創建の大正時の姿に復原された駅舎外観

 究極の駅舎ホテル・東京ステーションホテルに宿泊し、昼前にチェックアウトした。帰路に就くまでどう過ごそうか考えたが、東京駅丸の内駅舎をじっくり見て過ごすつもりだ。昨日はライトアップされた丸の内駅舎の夜景を存分に堪能した。昼はどんな顔を見せてくれるのだろうか…

 天気は曇り空、だけど駅舎を撮影するのはこの位がちょうどいい。予報通り、空からは雪が舞い始めていた。

重文・東京駅丸の内駅舎、重厚な中央部は皇族用出入口

 開業の大正3年(1914年)に建てられてから約108年、復原された東京駅丸の内駅舎は壮麗で趣深いが、今日もターミナル駅として立派に機能している。内部はドーム部分こそレリーフなどが忠実に復原されたが、他の部分は実情に合わせた造りとなっているのはしょうがない。だけど外観は、これでもかという位、創建の大正時代の造りが見事に再現されている。夜の駅舎はロマンチックなムード溢れていた。だけど、細かい造りや装飾、そしてレンガ壁の質感をより堪能できる日中の光の下で見てこそと思う。

 駅舎の中の一等地と言える中央部分は、皇族用出入口として設計された部分で、レンガ張りのどっしりした柱や装飾された車寄せが重厚。帝都の中央停車場という響きがいまだにしっくり来る。鉄の扉のシンボリックな丸模様は菊を模したものだとか。松が植えられているのが洋風の駅舎でも、日本の駅らしさを感じさせた。

東京駅、巨大だが均整がある姿が美しい洋風の丸の内駅舎

 数々の装飾やホテルの窓が、均整を取りながら左右対称の駅舎中に張り巡らされているように続いているのも壮観だ。

 3階より上が新たに復元された部分で、2階より下は戦災で破壊される前からある部分だ。関東大震災にも耐え、空襲で破壊されたものの、2階より下は何とか持ちこたえた。そして復原につながった。屈強に出来てはいるのだろうが、運が強いのだろう。

 復元された3階部分は新品のレンガを使ってて、使い込まれた古い部分との差がわかる。しかし復原されてから10年になろうとし、両者は徐々になじんできているように映った。

東京駅丸の内駅舎、中央部分の丸窓などの装飾

 中央最上部、4階部分の丸窓は、数時間前、この裏側のホテルのレストランで朝食を食べた時に垣間見えた部分だ。復原前はここに時計がはめ込まれていた。

 両脇の鏡のような銅の装飾など、周囲の装飾もいい。そして頂上のいくつもの取っ手が付いたキャップのような銅の装飾は、仏教寺院の屋根にありそう。ちょとした和風の要素が面白い。

 復原前の写真を見ると、この装飾は無かった。史料を元にこんな所まで再現したのだろうか?

東京駅、洒落たドームも復原された丸の内駅舎

 ドームは内側を見ても美しかったが、外から見ても美しい。丸い屋根から覗き窓のように伸び出たドーマー窓はどこかかわいく、ドーム頂上から突き出たフィニアル(頂華)も印象的。壁は銅板葺きだ。

 ドーム部分を含め、駅舎の屋根は天然スレート葺きだ。スレートは粘板岩を薄い板状に加工したもの。創建時も戦後もスレート葺きだったが、復原にあたり、できるだけ以前のスレートを使う事になり、取り外し後、天然スレートの産地である石巻市の業者に依頼した。しかし東日本大震災の津波で、工場が被害を受けスレートも流出。しかし、何とか回収できたものを使ったという。こんな所にも復興の歩みが息づいているのだ。

 駅前の展望スポットから俯瞰するのもいいが、地上の同じ高さから全体を見渡してこそ、東京駅丸の内駅舎は大きさがより迫りくるように実感できるもの。しかし大きすぎて、普通のレンズでは収まりきらない。なので、カメラのパノラマ撮影機能を使い、駅舎全体をなんとか収める事ができた。

東京駅展望スポットの駅前のビルへ再び…

 地上から堪能した後は、昨日、夜景を見た駅前のビルの展望スポットから見る事にしよう。まず新丸の内ビルディング(通称: 新丸ピル)の7階に上がった。

 すると、昨日見て知ってたはずなのに、視界が開けた途端「うわぁ…!!」と思わず、感嘆の声を漏らした。眼下には極上の駅舎風景をがあった。あの壮大な東京駅丸の内駅舎を一望の下にした風景はもちろん圧巻だ。だけど公園のように広がる駅前広場は、何と悠然としてる事か。一日50万人以上の乗客で混み合う一大ターミナル駅とは思えない。以前は駅の真ん前まで、道路が通り、車がたくさん乗り入れていたが、駅舎復原4年後の2017年(平成29年)、整備された駅前広場も供用開始となった。

 今回は駅舎を撮影したくて、木々が茂っていない冬にあえて訪れた。しかし並木の新緑萌えいずる春に歩いてみるのもいいかもしれない。

雪で霞む東京駅に進入する中央本線の列車

 ホテルを出た時、雪はぱらつく程度だったが、急速に降雪は強くなっていった。さっきまではよく見えていた、レンガの駅舎や中央線の列車さえも白く霞んでいた。

大雪で霞む東京駅丸の内駅舎を行幸通りから見る

 新丸ビルを出た後は、昨日と同じように行幸通りを通り丸ビルに向かった。

 雪の勢いは衰える事を知らない。もう大雪だ。だけどこんな時でも、丸の内駅舎をを撮影しようとしている人がいた。いや、周辺を通ると、どんな時でも大抵誰かが駅舎を撮影しているものだ。都内の観光スポットとしての人気の高さが窺える。

 さて、丸ビル5階の展望デッキ前までやってきたのだが…、悪天候で閉鎖されていた。ちょと来るのが遅かったようで残念。

 気を取り直して正面右手にあるKITTEに渡った。昨晩、KITTEにも来たのだが、立ち寄っていない展望ポイントがあった。

KITTE旧東京中央郵便局局長室から見た東京駅

 それが4階にある、この旧東京中央郵便局の局長室だ。内部は吹き抜けの商業スペースにリノベーションされ様々な店舗が入る。しかし、この一室は昔の名残を留めるように残されている。レトロな室内から丸の内駅舎を見ると、古き昭和に時代が遡ったかのよう。だけど局長さんはこんな風景は見慣れていたのだろうなぁ…

 そして6階の屋上庭園・KITTEガーデンに上がった。こちらは幸いにも、閉鎖されていなかった。

背後にホーム広がる東京丸の内駅舎、南端部分

 KITTEガーデンで斜め横から見た東京丸の内駅舎は、道路一本隔てただけで、より近くからダイナミックに眺められる。

 左右対称に均整を取った姿が印象深い丸の内駅舎だが、南ドームから南東に折れて、少し先まで建物は続いている。なので厳密に言えば、左右対称とは言えないかもしれない。しかし、この駅舎南端部分、ヨーロッパの街でメインストリートから一本入った、少し落ち着いた通りの建物のような風情に魅かれる。3階部分は東京ステーションホテルのサウスウイングというカテゴリーの客室になっている。この旅では駅舎中央のパレスビュールームに泊ったが、いつかはこのサウスウイングにも泊まりたものだ。

KITTE屋上から見た東京駅ホームと列車、丸の内駅舎

 屋上庭園からは東京駅ホーム南側を望め、走り行く列車を間近で見下ろせる絶好のトレインビュースポットだ。こんなに寒くなければ、もっと眺めていたい。

 KITTE内の千疋屋でデザートを食べ店の外に出ると、悪天候で屋上ガーデンは閉鎖されたという告知が掲示されていた。

雪景色の丸の内駅舎

東京駅、雪深い丸の内駅舎、南口付近

 外に出ると、雪は鎮まる気配が無い。それにしても、今日は本当に雪が強く降るのものだ。

 ホテルをチェックアウトし、色々な所から丸の内駅舎を眺め、3時間位して駅舎正面に戻って来た。

大雪の東京駅、丸の内駅舎前の松の木々にも雪が積もる

 すると景色は雪国のような風景に一変していた。皇族用出入り口に植えられた松の木々も雪化粧で真っ白だ。

雪降るの東京駅、僅か数時間で丸の内駅舎の屋根も雪で白く…

 東京駅丸の内駅舎は長く、遠く北の端を霞ませるほどの雪。ドームや屋根は降り続いた雪でうっすら白くなり始めていた。

 それでも駅舎を撮影する人は居なくならない。いや、むしろ増えているような…。滅多に無い東京丸の内駅舎の雪景色に、誰もが心高ぶらせている。私も雪で髪を濡らしながら撮影に夢中になった。

雪降り続く東京駅、駅長室から出て融雪剤を撒く駅員達

 だけど駅員さんは通行人が転ばないように気を遣うのだろう。駅長室からぞろそろ出てきた駅員さん達は、融雪剤か何かを盛んに撒き始めていた。

レンガが印象深い東京駅丸の内駅舎、中から灯りが漏れる…

 外は東京としては珍しい極寒でも、レンガの内側、東京ステーションホテルのロビーラウンジから漏れ出る光は温かだ。


 帰って振り返ると、下調べをあまりしなかったため、見逃しているポイントがいくつもある事を知った。それもいい。大きな存在なので、一生、付き合っていく駅舎だろう。何度でも行けばいい。

[2022年(令和4年)1月訪問](東京都千代田区)

レトロ駅舎カテゴリー:
三つ星 JR・旧国鉄の三つ星レトロ駅舎
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東京駅丸の内駅舎の歴史

 明治の頃、日本鉄道の上野駅と官設鉄道の新橋駅を結ぶ計画があり、その途中に中央停車場が設置される事が1896年(明治29年)に決まった。

 ドイツ人のお雇い外国人で鉄道技術者のフランツ・バルツァーにより位置など概要が策定されたが、彼が提案したのは和風駅舎。しかし、これには日本側からの反対意見が多く実現しなかった。

 そこで新たに中央停車場を設計する事なったのが、建築家の辰野金吾と葛西萬司。二人は共同で建築事務所を経営していた。辰野金吾は日本銀行や今は無き万世橋駅舎など数々の名建築を設計した事で知られているが、1907年(明治46年)に開業した南海の浜寺公園駅の洋風木造駅舎は、彼が初めて手掛けた鉄道駅舎だ。

 1914年(大正3年)12月20日、中央停車場は東京駅と名付けられ華々しく開業した。レンガを纏った巨大な駅舎は3階建てで、長さ335m、総床面積は約23,900平方メートルにも及ぶ。洋風建築の壮麗な駅舎は瀟洒で豪華。皇居の前にそびえ、駅舎中央には皇族専用の出入口が設けられた。後に整備された皇居へまっすぐ伸びる道は、天皇の外出を意味する「行幸」通りと名付けられた。まさに帝都の中央停車場に相応しい風格に溢れる。

 駅開業翌年の1915年(大正4年)には、2階3階部分に東京ステーションホテルが開業した。

 丸の内駅舎は1923年(大正12年)の関東大震災では大きな被害無く耐え忍んだが、1945年(昭和20年)5月25日の東京大空襲では、大きな被害に遭った。

 戦後復興で1947年(昭和22年)に駅舎は修復された。しかし3階は再建されず2階建てに。ドームはローマのパンテオンを模した壮大なものだが、装飾としてはシンプルなものになった。

 取壊し計画はあったものの、幸いにも立ち消えになり、2003年(平成15年)には国の重要文化財に指定された。駅舎としては1988年(昭和63年)に重要文化財に指定された門司港駅舎に続き2件目だ。

 21世紀に入り、東京駅丸の内駅舎を創建時の姿に復原される事が決まり、2007年より保存・復原工事が始まった。そして2012年(平成24年)10月1日、創建時の姿を取り戻した丸の内駅舎は再出発を果たした。昔の姿を取り戻しただけでなく、次の時代に引き継ぐため、強力な耐震補強もなされた。

 そして2014年(平成26年)12月20日、東京駅は生誕100周年を迎えた。

東京駅の隠れた見所、丸の内中央口

 午後4時過ぎ、山手線でこの旅の最大の目的地、東京駅に到着した。

東京駅コンコース、レンガ造りの丸の内駅舎が垣間見られる

 丸の内出口の方に向けて歩いていると、レンガの構造物に突き当たった。壮麗なあの丸の内駅舎の一部が早くも目の前に現れた。雑踏の中で、レトロなレンガの壁は存在感に溢れる。壁には「関東の駅百選認定駅」の金色のプレートが誇らしく輝いていた。

 今日の宿はこのレンガの内側、東京ステーションホテルだ。

 とりあえず目の前にあった丸の内中央口から改札の外に出た。丸の内駅舎はきらびやかなドームがある南口と北口が強烈な印象だが、それらにくらべれば、中央口はだいぶこじんまりとしている。

 しかし白い大理石の壁や吹き抜けの空間は高級ホテルのような気品漂う。しかし壁の電光掲示板は、今日の宴席一覧ではなく、直近の出発列車の一覧。歴史ある駅の片鱗を感じさせた。

 後で気付いたのだが、東京ステーションホテルの自室が、この吹き抜けのすぐ側だった。ホテル廊下には、丸の内駅舎竣工時の吹き抜けの写真があった。当時、2階のこの部分には瀟洒な装飾が施された柱があり、吹き抜け周りは回廊のようになっていたようだ。現在では、廊下と吹き抜けはガラスの壁で遮られ歩く事ができない。地味だが、この部分の造りも復原してくれたら、もっと興味深いものになりそう。

東京駅丸の内駅舎、中央口に唯一残された戦後の鋼製建具

 改札横の壁には、縦長の窓がひとつあった。横に説明書きがあり、古い鋼製建具が残された唯一の窓との事だ。建具(窓枠)は空襲で駅舎が破壊される以前は木製だったが、戦後の修復で鋼製となった。

 21世紀の復原工事で、建具はアルミとなったが、450ある窓で唯一、この窓だけ戦後の鋼製建具のまま残されたという。軽く叩いてみると、一見、華奢な線が、中まで金属が凝縮されたような重厚感が伝わってきた。

新年を迎えた東京駅、丸の内中央口に飾られた門松

 新年を迎え5日が過ぎ、世間は正月気分が抜けるころ。しかしまだ松の内。出入り口には門松が飾られていた。ささやかな日本らしいムードが添えられた洋風駅舎もまたいいものだ。

きらびやかに輝く壮麗な洋風駅舎

 チェックインする前に、少し南ドームに行ってみた。

東京駅丸の内駅舎、大正時の装飾が復原されたドーム

 1階は活気づく駅の風景、そして見上げるとレトロで洒落た空間が広がっていた。写真などを参考に創建時の姿に復原されたドームは、白亜の装飾が美しく、まるでヨーロッパの王宮かという華麗さ。しかしそれらの物が違和感なく現代の駅風景と溶け込んでいるのが東京駅という魔法か…

東京丸の内駅舎、装飾が美しいドームを見上げる

 天井にはまるで空を舞っているように鷹のレリーフが飾られていた。瀟洒な装飾がちりばめられた八角形の空間を見ていると、古い西洋絵画の世界の中にいるかのよう。神様が降臨しそうな荘厳さが迫る。

東京駅丸の内駅舎に残るレアな丸ポスト・丸型庇付ポスト

 コンコースの片隅には、レトロな丸ポストがポツンと置かれていた。丸ポストはレトロマニアの間で人気のアイテムだが、この丸ポストは戦前まで製造され、現役では十数基しか確認されていない丸型庇付ポストと呼ばれる希少な丸ポストだ。大正の駅舎にはぴったりだ。


 東京ステーションホテルにチェックインし一休みした後、カメラ片手に夜の駅前に出た。明日は雪の予報が出ていてかなり寒い。

丸ビルから見た東京駅丸の内駅舎の夜景

 夜、東京駅にいるなら夜景を見ようと、丸の内駅舎を一望できる展望スポットに行った。新丸の内ビルディングに行き、壮大な丸の内駅舎の全景をこの目で一望し、ライトアップされ輝く駅舎に酔いしれた。最初はちょっと見て戻ろうかと思っていたのだが、すっかり魅了されまた一つまた一つと東京駅の夜景を見て歩いた。


  夜景は東京駅丸の内駅舎づくしの旅[1]の「夜景散歩」編をどうぞ。

宿泊者の特権、麗しきドームの装飾を間近に見る

 一夜明け、朝食ビュッフェのレストランとなる最上階のアトリウムラウンジに行った。

駅舎中央屋根裏にある東京ステーションホテル朝食ビュッフェ

 アトリウムラウンジは駅舎中央部から突き出た屋根の部分にあり、いわば屋根裏だ。復原前は使われていなかった場所で、よくこんな所を使うのを思いついたものだ。

 天井は2階分以上の高さがあり、上手く贅沢な空間の使い方をしている。屋根の形が丸の内駅舎にいる事を感じさせてくれるのもいい。ホテルの朝食ビュッフェ会場は混み合いざわざわしがち。しかし洒落た雰囲気のこれほどのゆとりのある空間だ。多少混んではいたが、ゆったりとした気分で朝食をいただけた。

 それにしてもこの天井と言うか屋根裏側の装飾、何となく復原前のドーム内側の装飾に似ている気がする。現在の復原後の派手さは無いものの、ローマのパンテオンを模した高くそびえるようなドームは、また印象的だったもの。同じく天井が高いアトリウムラウンジに、復原前のデザインを留めるように取り入れたのだろうか…

東京ステーションホテルゲストラウンジ「アトリウム」のビュッフェ朝食

 色とりどりに並んだ料理の背後には、レンガの壁が露出していた。風化しごつごつしたレンガの壁は、創建時のもの。大正以来の風格を感じさせた。その前には、鉄骨が十字架のように建てられている。この使い込まれた鉄骨、戦後の駅舎復興工事の時、他で使われていたものを移設したという。

 窓の奥にもレンガ壁があり、丸窓が垣間見えた。駅舎正面の裏側にいるんだなぁと実感させた。


 朝食の後はホテル館内の散策に出た。

 丸の内駅舎内にある東京ステーションホテルには、ドーム内側に面したドームサイドの部屋がある事で知られている。

東京ステーションホテル・丸の内駅舎ドームを眺められる宿泊者専用スペース

 しかしドームサイドでなくても、宿泊者ならアーカイブバルコニーという名の小さなサロンのような空間で、装飾を間近で見る事ができる。

東京ステーションホテル内から見た東京駅丸の内駅舎のドーム

 まず北ドームにやってきた。窓の外には八角形を描いた美しいドームが眼前に広がった。昨日、下から見上げたのと違った感覚が新鮮。このホテルに泊まって良かった。

東京丸の内駅舎、復原されたドームのレリーフ、干支の丑、動輪と鳳凰

 連なる白亜のレリーフは漆喰で、間近でよく見ると細かく手が込んでいる。戦災で大部分が破壊されたが、写真など残された史料を元に、忠実に復原された事が伺える。剣を模したもの、動輪の上で鳳凰が翼を広げたエンブレムのようなもの、そして無数の細かい装飾…、数々のレリーフはまさに美術工芸品だ。

東京丸の内駅舎ドーム、干支の亥や兜と言った日本的なレリーフ

 所々、緑色の丸レリーフがあり、中には干支が配されてる。この丸には亥がいた。その上には兜まであるのが面白い。

東京駅丸の内駅舎、ドーム天井の鷲のレリーフ

 天井の鷲はまるで空を飛んでいるかのよう。

東京駅丸の内駅舎ドームのレリーフ、秀吉の兜

 各アーチの頂上にも、洒落たレリーフがあった。この放射状の装飾、豊臣秀吉の兜から取ったものとか。壮麗な洋風のドームに、さり気なく取り入れられた日本的な要素がきらりと光る。

 北ドームを見た後は、ホテルの長い廊下を歩き南ドームに向かった。横に大きく距離があるが、朝食ビュッフェでたくさん食べてしまった後にはいい運動だ。

 南ドームにも北ドームと同じ装飾が施されていた。

 しかし、白亜の装飾に混じり、一部、黒い装飾もあった。この部分、創建時からのレリーフで、戦後、修復後の天井裏に残っていたものを、あえてそのままにしているという。空襲で駅舎は激しく損傷したが、よくぞ幸運にも残っていたものだ。

東京ステーションホテル・客室から見た駅前と皇居外苑方面

 チェックアウトまでのひと時は、駅前の眺めを愉しみながら部屋の窓辺で過ごした。外は冷え切っているようで、景色には白いものが混じり始めていた。

 昼前、部屋を後にした。離れがたい気持ちを抱えながら、東京駅丸の内駅舎は今日はどんな表情を見せてくれるのかと、わくわくしながらあの寒い空の下へ向かった。

[2022年(令和4年)1月訪問](東京都千代田区)

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私と東京駅

 レトロ駅舎を巡る旅をするようになって20年近くになるが、あの東京駅丸の内駅舎を本格的に見てみようという気には不思議とならなかった。2003年に国の重要文化財に指定される前から、大正築のレンガ造りの洋風駅舎は壮麗で、名建築として既に評価は高かった。もちろん私も知っていたし、東京駅は幾度となく私の旅に交錯した。

 元々、ローカル線の木造駅舎など、こじんまりとした古駅舎を訪れる方が好きという理由もあったが、有名過ぎるので今更…とも考えていた。

 しかし壮大すぎるゆえ、どう撮っていいものかずっと戸惑っていて、なかなか踏み込めなかったのもまた事実だった。


 そうこうしている内に、2012年、丸の内駅舎は大規模な工事を経て、竣工の大正当時の姿に復原された。

 そして復原から10年になる2022年、何のきっかけも無く丸の内駅舎でも見に行こうかとスッと思うに至った。

壮大過ぎる重要文化財駅舎、どこから撮影するか?

 やはり訪れるからには、駅舎全体を撮影したい。正面に立ちはだかるようにそびえるビル内のオフィスは、丸の内駅舎を見渡せる絶好のポジションで、まさに超一等席。そこで働く人が羨ましくてたまらない。

 ビル内には、丸の内駅舎に面した窓際にテーブルがあるレストランもあるのだろう。しかしそんな席は人気だろう。そして風景を愉しみながらムードある食事をする場所で、撮影に没頭するには不向き。

 しかし少し調べると、駅前のビル内に、私のような一般人にも開放されている展望台のようなスポットがいくつかある事を知った。それは正面に建つ「新丸の内ビルディング」、道路を挟み南にある「丸の内ビルディング」、そして更に南の旧東京中央郵便局舎をリノベーションした商業施設「KITTE」だ。いずれも屋外のテラスで、ガラス窓に遮られる事無く撮影できる。

復原されたJR東京駅丸の内駅舎。レンガの洋風駅舎は重要文化財

 その日の宿泊地となる東京駅…つまり東京ステーションホテルには16時過ぎに着いた、少し丸の内駅舎あたりをふらふらし、正面に出て一枚、パチリと撮影。全長335メートルと巨大な駅舎だが、左右で見事に均整がとれたレトロ感溢れる姿が美しい。

KITTE側から見たJR東京駅丸の内駅舎、南ドームの夜景

 駅舎南側にあるKITTEのコンビニで買い物をして外に出ると、もう夜の帳が降り、ライトアップされた駅舎はロマンチックなムードが漂っていた。一体、この古き駅舎が迎える何回目の夜なのだろうか…。激動の時代を超え、遥かなる歴史を紡いできたものよ。

東京ステーションホテル客室から見た駅前広場の夜景

 丸の内駅舎内にある東京ステーションホテルにチェックインした。部屋は奮発して、駅舎中央付近の皇居外苑が見えるパレスビューのスーペリアツイン。夜で外苑は闇の中だが、駅から外苑に向かって真っすぐ伸びる行幸通りがよく見える。丸の内駅舎復原完了から5年後の2017年、駅前広場の工事も完了し、行幸通りに続く風景は、まるで公園か遊歩道のよう。一日40万人を超える駅の駅前とは思えないゆったりとした空間だ。

闇夜に浮かび上がるJR東京駅丸の内駅舎、中央部分

 部屋で一休みして、夜景の撮影にと外に出た。明日の天気予報は雪。既にかなりの寒さで身を震わせた。

 今宵の私の部屋はどこだろう…?あまたの窓を目で追った。たぶん中央口上の明かりが消えているあの部屋がそうだ。

JR東京駅丸の内駅舎、夜の北ドーム

 北ドームやライトアップされた駅舎を眺めながら、新丸の内ビルディングに歩いた。

ライトアップされた丸の内駅舎とビルがきらめく絶景

 行幸通り北側に建つ新丸の内ビルディング(通称: 新丸ビル)に入った。新丸ビル7階はレストランフロア「丸の内ハウス」になってる。寒空の下、屋外のテラスに出ると、テーブルと椅子がいくつも並ぶ広々としたスペースだ。丸の内ハウスで購入した飲食物なら、このテラスに持ち込んでいいとの事だ。

 テラス東側に出ると、極上の駅舎風景が広がっていた。一瞬で心奪われてしまった。あの壮大な東京駅丸の内駅舎を手の内におさめたように、全景が一望の下だ。ライトアップされ照らし出された洋風の駅舎、闇夜に浮かび上がるドーム…、古く趣ある佇まい全てが美しい。

 丸の内駅舎周辺にひしめくビルの夜景も格別。高層ビルに取り囲まれ肩身が狭そうだなぁと感じていたのだが、その逆で周辺のビル群を従えていたのだ。翼を広げたように横に長い駅舎は優雅で、そして威風堂々と鎮座している。竣工の1914年(大正3年)以来、時代と開発の荒波に翻弄されながら、よく生き残ってくれたものだ。

ライトアップされたJRレンガの東京駅丸の内駅舎、中央部分

 ライトアップされたレンガもひと際、美しい。

 建物の多く占めるホテルも、ほとんどの窓から明かりが漏れている。今夜、あの中で過ごせる喜びを噛み締めた。

行幸通りを通り丸の内ビルディングへ

 最初、夜は新丸ビルだけ行こうと思っていたのだが、こうも圧巻な夜景を見てしまうと、他も見たくなる。なので次は丸の内ビルディング(通称: 丸ビル)に行く事にした。

 広い行幸通りを歩いている時、丸の内駅舎が真正面の位置に来た。一目では見られない程の大きな駅舎が眼前に広がった。空から見るようなテラスもいいが、やはり地上で対峙するのも、より迫りくるものを感じられいいものだ。

 丸ビルの屋外テラスは5階のレストランフロアの一角にある。先程の新丸ビル7階に比べれば、だいぶ狭い。

丸ビルから見渡したJR東京駅丸の内駅舎南ドーム

 だけど、新丸ビルより2階低く、より丸の内駅舎を近くに感じられる。南ドームも正面から間近に眺められた。

ライトアップされた東京駅丸の内駅舎とKITTE、丸ビルテラスから…

 丸ビル5階テラスからは、KITTEの眺めもいい。旧東京中央郵便局舎のレトロな外観をまとった最新のビルのきらめきと、ライトアップされた洋風駅舎の組み合わせが、レトロというか未来的というか不思議な風景に映った。

そしてKITTE屋上庭園

 そして今度は、丸ビルから眺めたKITTEだ。KITTE6階には「KITTEガーデン」と名付けられた屋上庭園がある。

KITTEの屋上庭園から見渡したJR東京駅丸の内駅舎

 KITTEガーデンは丸の内駅舎に対し右横から南側に位置する。先の2つと一風違い、南ドームを中心とした立体的で凝った造形の駅舎を感じられる眺めが広がった。

KITTEの屋上庭園から見渡したJR東京駅舎とプラットホーム

 KITTEガーデンは広く、より南の方に移動すれば、レンガ駅舎の背後に広がる何本ものプラットホームも眺められ、東京駅の大きさを感じられる。京浜東北線、山手線、東海道本線、東京上野ライン…眼下には絶えず列車が行き交う。

 丸の内駅舎南端は南東に僅かに突き出た感じの造りになっていて、2階は東京ステーションホテルメインダイニングのフレンチレストラン、1階は宴会場になっている。この部分も円形状のドーム状屋根が付いている。南北ドームほどの壮麗さは無いが、玉ネギがちょこんと載っているような姿がどこか可愛らしい。

KITTEの屋上庭園から見渡したJR東京、東海道・東北新幹線ホーム

 KITTEガーデン南端からは、もちろん新幹線も眺められる。東海道・東北上越、北陸、北海道など各新幹線が一同に会する風景は、過去から現在に至るまで、まさに日本を代表するターミナル駅なのだ。

散歩のあとは…

 夜9時過ぎに、東京ステーションホテルの自分の部屋に戻り、すっかり冷え切った体を暖めた。

東京ステーションホテル、行幸通りの夜景を眺めながらルームサービスのディナー

 今宵の夕食はルームサービスだ。ホテル特製の黒毛和牛のビーフシチューにシーザーサラダ。カーテンを開け放ち、きらびやかだった明かりがひとつひとつ消え、眠りに就きゆく街の風情を愉しみながらいただいた。

[2022年(令和4年)1月訪問](東京都千代田区)

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丸の内駅舎展望スポットのまとめると…

今回訪れた東京丸の内駅舎を一望できるビルの展望スポットのまとめると以下の通り。いずれも三脚の使用は不可。丸ビル以外は遅くまで開放しているので、夜景も十分に堪能できる。

新丸の内ビルディング7階・丸の内ハウスのテラス
営業時間: 11時~23時
丸の内ビルディング5階テラス
営業時間: 11時~20時(日・祝19時)
KITTE6階・屋上庭園「KITTEガーデン」
営業時間: 11時~23時(日祝22時)

各施設とも不定期で休館日を設けている。荒天時、展望デッキは予告無く閉鎖される。営業時間は2022年1月現在。以下のウェブサイト等で最新情報のご確認を。

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国鉄時代で止まったような駅風景

 2015年秋、大矢駅など長良川鉄道のレトロ駅舎を巡り帰路に就いていた。

長良川鉄道・美濃市駅、ホームからの夕景が美しい駅

 やや高い所にある美濃市駅に停車した。予定には無かったが、車窓の外に広がった夕景が私の足を引き留めた。ホームで灯された灯篭も、しっとしとした夜の駅のムードをより印象深いものにしていた。

 その時、駅舎など古い駅施設が残ってるものと思い駅を見たが、夜だったためあまりはっきり見られなかったし、写真も十分に撮れなかった。


 それから約6年後、再び美濃市駅に降り立った。

長良川鉄道・美濃市駅、旧国鉄駅らしい佇まいのホームと駅構内

 国鉄越美南線から引き継いだ駅は、支線のローカル線なれどホームの幅は広く、構内片隅には詰所跡と思われる木造建築物も残り、国鉄駅の風情をいまだ漂わせているかのよう。

長良川鉄道・美濃市駅、桜の老木と側線の廃車体

 斜面に造成した難しい立地の駅だが、北濃方には広い側線と側線ホーム跡も備えられていた。側線にはかつて活躍していたレールバスの廃車体が留置されていた。

 桜の老木が昔からの地方の駅らしい風情を添える。

長良川鉄道・美濃市駅、ホーム上の昭和築の木造待合室

 ホーム上にはペンキで塗られているが、木目浮かぶ古い待合室がいまだ使われていた。建物財産標を見ると昭和12年6月という古さだ。

長良川鉄道・美濃市駅、構内外れの詰所跡?の木造建築物

 構内美濃太田方の詰所跡と思われる古めかしい木造建築物。今では他の長良川鉄道の駅でも見た「通信機器室」の表示を掲げていた。

長良川鉄道・美濃市駅、木造の屋根を持つ通路

 ホームは斜面の築堤上に位置するが、駅本屋は階段を下った街と同じ高さにある。地上に降りる階段を覆う屋根までも古い木のままだった。

改修されているけれど木造駅舎らしい味わいに溢れる駅

長良川鉄道・美濃市駅、木造の上屋が重厚な駅舎への通路

 階段を下りると地下のような通路が続き、そして古めかしい木の構造物が現れた。使い込まれ古びた質感の木の上屋は鎮座する木造駅舎に繋がっていた。短いけど、歴史的建造物の回廊のごとくの重厚で渋みのある味わいに思わず感嘆の声が上がった。

 駅舎は1923年(大正12年)の開業以来のもの。市の玄関口、線の主要駅だけあって、素朴な造りながらも大柄で堂々たる木造駅舎だ。真ん中増築部分のトタンの板張りが惜しい気もするが…

長良川鉄道、レトロな木造駅舎が残る美濃市駅。丸ポストもいい!

 しかし、それ以外から漏れ出るように伝わってくる使い古された木の質感はやはり印象深く、あと2年で100歳という大いなる歴史を感じさせる。現在、そして過去… 幾人もの人が行き来したこの駅の年月に思いを馳せた。

 それにしても古い木造駅舎にレトロな丸ポストは何と似合う事か!

 この駅舎はプラットホーム・待合所と共に、2013年(平成25年)に、国の登録有形文化財に登録された。

長良川鉄道・美濃市駅の木造駅舎、待合室

 待合室は天井の古い板張りや一部の壁は古い木のまま。造り付けベンチも撤去されるなど改修されているが、いい味わいを残している。

長良川鉄道・美濃市駅、古い木造倉庫とホーム

 駅舎の隣には、小さな木造倉庫が残されていた。

長良川鉄道・美濃市駅前、街の隅の方に位置する

 駅は街の隅にあり、どちらかと言うとひっそりしていた。

 有名なうだつの上がる町並みは、美濃町駅から1㎞弱だ。

[2021年(令和3年)11月訪問](岐阜県美濃市)

レトロ駅舎カテゴリー:
二つ星 旧国鉄の二つ星レトロ駅舎

美濃市駅周辺ミニ情報

保存駅舎、旧名鉄美濃駅

美濃町線の終着駅・美濃駅、廃線後も木造駅舎と往時の車両が保存

 美濃市駅から徒歩数分の位置に1999年に部分廃線となった名鉄美濃町線の終着駅・美濃駅の木造駅舎と往時の車両が静態保存されている。内部には美濃市出身の歌手・野口五郎の展示があった。郷土が誇る有名人だが、ヒット曲「私鉄沿線」のイメージが、私鉄である名鉄と被るのだろう。

うだつの上がる町は丸ポストの町?

うだつの上がる町並みの美濃市の丸ポスト

 美濃市駅からうだつの上がる町並みと周辺を2時間程度歩いただけだが、偶然にも丸ポストを7個も発見した。もっと歩き回れば、更に多くの丸ポストを発見したかもしれない…

美濃市、日本情緒溢れるうだつの上がる町並み

 重要伝統的建造物群保存地区に指定された美濃市のうだつの上がる町並みは、長良川鉄道の美濃市駅から徒歩で15分ほど。一駅北隣りの梅山駅の方が少し近いので、両駅を組み合わせて訪れてもいいかもしれない。ただ、梅山駅はホーム一本だけの地味な無人駅なので、鉄道ファンではない人にはお勧めできない…

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無人駅に鎮座する風格ある木造駅舎

 早朝、森駅を発ち渡島砂原駅、掛澗駅を訪れた後、鹿部駅で下車した。

函館本線砂原支線・鹿部駅、木造駅舎ホーム側の堂々たる佇まい

 ホームに降り立つと、側線跡の向こうに木造駅舎が目に入った。横に長く大きな木造駅舎で、ローカル線の小駅というレベルではなく、町の玄関口にふさわしい風格溢れる佇まいだ。

函館本線鹿部駅、長いホームと広大な側線跡

 ホームは幅広く長く、駅舎との間には数線の側線跡が剥がされた痕跡が立ちはだかるように存在する。駒ヶ岳駅経由の本線は勾配がきつい。砂原支線は戦時中、輸送力増強のため、勾配を迂回して設けられた支線だ。なので地域輸送ではなく、幹線の一翼として貨物など長距離輸送が重視されたのだろう。そのため、旅客の利便性よりも、作業のし易さを考慮し、旅客用のプラットホームは離され、側線が駅舎など各施設の近くに配されたのだろう。

 木造駅舎は新建材などで改修されているが、正面からの佇まいも立派。

 1945年(昭和20年)6月1日、国有化されていた旧渡島海岸鉄道の森駅‐渡島砂原駅間と、軍川駅(現在の大沼駅)から渡島砂原駅まで延伸してきた函館本線の支線が繋がった事により、砂原支線は全通となった。鹿部駅の駅舎はその時以来のものだ

函館本線砂原支線・鹿部駅、木の造り付けベンチが巡らされた待合室

 待合室も広く、町の玄関口の駅たる風情に溢れる。壁にぐるりと沿って取り付けられた木製のベンチが見事だ。

JR北海道函館本線・鹿部駅、駅舎待合室の木の造り付けベンチ

 木製のベンチは古い木の造りをよく残しレトロな趣き。背もたれは後年の改修によりできたものだろうか?

JR北海道函館本線・鹿部駅、無人駅でも掲示物で賑やかな窓口跡

 鹿部駅は2005年(平成17年)に簡易委託も廃止され、完全に無人駅となった。しかし窓口跡は塞がれながらもカウンターは昔の造りを残し、往時の面影をかすかに感じさせた。

 板で塞がれた窓口は、町民の方々によるイラスト地図や、手書きの絵葉書が賑やかに展示されていた。他にも鹿部駅を花で飾っていた地元グループ「リーフの会」にJR北海道が贈った感謝状など、展示物で賑やかだ。無人化されても愛されている駅なのだなと感じた。

JR北海道函館本線・鹿部駅の木造駅舎、寒冷地らしい風除室

 駅舎ホーム側は軒下が壁でがっちり囲まれた風除室の造り。駒ヶ岳からの山おろしや海からの風も吹き、さぞ寒いのだろう…

秘境駅っぽい駅周辺だけど…

JR北海道函館本線・鹿部駅、町の中心駅らしくない長閑な駅前

 駅は鹿部町の玄関口だが駅前に建物は疎らで、木々に囲まれたひっそりとしている。最低でも建物がそこそこ立ち並んでいそうなのだが…

 鹿部町の中心地は、ここから直線距離で南東に約5㎞ほどの位置にある。国有鉄道の駅は町中心部からやや離れた位置に設置されている場合が多いとは言え、これは離れすぎている気がする。

 鹿部町へは砂原支線の全通より16年早く、1929年(昭和4年)に大沼駅(今の大沼公園駅)から大沼電鉄が開業した。大沼電鉄の鹿部駅は、町の中心部に位置していたという。

 しかし大沼電鉄は、1945年(昭和20年)6月1日に函館本線砂原支線の開通と同時に、不要不急路線として廃止されてしまう。

 戦後の1948年(昭和23年)1月16日、大沼電鉄は銚子口駅と接続する新銚子口駅から鹿部駅までの区間が復活された。それに合わせ大沼電鉄側の鹿部駅は鹿部温泉駅に改称。1949年(昭和24年)2月20日には、砂原支線の鹿部駅は鷹待駅に改称、鹿部温泉駅は鹿部駅に改称されている。大沼電鉄側の駅の方が、明らかに町の中心部にあったので、国有鉄道側にも遠慮があったのだろうか?

 復活を果たした大沼電鉄だが、周辺道路が整備された事により利用者が激減し、僅か4年の1952年(昭和27年)12月25日に廃止という悲運の道を辿る。そして1952年(昭和31年)12月20日、砂原支線の鷹待駅はくしくも鹿部駅の名を取り戻した。

鹿部駅からは折りたたみ自転車で町の中心部へ…

 鹿部駅からは折りたたみ自転車で2022年の廃止が見込まれている銚子口駅、流山温泉駅、池田園駅を巡る。名残惜しいが自転車を展開し、鹿部駅から駆け出した。


 鹿部駅の周辺には北側や西側にはゴルフ場、西側の更に奥んは陸上自衛隊の演習場があるという。つい最近まではゴルフ場に隣接するリゾートホテルもあったが、コロナ禍で廃業してしまったとの事。

自然豊かな鹿部駅前の風景

 それ以外の東~南側一帯は別荘地だという。自転車で走っていると、地方の小駅駅前にありがちな空家や寂れた廃墟が目に付く事は無く、自然豊かな森の中に小奇麗な家屋が点在する風景が続いた。ただ生活感は薄いように思えた。その辺が別荘地の趣なのだろう。

 そんな風景の中にある鹿部駅は秘境駅の趣きさえ感じさせる。だが一日の駅利用者は80人で、砂原支線中間駅の中では最大を誇る。市中心部から離れているが、通学時間帯には親の車で送迎される学生の利用で賑わうのだろう。

 JR北海道では経営難を背景に利用客が少ない駅を毎年どんどん廃止しているが、鹿部駅は安泰だろう。とは言え、30年前に比べれば4分の1に減っている現実には言葉を失う。それに渡島砂原駅と掛澗駅を除き、砂原支線の他の駅の利用者は10人を下回る危険水準で、路線の維持さえ心配になってくる。

 実際、2022年度のダイヤ改正では、銚子口駅、流山温泉駅、池田園駅の廃止が予定されている。そうなると鹿部駅から大沼駅までの途中駅がごっそり抜け、駅間距離は14.6kmとかなり長くなってしまう。


 しばらく走ると、国道278号線に出た。目の前には秋の色に染まった木々の間に、一本の道路が伸びる風景が広がっていた。しばらく走ると漁港に至り、そして鹿部町の中心部に至った。

[2021年(令和3年)10月訪問](北海道茅部郡鹿部町)

レトロ駅舎カテゴリー:
一つ星 JR・旧国鉄の一つ星レトロ駅舎

鹿部へのバス路線

 函館バスが運行する鹿部駅前からのバス路線222系統は「しかバス」の愛称があり、町役場やしかべ間歇泉公園、鹿部出張所など町内の主要地点を結ぶ。但し、運行本数は少なく、事前の確認が無難。

 また鹿部出張所から先へは、内陸の大沼公園経由か海側の南茅部支所前経由で函館方面へ行ける。後者は南茅部支所前止まりになる便も、多くが函館行きと接続している。直通だと函館駅前まで約2時間。

 また南茅部経由の方は函館空港から直線距離で1kmちょっとの所を通る。途中のバス停(湯川団地北口など…)で、函館空港行きバスと接続も可。空港行きのバスは、日中1時間に4本程度でそこそこ多い。

 時刻表など詳しくは函館バスのウェブサイトから路線バスのページ、またナビタイムと言った時刻検索サイトへ。

 鹿部駅発着の路線バスに関しては鹿部町のウェブサイト・バス電車時刻表のページもどうぞ。

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名鉄レトロ駅舎の生き残り

名鉄富貴駅、河和線と知多新線の分岐駅で2面3線のホーム
名鉄河和線と知多新線の分岐駅の富貴駅。2面3線のホームを構内通路が結ぶ。
名鉄富貴駅、木造駅舎に藤棚のある佇まいが印象的な駅構内
富貴駅と聞けば藤棚がある駅だったなと思い浮かぶ。
名鉄富貴駅、武豊町内名木選、古レールが使われた藤棚
富貴駅の藤棚、一部は古レールが使われている。
名鉄富貴駅、木造駅舎らしいホーム側の軒
駅舎ホーム側の軒は白くきれいに塗られているが、古い木のままと木造駅舎らしい佇まい溢れる。
河和線・知多新線の富貴駅、名鉄では貴重になった素朴な木造駅舎が
富貴駅には私鉄ローカル線らしい素朴で趣ある木造駅舎が現役。長年の使用でガタが来て、車寄せが少し傾いている…かな?
名鉄・富貴駅の木造駅舎、堂々たる造りの車寄せ
しかし車寄せは広くレトロで堂々たる風情。ホーム側の軒と繋がり回廊のよう。
名鉄河和線・知多新線富貴駅、駅舎側面
待合室。出札口部分だけでなく、奥にも建物が繋がり縦長の造りだ。
名鉄・富貴駅の木造駅舎、昭和のムード漂う待合室と窓口
出札口もある待合室は古さ残し、改修されてからもなお使い込まれ昭和感が漂う。
名鉄富貴駅の木造駅舎、出札口の持ち送り
出札口のカウンターは新しいものに替えられているが、持ち送りはレトロで凝った形をしていた。

富貴駅訪問ノート

 2021年をもって蒲郡線の西幡豆駅と東幡豆駅が取り壊しになる。思えば私が駅巡りを始めた頃2000年代の前半、営業距離が長く末端にローカル線を多く抱えていた名鉄には、まだ古駅舎が多く残っていた。しかし、すっかり数を減らしたもの。

 そんな中、河和線と知多新線の分岐駅である富貴駅では、まだ古い木造駅舎が現役だ。

 富貴駅の開業は1932年(昭和7年)7月1日。河和線の前身である知多鉄道時代だ。知多鉄道は1943年(昭和18年)2月1日に名鉄に合併された。

 現在の駅舎の建築時期は不明だ。車寄せが大きめに作られている以外、これと言って際立った造りは無い木造駅舎だ。しかし、そんな素朴でありふれたレトロ駅舎が、名鉄で生き残ってるのは貴重。見るほどに良さを噛み締められる。ちょっと位、名鉄にもこんな古老のような駅舎が残っててもいいじゃないかと思う。いつまでもこの姿のまま佇み続けていてほしいもの…

[2020年(令和2年)7月訪問](愛知県武豊市)

レトロ駅舎カテゴリー:
二つ星 私鉄の二つ星レトロ駅舎
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一之宮・貫前神社を控えた木造駅舎

 十数年振りに上信線の上州一ノ宮駅に降り立った。

上信電鉄・上州一ノ宮駅、急角度の半切妻屋根の木造駅舎

 駅舎は古くからの木造だ。角度が急な半切妻屋根は洋風の趣漂わす。

上信電鉄・上州一ノ宮駅、木造駅舎らしい佇まいが印象的なホーム側

 駅舎のホーム側はクリーム色で塗装されてるが、古い木造駅舎らしさ溢れる佇まいだ。窓枠や付け庇も古い木のまま。屋外改札口までもが残る。まさに半世紀以上も昔の駅に降り立ったような感覚に陥る。

 駅舎正面に立ち全体を見渡した。こちら側も懐かしさ感じる味わいある佇まいだ。半切妻屋根だが、正面側は途中で外側に折れているのが特徴的。どうしてこうしたのだろう…

 上信電鉄では、一般家屋の造りを取り入れたような駅員居住スペースある古駅舎がいくつかあるが、この駅にそのような造りは無い。端正で洒落た姿ををしている。

 この駅の開業は1897年(明治30年)7月2日。当初は一ノ宮駅という駅名だったが、1921年(大正10年)12月17日に現在の上州一ノ宮駅に改称された。この駅舎の建築年は不明だが、明治の開業時だろうか…

上信電鉄・上州一ノ宮駅、社紋が埋め込まれた駅舎正面

 正面の出入口・車寄せ部分は建物にのめり込ませ、軒のような機能を持たせた変わった造りになっている。土色の漆喰壁には上信電鉄の社紋が埋め込まれている。

 完全に推測なのだが、このような車寄せになったのは、出入口部分の駅舎正面を増築したからだろうか…。だとしたら急角度の屋根が増築部分と合わなく、あえて外向きに折れている造りにしたのもわかる気がする。

 上州一ノ宮の「一ノ宮」とは駅から直線距離で北西約600mの場所に位置する貫前(ぬきさく)神社だ。1500年の歴史を誇る群馬県内最高の格式を持つ神社で、上州一ノ宮駅はその門前の駅として佇む。

 車寄せに貫前神社と標された提灯が下げられているが、以前訪れた時はしめ縄が掛けられ、より門前の駅らしさを漂わせていたものだ。

上州一ノ宮駅横の上屋のある空地

 駅の左隣には鉄骨の大きな上屋のある駐車場があった。かつてはここで貨物でも扱っていたのだろうか…?

群馬県富岡市、上州一ノ宮駅近くの国道254号線

 駅から少し歩くと国道254号線に出る。富岡市の中心街からやや外れ郊外ロードサイドの風景。国道を渡った貫前神社の手前一帯に、商店などが立ち並ぶ街がある。

待合室もまた良き…

 周辺をぶらつき駅に戻ってきた。

上信電鉄・上州一ノ宮駅、天井や窓枠も木のままの待合室

 天井は木のまま、木製の窓枠のある待合室は、古いながらも手入れが良く味わい溢れる。

上信電鉄・上州一ノ宮駅、無人時間帯で駅員がいない出札口

 一応、有人駅だが、日中の4時間ほどは無人時間帯となっている。営業時間は平日と第1・3・5土曜日の6時から9時55分、14時20分から20時9分。9分というのが何とも中途半端だが、列車時刻に合わせているのだろう。

 待合室の壁には造り付けの木製ベンチが巡らされている。あの出入口横の出っ張りの部分が面白い。

上信電鉄・上州一ノ宮駅「よごさぬように美しく」のホーロー看板

 出入口横の壁には「よごさぬように美しく」の小さなホーロー看板が取り付けられている。東北本線の仙北町駅など古い駅舎ではたまに見る看板だ。オレンジ色が多い気がするが、この上州一ノ宮駅のものは緑色だった。

[2018年(平成30年)4月訪問](群馬県富岡市)

レトロ駅舎カテゴリー:
三つ星 私鉄の三つ星レトロ駅舎
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もしかしたら最古の現役駅舎かも??

土讃線・善通寺駅の木造駅舎ホーム側

 JR四国の琴平駅を訪れた後、一駅隣の善通寺駅で下車した。ここにも立派な木造駅舎が残っている。駅舎に面した1番ホームは幅が広く、その分、ホームを覆う上屋も大きく、支える木の柱は古び歴史を感じさせる。

 堂々たる主要駅の趣きだが、屈指の洋風駅舎で、こんぴらさん門前駅である事を強調したド派手な琴平駅を見た後だと、どうしても地味に見えてしまう。

土讃線・善通寺駅ホーム、国鉄駅らしさ漂うあプラットホーム

 とは言え2面3線のホームを有し、更に駅舎と反対側の現在は駐車場となっているスペースも、ホームらしき造りを残している。貨物ホームだったのだろうか…?

 2番ホームにも古めかしい上屋が残り、跨線橋も年代物だ。この1番、2番ホームの上屋と跨線橋は国の登録有形文化財に指定されている。

JR四国土讃線・善通寺駅、待合室にはセブンイレブンが

 内部はすっかり改修されイマドキの駅の風景。四国キオスクと提携したセブンイレブンも入る。このセブンイレブン、駅片隅の売店程度ではなく、街中のフルサイズの店舗だ。

土讃線・善通寺駅の木造駅舎、車寄せ越しに駅前を見る

 だけど駅を出ようとすると、木造の重厚な車寄せがどっしりと構えていた。レトロな車寄せをフレームに広がる街の風景が一味違って印象深い。

JR四国土讃線・善通寺駅、大きく改修されているが明治22年築の木造駅舎

 駅舎を正面から眺めた。車寄せは古いまま残っているが、それ以外の部分は和風にリニューアルされ、蔵のような雰囲気。しかし小奇麗な姿で佇むこの木造駅舎、駅開業の1889年(明治22)築。築120年越えと、とてつもなく古い。

 日本最古の現役駅舎としてJR武豊線の亀崎駅が広く知られている。1886年(明治19年)1月築とされるが、1895年(明治28年)に火災に遭い、本屋(駅舎)が全焼したと記録に残っている。しかし全焼したのは駅長官舎だけとの記録もあり、今となっては真相は定かではない。しかし、駅舎全焼が正しければ、この善通寺駅舎が現役最古という事になる。

土讃線・善通寺駅、明治の木造駅舎は和風に改修

 壁は和風の格子窓で飾られ、黒い腰壁は石材風。上屋は柱まで新しいものに変えられ、まるで和風建築の回廊のような趣。2005年にも訪れているが、既にこんな感じだったと記憶している。

土讃線・善導寺駅前街並の向こうにそびえる山々

 駅前は整備され、駅から伸びる道の先には小高い山がそびえるのが印象的だ。

 善通寺駅は善通寺市の中心駅で、駅の西側に市街地がある。駅名の通り、1キロちょっとの所に、四国霊場75番札所で空海生誕の地の善通寺がある。また高校野球で有名な尽誠学園も駅近くだ。

改修木造駅舎のレトロで風格ある車寄せ

土讃線・善通寺駅駅舎、古く重厚な車寄せは大正11年に増築されたもの

 和風にリニューアルされた木造駅舎で、使い古され風格まとう車寄せは異彩を放つが、レトロで深い味わいを感じさせる。本屋は1889年(明治22年)築だが。この車寄せは1922年(大正11年)の陸軍大演習の際に改修で設置されたものという。

 この駅本屋も登録有形文化財に指定されている。二つのホーム上屋と跨線橋も1922年築。現在も陸上自衛隊の善導寺駐屯地が置かれているが、旧陸軍時代には何倍もの規模の師団が置かれていた。1922年に師団の威光に見合ったような駅に改修されたのだろう。

土讃線・善通寺駅舎、車寄せに掲げられた電飾の駅名表記

 車寄せ妻面のハーフティンバー風の造りに、電飾の駅名表示が設置されている。琴平駅にも、以前はこんな駅名表示が正面に掲げられていたものだ。

土讃線・善通寺駅、横から木造の車寄せを眺める

 右横から見るとよりどっしりとした造りが感じられる。裏面の木の造りや、頑丈に造られた柱もいい味わいだ。将校達が階段を下りこの車寄せを通る一瞬、善導寺駅はさぞ威厳に満ち溢れていたのだろう。

土讃線・善導寺駅の木造駅舎、車椅子用スロープが設置されバリアフリー化

 左横を見てみると、車椅子用のスロープが設置され、現代のものと大正のレトロものが見事に融合していた。

土讃線・善通寺駅、重厚でレトロな車寄せを支える木の柱

 木の柱には大正以来の歴史が刻み込まれたかの如く、幾重もの木目が深く刻まれていた。来年2022年でこの車寄せも百歳だ。

[2021年(令和3年)7月訪問](香川県善通寺市)

レトロ駅舎カテゴリー:
二つ星 JR・旧国鉄の二つ星レトロ駅舎
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JR四国随一のレトロ駅舎

金刀比羅宮の門前駅・琴平駅に停車するアンパンマン列車の特急南風

 トップクラスの秘境駅として名高い坪尻駅を訪れた後、阿波池田駅から特急南風で琴平駅に降り立った。こんぴらさんこと金刀比羅宮門前の駅が、アンパンマンのキャラクター達で溢れた光景にちょっと当惑させられた。

琴平駅上屋の軒飾り、駅じゅうにあしらわれた丸金(マルコン)マーク

 しかし列車が行くと景色は開け、2・3番ホームを覆う木造の上屋の軒飾りに、こんぴらさんを意味する丸金(マルコン)マークがあしらわれていた。

JR土讃線・琴平駅、駅舎に面した堂々たる2番ホーム

 駅舎に面した2番線は広々とし木の上屋で覆われ、昔ながらの主要駅の風格に満ち溢れる。上屋の柱は古い木のままだが、屋根はわざわざ木の板に取り替えられた。明るい茶色は、まだ新木の香りが漂ってきそうな若々しさだ。

 早速、琴平駅の駅舎を正面から見てみた。ファサードの大きな三角屋根が印象的な洋風の木造駅舎で、大きな車寄せも備える堂々たるいでたち。東北本線の白河駅と似ている。

 私が初めて訪れたのは2005年で、その頃は、明るめの色合いだった。車寄せには駅名の看板ではなく、駅名を象った大きな電飾の表示がインパクトがあったものだ。

 2017年に完了したリニューアルでは、竣工の大正時代の姿を再現する事に配慮されたという。濃い茶色を基調にしたシックな色使いになり、駅舎前の説明版には北欧風と標されていた。電飾の駅名表示は無くなり、車寄せの下に普通の駅名看板が掲げられていた。

 駅舎右側は、かつては団体改札口の上屋だったというが壁で囲われ、JR化後に鉄道資料館となった。私が初めて訪れた時には閉館日…、もしくは既に休館となっていた記憶がある。

 この陳列所一号と呼ばれるようになった一室は、現在では土讃線の観光列車「四国まんなか千年ものがたり」の乗客ラウンジ「TAIJU」となっている。

JR土讃線・琴平駅、車寄せや採光窓が印象的な洋風木造駅舎

 三角屋根の中の半円の窓、同じみのマルコン印の軒飾り、凝った装飾の車寄せが印象深い洋風の木造駅舎だ。正面に掲げられた半円は国立駅の旧駅舎や、伊予鉄道の今は無き三津駅旧駅舎を思い起こさせた。

 琴平駅の開業は1889年(明治22年)5月23日。讃岐鉄道時代で、丸亀‐琴平間の開業時だ。その後、1904年(明治29年)に山陽鉄道に買収、その山陽鉄道も1906年(明治39年)に国有化された。

 明治の開業時は400mほど西に位置していたが、阿波池田方面延伸のため、1922年(大正11年)に現在地に移転。現在の駅舎はその時に建てられた三代目だ。

 この駅舎は2009年(平成21年)には近代化産業遺産に、2012年(平成24年)には、他の5つの同駅施設と共に登録有形文化財に指定された。

土讃線・琴平駅、洋風駅舎の前に灯篭が並び参道のよう…

 駅正面の道に灯篭が並べられた風景は参道のよう。こんぴらさんへの参詣ムードを高めるが、駅舎に拝みたくなるような風情だ。

琴電琴平駅前の大鳥居からJR琴平駅を見る

 琴平駅から200mほど西に大正14年に建立された大鳥居がそびえる。その足元の金倉川沿いに琴電琴平駅がある。かつてこの位置から琴平駅を見て、両者のライバル関係を感じたものだ。あの派手な電飾の駅名は「こっちには琴平駅があるよ」という強烈なアピールだったのだろう。

 今の感覚では信じられないが、かつてはこの地に4線もの鉄道路線が入り乱れていた事がある。現在の土讃線、高松琴平電鉄は高松から。そして半世紀以上昔に廃線となっているが、坂出からは琴平急行電鉄、多度津・宇多津方面からは琴平参宮電鉄が乗り入れていた。それぞれの駅は琴平駅から伸びる道沿い約400mの間に、東から琴平駅、琴電琴平駅、琴平急行電鉄の琴急琴平駅、琴平参宮電鉄の琴参琴平駅の順番で位置し、まるで大都会の中心地並の趣き。

 鉄道が新進の交通機関で勢いがあったのだろうが、当時、寺社参詣は人気の大衆的なレジャーで、名高い金刀比羅宮ゆえにそのような状態になったのだろう。

 琴平駅があのような印象深い洋風駅舎になったのは、元々、参詣で多くの需要が見込めたのだろが、官設鉄道の威信にかけて、ライバルに負けないような威風堂々とした駅舎を造り上げたのかもしれない。

JR四国土讃線・琴平駅、セブンイレブンもある待合室

 駅に戻って来た。待合室や出札口がある駅舎内部は広々とし、参拝客で混雑した最盛期を思い起こさせるが、改修されすっかい現代の駅の姿に。しかし、レトロなイメージをできるだけ壊さないように、茶色を基調とした落ち着いた雰囲気だ。キオスクに取って代わったセブンイレブンも、見慣れた色ではなく、駅舎に合わせ控えめな色使いだ。

こんぴらさんと歩んだ歴史感じるホーム側

JR四国土讃線・琴平駅、改札口の金毘羅宮の紋章

 改札口はリニューアルで新しいものになったが、以前のように金刀比羅宮の特徴的な社紋が標されている。

 ICカードリーダーはあるが、ごっつい鉄製の有人改札口や、金刀比羅宮の社紋が標された団体用と思われる出入口は、ふた昔位前の主要駅改札口を思い起こさせる。

JR四国・土讃線・琴平駅、駅舎改修で閉塞器室もレトロに再現

 古い駅舎でよく見るホーム側の出っ張り「閉塞器室」も、改修で昔風の造りに。ガラス窓部分は木枠で細かく仕切られたおたふく窓だ。

JR土讃線・琴平駅の洋風駅舎、船の窓を模した?装飾

 駅舎の壁の所々に丸い木の装飾があった。海上交通の神様のこんぴらさんにあやかって、船の窓を模したのだろうか?

JR四国土讃線・琴平駅、堂々たる風格ある3・4番線の木造上屋

 2番線だけでなく3・4番線ホームも木製の重厚な上屋で覆われている。ここから駅全体を眺めるのも歴史が感じられていいもの。

 しかし3・4番線に発着する列車は多くないようで、次の出発は2時間近く先だ。できるだけ跨線橋を渡らなくていい1・2番線を使っているようだ。

琴平駅、海上交通の神様・こんぴらさんにちなんだ船型の洗面台

 3・4番線の船の形をした洗面台もこんぴらさんらしさ溢れユニークだ。ただ、蒸気機関車時代の遺物で蛇口は外されてしまい、使えないようになっていた。

JR土讃線・琴平駅、大正築の洋風駅舎ホーム側の風景

 来年2022年で百歳を迎える駅舎だが、案内表示、掲示物、お土産の看板、そして利用する人々が空間を賑わし活き活きとしている。コロナウィルスの蔓延で、夏休み中にも関わらず観光客の姿はまばらだったが、いつも通りの賑わいが戻ってくる日が必ず訪れるだろう。

 1番線は多度津方にある切り欠きの行き止まりホームだ。名残惜しいが、高松行きの列車に乗って琴平駅を離れた。

[2021年(令和3年)7月訪問](香川県仲多度郡琴平町)

レトロ駅舎カテゴリー: 三つ星 JR・旧国鉄の三つ星レトロ駅舎

琴平駅の登録有形文化財

琴平駅には大正築の駅舎だけでなく、5つの建築物が登録有形文化財に指定されている。

  • JR琴平駅本屋
  • JR琴平駅旅客上屋一号(3.4番線の上屋)
  • JR琴平駅旅客上屋二号(2番線側の上屋)
  • JR琴平駅乗換跨線橋
  • JR琴平駅陳列所一号

跨線橋は昭和初期築らしいが、その他のものは1922年(大正11年)築。

JR四国土讃線・琴平駅、登録有形文化財となった木造跨線橋
(琴平駅跨線橋。昭和初期築で香川県内最古とか…)
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灼熱の秘境駅へ…

 7月のある日、阿波池田駅から多度津行きの普通列車に乗った。乗客はたったの二人。夏休み期間で、もう少し乗り鉄がいると思ったのだが、そんなのは私だけ。コロナウィルスの猛威で出控えている人が多いのだろう。

 吉野川を渡り、ぐるりとカーブし阿波池田の市街地を見下ろすと、列車は山の中に分け入った。

 本線から分岐すると行き止まりの駅に泊った。坪尻駅だ。ホームに降りた瞬間、けたたましい蝉の鳴き声が降り注ぎ、むさくるしいほどの木々の緑が目に飛び込んできた。

JR四国・土讃線、スイッチバック駅の坪尻駅に停車中の列車

 坪尻駅はスイッチバック駅で、勾配がきつい本線の1線隣に設置され駅だ。

 数分、停車したのち、多度津行きの列車はホームから離れていった。一旦、阿波池田方向に逆走し、本線横の引き上げ線に入りしばし停車すると、また方向を変え本線上を駆け上がっていった。

坪尻駅の木造駅舎ホーム側、持ち送りが軒を支える

 さあ、2度目の坪尻駅だ。木造駅舎は健在で何より。ホーム側の軒は、付け庇を柱が支えるのではなく、屋根からそのまま延長してきた庇を、木の棒の持ち送りが支える造り。そして駅舎両側面の板張りが軒の支えとして伸び出ている。

 それにしても暑い…。ついさっきまでは車内でひと時の涼で体を癒していたのだが、もう汗が流れ出る。絶え間ない蝉の鳴き声が暑さを煽っているかのように響く。壁の温度計を見ると36度!猛暑ってヤツだ…

坪尻駅待合室、

 待合室に入るとむっとしたこもった空気に包まれた。待合室に閉じ込められた空気を、この暑さが燻したような独特の臭いだ。これからしばらく過ごす駅。換気をしたい所だが「害虫の侵入を防ぐためドアは閉めて下さい」という注意書きが貼り付けられていた。仕方ない…。時折訪れる人も、注意を忠実に守るため、ろくに換気がされず空気が濁ってしまうのだろう。

まさに秘境駅!深い木々が覆う土讃線の坪尻駅前(徳島県三好市)

 駅を一歩出ると、ただ木々が密集し、幾重にも厚い影を落としているだけだった。駅前通り?街並み?そんなものは一切無い。谷底の駅には人の気配は皆無だ。

貴重な純木造駅舎

土讃線・坪尻駅、今やJR四国唯一となった純木造駅舎が残る

 そして駅舎に振り返った。坪尻駅の開設は1929年(昭和4年)4月23日。当初は坪尻信号所としてで、駅に昇格したのは戦後の1950年(昭和25年)1月10日。この木造駅舎はその約2年前の1948年(昭和23年)に竣工したものだ。

 駅舎は見事なまでに使い古された木の質感溢れる。今となってはJR四国唯一の純木造駅舎と言えるだろう。

 …と言うのも、JR四国にも木造駅舎が多く残るが、JR化後にほとんどが外壁が新建材になるなど、今どきの新築住宅のようにきれいに改修されてしまった。古くくすんだ駅を明るいムードにし、快適に使ってもらおうという方針は経営的には正しい。しかし、レトロなものが好きな私のような好事家には物足りない。

徳島県三次市池田町にある坪尻駅、木造駅舎が残る秘境駅

 駅舎は盛土の上に建てられ、階段で出入りする。

土讃線・坪尻駅、木の質感豊かな木造駅舎はJR四国では貴重。

 木の壁には駅の歴史が刻まれたような木目が浮かび上がる。

 JR四国では発足した頃、駅舎の空きスペースを店舗として活用し、増収を図っていた。それも駅舎徹底改修の一つの理由なのだろう。しかし秘境駅の坪尻駅、店舗としても活用できる見込みどころか、利用客もきわめて少なく、きれいに整える必要性も薄い。そのへんも昔のままの姿で残った理由のひとつなのかもしれない。

 そんな坪尻駅でも、かつてはペンキで装っていた時代があったのか…。パステルグリーンっぽい塗料がかすかに残っていた。

土讃線・坪尻駅の木造駅舎、改札口跡付近

 正面だけでなく、ホームの改札口跡付近もいい質感だ。錆びた鉄パイプ製のラッチ…と、言うか乗車券回収箱もいい味出している。

 その上には「スズメバチ注意」の注意書きが…、つくづく油断ならない駅だ。

周辺を歩くと…

 駅の周辺を少し散策しよう。しかし正面の「マムシに注意」の看板が背筋をゾクッとさせる。下手に歩いていると枯葉の陰に潜むマムシに襲われるかもしれない。スズメバチも気になる…。周囲を警戒しながらゆっくりゆっくり歩いた。

土讃線・坪尻駅、還暦の開業60周年を記念した桜の植樹

 駅舎のすぐ横には坪尻駅還暦記念植樹の桜が植えられていた。旅客開業から60年の平成22年(2010)年1月11日と標されていた。この他にも、少し離れてアメリカ・オレゴン州の訪問団による記念植樹の桜もある。利用客はすっかり減ってしまったが、何のかんの言って愛されている駅だ。

土讃線・坪尻駅南側の踏切

 駅の南側にはささやかな踏切がある。自動ではなく、手動で棒を動かす方式だ。

 踏切の側らには列車通過予定時刻を標した看板もある。アンパンマン列車で運行される特急にはご丁寧にアンパンマンのシールが貼られている。

徳島県三好市の秘境駅、土讃線・坪尻駅の山深い風景

 踏切から坪尻駅を眺めてみた。よくこんな所に駅を作ったなと思えるほど、山の隙間に駅は位置する。

 この地は元々、川底だったという。しかし、鉄路を通す時に、敷地を確保するため、水を流すためのトンネルを掘削し水流を変えてまで、信号所を開設したという。それ程の難所だったのだ。もう少し時代が過ぎれば、トンネルで山を貫通したのだろう。土讃線と並行する国道32号線は、この区間をトンネルで貫通している。

 色々撮影していると、列車の気配がし、下りの特急南風が通過していった。踏切の警報音も無く、カーブ掛かった北側は特に見通しが悪く、突然にやって来たという印象。ここで撮影に夢中になり過ぎるのは危険だ。

秘境駅・坪尻駅近く、集落への山道の途上にある廃墟

 踏切を渡ると山道が伸びて、一軒の荒れ果てた廃墟が不気味に佇む。これが坪尻駅付近の唯一の建物だ。

 そして、道はまだ続いていた。獣道よりマシな程度で本当に道はあるのかと不安だが、600メートルほど登れば、坪尻バス停のある県道5号線に出るらしく、坪尻駅へのアクセス手段の一つとなっている。この道、請願により駅が開設が決まった時に、住民の手で切り開かれた道という。このか細い道は駅の開設を喜ぶ住人の思いが詰まった道なのだ。今度はそんな思いに想いを馳せながら歩くのもいいものだ。

列車待ちのしばしの間に

 しばらくうろうろし、列車の時間が近づいてきたので駅に戻ってきた。猛烈な暑さで、換気のできない待合室にいるより、時折通りぬける風を頼りに日陰にいた方がまだいいかもしれない。

愛が深まる!?坪尻駅のらぶらぶベンチ

 駅には「らぶらぶベンチ」なる木のベンチが設置されていた。谷底の坪尻駅をイメージしたかのように、真ん中が折れ曲がっている。狭い駅でどうしても二人の距離は近くなるという事か…。一緒に座るべき人がいない私は真ん中に座ったが(笑)

土讃線・坪尻駅の木造駅舎、駅事務室の重厚な木の扉

 この駅事務室の重厚な木の扉も。木造駅舎らしさ溢れ素晴らしい。

JR四国土讃線・坪尻駅の木造駅舎、建物財産標

 扉の上には木の古い建物財産標が取り付けられたままだ。この駅舎は「待合所 1号」となっている。

土讃線・坪尻駅ホームに残る枯池

 駅舎の横には廃れた池の跡があった。特徴的な鉄の塔のような構造物は、噴水か何かだったのだろうか?坪尻駅が秘境駅と呼ばれるようになる前は、水を湛え列車を利用する地元住民達ののしばしの憩いの場だったのだろう。

[2021年(令和3年)7月訪問](徳島県三好市)

レトロ駅舎カテゴリー:
三つ星 JR・旧国鉄の三つ星レトロ駅舎

坪尻駅FAQ+

  • 坪尻駅にトイレはある?

    無い。設備はあるが閉鎖され使用不可。

  • 坪尻駅へ行くバス路線はある?

    四国交通の野呂内線(阿波池田‐野呂内)が、坪尻駅最寄りの坪尻停留所に停車する。但し、半数以上のバスが途中の箸蔵ロープウェイ止まりで、坪尻へは一日三往復。バス停は県道5号線上にあり、坪尻駅はさらに山道を下った約600m先。無舗装の細い道なので、健脚な人向け。車は通れない。

  • 坪尻駅を俯瞰できるポイントはどこ?

    落集落の中に「坪尻駅展望台」が整備された。坪尻駅から直線距離で500m弱に位置(あくまで地図上の直線距離…)。県道5号線より少し上った場所に位置し、坪尻駅近くも通る四国交通野呂内線の落停留所が最寄り。

  • 四国交通野呂内線の時刻、運賃等は?

    四国交通・路線バスのページへどうぞ。ちなみに阿波池田駅から坪尻停留所まで490円。

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.last-updated on 2026/05/18