、いかにも昔からの木造駅舎らしさ漂う風情で味わい深い。

 那古船形駅の開業は1918年(大正7年)8月10日。この木造駅舎は開業以来のものと思われる。

内房線・那古船形駅、古い木造駅舎に掲げられたホーローの駅名標

 古く堂々たる木の車寄せには、国鉄時代からのホーローの駅名標がとてもよく似合う。

那古船形駅、木造駅舎は内房線仕様に改修されたが塗装は剥げてきた

 私が訪れた2007年は、ちょうど改修されて間もない頃。他の内房線の木造駅舎のように、水色の屋根に白色の壁という「内房線仕様」の改修が施されていた。特に白くペンキで塗られた木の壁は艶々と光り輝くかのようで、木造駅舎には不釣り合いに思えた。

 そんな壁も、17年程度で白いペンキはほぼ剥がれた。こびりつくように残った部分ももう輝きは無い。他の内房線の木造駅舎は新建材等で改修され、趣が落ちた中、那古船形駅は木の外壁が残ったのを嬉しく思っていたが、こうなってしまったのを見ると、古い木造駅舎のメンテナンスの難しさを感じる。

内房線・那古船形駅、古く木造駅舎らしい造り

 近くで見ると、使い古された木の凄みがより迫りくるかのよう。窓はさすがにサッシに替えられていたが、一つ長い窓を木の板で塞いだ痕跡が残っていたのが気になった。

 そろそろ再塗装の頃合いだと思う。できれば本来の木の質感を活かしてほしい。しかし築100年を超えたと思われる木造駅舎、老朽化が進んでいる事だろう。いっその事そろそろ建て替えをとならなければいいが…

内房線・那古船形駅、無人駅となり出札口は塞がれた

 待合室の壁は木目のプリント板になるなど大きく改修されていた。壁と化した窓口跡も昔ながらの面影はなかった。

 改札口横には出札口兼改札口があった。最初に訪れた時は、駅員さんがいたものだが、2019年4月1日より無人化され、現在では虚しく塞がれていた。

那古船形駅の木造駅舎、待合室の古い腰折れ天井

 改修された待合室だが、天井は中心部分が水平で壁に向かって下の方に傾斜が付けられる「腰折れ天井」という造りが古い木のままの造りで残ってて強く目を引く。なんと素晴らしい!

 素朴で何の変哲もない木造駅舎、なぜこんな腰折れ天井が採用されたのだろうか?昭和になると、鉄道省から「小停車場本屋標準図」が通達され、小規模駅舎の標準化が図られた。しかし那古船形駅が建てられた当時は、「この位の大きさでこんな設備を」という要請なら、先例となる他の駅舎を参考にしながらも、それに縛られない設計が出来たのだろう。もしかしたら、設計・施工した人や会社やらが、狭く圧迫感を感じるから、天井だけ少し高くしておこうと提案し、この天井になったのかもしれない。

館山市にある那古船形駅、駅前の風景

 駅前は店舗も少なくひっそりし、町はずれ感が漂う。手持ち無沙汰に西に歩いてみたら、街や港があった。


 この前、来た時は夕方で、ホンダのバイク・スーパーカブが駅舎の前に1台、もう1台と集まって来たのを不思議に思いながら見ていた。運転していた人は駅の名に消えたと思ったら、程なくして新聞の束を抱え戻ってきて、バイクに積み走り去っていったもの。彼らは新聞屋さんで、両国駅からやってきた新聞輸送列車から夕刊を引き取りに来ていたのだった。その新聞輸送列車も2010年3月のダイヤ改正で廃止され、あの不思議な光景も今では懐かしいものに。
(関連ページ: 那古船形駅、ちょっと不思議な夕方の光景~駅に集まるホンダ・スーパーカブ~)


 1番ホームの廃止と棒線化、跨線橋の撤去、無人化、新聞列車輸送の廃止、そして駅舎の塗装の剥がれと、ここ十数年でこんなにも変化があった那古船形駅。時が流れれば変化があるものつくづくと感じさせた。

 今度は駅舎だろうか?でも今度訪れる時、出迎えてくれるのはやはりこの木造駅舎でなければ!

[2024年(令和6年)4月訪問](千葉県館山市)

レトロ駅舎カテゴリー:
二つ星 JR・旧国鉄の二つ星レトロ駅舎