古い木造駅舎が残るという奥町駅へ…
愛知県西部を縦走する名鉄・尾西線、弥富-玉ノ井間は、運行上、新一宮駅(現・名鉄一宮駅)が境となっていて、実質的に別路線となっていると言えるだろう。両区間の列車は、新一宮駅の一番ホームを共有し、南半分を津島・弥富方面行きが、北半分を玉ノ井方面行きが発着している。
玉ノ井行きの列車に乗ると、5分ちょっとで、目的の奥町駅に到着した。運行は約30分間隔と、ローカル線的なダイヤだ。しかし夕方で、名古屋駅から30分弱とそれほど離れていなく、多くの乗客が下車し、駅は賑わっていた。
奥町駅には、1914年(大正3年)築で、名鉄尾西線の前身、尾西鉄道時代に建てられた古い木造駅舎が現役だ。一見、ありふれた素朴な雰囲気だが、ホーム上屋のギザギザとした軒飾りや、車寄せの柱など、さりげなく凝った造形が印象的だ。そして、車寄せの横には赤い丸ポストが鎮座している。古い木造駅舎にはレトロな丸ポストがとてもよく似合う。
駅を見渡せるで位置で、駅舎全体をフィルムに収めようとしたのだが、駅舎を囲むように客待ちのタクシーが連なる。できれば遮る物無くすっきりと全景を撮影したいのだが…。仕方ないので、タクシーに被られながら駅舎を撮影した。近場なので、また来る機会もあるだろう。
古い木造駅舎だからと言って、古いものばかりでない。改札横の一角には、何故か奇妙でユニークなオブジェがあり、目を引いた。花壇の後ろにはカカシがいて、Tシャツに編んだ帽子をまとい、果実や金属の首飾りをしたトロピカルないでたちだ。その他、切り株の椅子のようなもの、軽くペイントされた石、柿の実を付ける枝などが置かれ、背後には植物も植えられる。モダンな庭園と言った感じで、これはもはや、アートの域に達しいる!…のかもしれない。一体誰がこれを作ったのだろう。まさか駅員さんが手間隙かけて…、だろうか?
[2001年(平成13年) 11月訪問]
数年後、奥町駅を再訪
初回の訪問から約1年8ヶ月が過ぎた頃、名古屋駅に来たついでに、奥町駅にでも行ってみようと思いついた。いつも使っているバックには、コンパクトな単焦点レンズ・ペンタックスFA43mm Limitedを付けた愛用機MZ-3を忍ばせている。
前回タクシーに被られ、思うように駅舎の写真が撮れなかったので、人の少なそうな昼を選んだ。しかし、折角来たのに、またタクシーに被られたら骨折り損だなと思いながら、玉ノ井行きの列車に揺られた。
奥町駅に着き、改札を通り、駅舎の外に出ると、側らにタクシーが1台控えていた。やっぱりまたかと思いながら、1台だからすぐにいなくなるかもと期待し、待ってみた。駅舎を見渡せる位置に立ち、写真の構図を考えていると、私と同じ列車に乗ってきたと思われる人が、そのタクシーに乗り込んだ。タクシーは駅から去り、駅舎を遮る物は無くなった。来て良かったと思いならが、カメラを構えた。
改めて駅舎を見渡すと、地味で素朴な木造駅舎が佇む中で、駅入口に設置された昔ながらの丸ポストが、鮮烈な赤色を放っている風景にハッとさせられる。前回の訪問でも、この丸ポストは同じ位置にあり、木造駅舎によく似合う風景だなと思っていたのだが、これ程までに印象的だっただろうかと思わせる程のコントラストだ。
引き返そうと改札口を通った時に、右手前にある、例の庭園を見てみた。すると、前回とは、「展示内容」が変っていた。カカシはいなくなり、代わりに絵が飾られ、背後の花壇には白やピンクなどの可愛らしい花が咲いている。以前カカシの横にあった木は、倍の大きさに成長していた。これは誰が作っているのか気になって、駅員さんに尋ねると、地元の方がボランティアでやっているとの事だった。木造駅舎、丸ポスト共々、この花壇もいつまでも手入れされ、人々の目を楽しませて欲しいものだ。この庭園を密やかな愉しみに、時々、奥町駅に立ち寄ってみるのも、いいかもしれない。
[2003年(平成15年) 7月訪問](愛知県一宮市)
奥町駅舎取り壊しへ…
この奥町駅の木造駅舎は2007年4月頃に取り壊された。新駅舎は簡易な小さなものとなり無人駅となった。また、丸ポストは道路を隔てた場所に移設された。
名鉄新一宮駅は、2005年1月29日に「名鉄一宮駅」に駅名変更となった。
~◆レトロ駅舎カテゴリー: 私鉄の失われし駅舎~