三津駅(伊予鉄道・高浜線)~古色蒼然、そして瀟洒な木造駅舎へ…



本で見た駅舎に誘われ…

 鉄道の旅の延長で「駅舎」というものに関心が向き、色々な本を読み漁った。ページをめくるたびに現われる古く趣きある駅舎の数々に完全に魅了され、いつか必ず訪れようと心に誓った。その中で、特に私の気を引き、絶対に訪れたいと強く思わせた駅がいくつかあった。伊予鉄道の三津駅は、そんな駅の1つだった。


 前夜、北九州市の小倉港から夜行フェリーに乗り、翌朝、松山観光港に入った。伊予鉄道の高浜駅、梅津寺駅を見た後、早朝の7時前に念願の三津駅に到着した。

伊予鉄道・高浜線、念願の三津駅駅舎訪問

 駅舎を正面から見ると、一際、印象的なのが、正面の入り口上に描くように組み入れられたアール・ヌーヴォ調の曲線の木材だ。駅は古色蒼然とし古さは隠せないものの、大胆にも、このような洒落たデザインを取り入れているため、モダンでレトロな雰囲気が漂う。このアール・ヌーヴォ調の曲線が有るのと無いのでは、駅舎の雰囲気は180度違っていただろう。この優雅な曲線は、2年前ベルギー・アントワープの「コーヘルス・オジレイ通り」で見たレトロな建物群を思い起こさせる。伊予鉄道のウェブサイトによると、この三津駅の木造駅舎は昭和初期の築との事だ。

伊予鉄道・高浜線・三津駅の木造駅舎、ファサードのアールヌーヴォ調曲線

 伊予鉄道の高浜線は1888年(明治21年)に、松山駅(現・松山市駅)と、この三津駅との間で開業した。何と四国最初の鉄道で、三津駅はその当時から存在する歴史ある駅なのだ。

 三津駅は松山の海の玄関であった三津浜港の連絡駅の役割を果たしていた。夏目漱石は1895年(明治28年)、愛媛県尋常中学校に赴任する際、船に乗り三津浜港に降り立ち、この三津停車場から「マッチ箱のような列車」に乗り松山市街に向ったという。

 しかし、1892年(明治25年)に高浜線が全通すると、終点の高浜駅は高浜港との連絡駅になった。これに対抗し、三津浜港の関係者達が1911年(明治44年)松山電気軌道を開業し、三津浜港へと連絡させた。松山の玄関口の座を掛け、三津浜港と高浜港、そして松山電気軌道と伊予鉄道は熾烈な争いを繰り広げたという。しかし1921年(大正10年)、伊予鉄道が松山電気軌道を合併、後に併行区間を廃止し、争いは終止符が打たれたという。

 現在、三津浜港は瀬戸内海航路が何線か就航するのみとなった。高浜港は今では近隣の島々への航路が就航するのみだが、高浜港の後を受け、約1km離れた所に開港した松山観光港には、各地からの大型フェリーも就航する。なので高浜線と高浜駅は、今でも松山の海の玄関口への連絡線で、高浜駅からは連絡バスも運転される。三津浜港側とは明暗を分けたと言えるだろう。

伊予鉄道・高浜線・三津駅、駅舎一角の売店跡と思しき部分

 駅前には自転車が所狭しと並べられている。三津駅は高浜線の中でも乗降客が多い駅らしい眺めだ。

 駅舎の向って左に、自動販売機と自転車の陰に隠れるような小さな木造の小屋がある。変哲の無い小屋で、窓らしき所が板で塞がれていて、たぶん元売店なのだろうが、駅舎と違和感なく溶け込むように佇み、こちらも懐かしさが漂い、いい味を醸し出している。

伊予鉄道・高浜線・三津駅、早朝の通勤通学時間帯

 通勤通学時間帯が近付き、人の出入りが徐々に多くなっていく。三津駅が、ただ歴史があり、古いだけでなく、人の息吹を身に受け活気付くのは頼もしい。このまま末永く変わらぬままでいて欲しいものだ。

 待合室に戻ると、駅員さんが打ち水をした後で、コンクリートの床一面が濡れていた。外から強く射し込む朝日が床を眩しく照らし、濡れた床面に影を黒く刻む。今日も暑い1日が始まった。

伊予鉄道・高浜線・三津駅、夏の暑い朝、待合室の打ち水

[2002年(平成14年) 7月訪問]

再訪、本州から瀬戸内海を渡り三津浜港へ…

 瀬戸大橋などの架橋や、そこを渡る鉄道やバス、空路など、四国への交通手段は今やバラエティに富み、便利になってきている。しかし、四国への旅は、やはり船で瀬戸内海を渡るのが趣き深く旅情に富むというものだろう。

 そう思い、寝台特急「はやぶさ・富士」号で名古屋を発ち、朝に山口県内の柳井駅で下車し一駅戻り、柳井港駅で降りた。文字通り柳井港の前にある駅で、柳井港からは防予汽船の三津浜行きのフェリーが発着している。


 2時間の船旅を楽しみ、三津港の岸壁が近付いてくると、規模の小ささに驚かされる。かつてのライバル、松山観光港は、最新の空港かと見紛うばかりの大きく近代的な建物なのに、三津浜港は小さな町の船着場と言った感じだ。鉄道風に例えるなら、片や、何本もの長いホームと、立派な駅ビルを持つターミナル駅。片や、交換設備のあるローカル線の有人駅といった感じだ。伊予鉄道と松山電気軌道…、勝者と敗者という現実は、現代にまで今も色濃く残っている。

愛媛県松山市、海の玄関口の一つ、三津浜港

 船内は空いていて、パラパラと乗船客が降り、車数台が船から出てきた。乗ってきた船は、新たに乗船客や車を乗せると、休む間もなく汽笛を響かせ岸壁から離れていった。

 印刷した地図を片手に伊予鉄道の三津駅に向かって歩き出した。かつて漱石など明治の人々も、こうして三津駅へ歩いたものとと想いを馳せると感慨深い。

 道は比較的単純で、商店街に差し掛かり、左に曲がり、あとは真っ直ぐ行くと三津駅に行けるようだ。

 商店街と思われる道に差し掛かったが、多くの店がシャッターを下ろしている。いくら日曜日とは言え、建物は色褪せてくたびれ、店名の表記が無かったり、消えかかっているものも多く、活気を感じられない。地図では商店街を「アーケード街」としているが、アーケードは見当たらなく、撤去されたのかも知れない。「この道で合っているのだろうけど…」と、半信半疑のまま歩みを進めた。

愛媛県松山市、三津駅前の商店街

道の突き当たりのはるか奥で、見覚えのある三角屋根と、そこに描かれた曲線があるのを、かすかではあるが認識した。その姿は、歩みを進める毎にはっきりとしてきた。近付けば近付くほど、駅の持つオーラが迫り、早く見たいという気持ちが高まり、歩みが早くなる。

伊予鉄道・高浜線、古色蒼然とした三津駅の木造駅舎

 そして、三津駅の木造駅舎の前に立った。約3年ぶりの再会だ。

 ボロと言っても差し支えのない程、かなり古び、大掛かりな改修は施されていないだろう事が推察できる。でも、その古さにも関わらず、現役の駅として、アール・ヌーヴォ調の大きな曲線をその身に湛えながら凛として建つ姿は、時代を生き抜いてきた者だけが身につけた風格を漂わせ、凄みさえ感じさせる。「お前、久し振りだけど、まだこんなに堂々と立っているなんて凄いなぁ」と、まるで何十年振りに会った友に語りかけるかのような感慨を覚えた。

伊予鉄道・三津駅、木造駅舎ファサードの曲線

 出入口上部のアールヌーヴォ調の曲線を見て、三津駅はやっぱりこれだなと改めて感じだ。通風孔やそこから伸び出る軒支えのような構造物や、採光窓など、細部の造りも面白い。

 前回の訪問でも、確かに印象に残る駅舎だったが、迫り来るように、一際、印象深い。これ程までに感じていただろうか…?記憶が薄れたのかも知れないし、駅巡りの旅を何度もしている内に、駅舎に対する見方や接し方が変っていったのかもしれない…。

伊予鉄道・三津駅前、レトロな造りを残したタバコ屋跡

 駅前のたばこ屋も古びた木造で、レトロ感満点だ。今では閉業して跡が残っているだけなのが少々残念だが、三津駅とともに、長い年月を過ごしてきたのだろう。


 いつまでもこの駅舎を愛でていたいが、キリが無いと思い惜しみつつ、駅前で客待ちをするタクシーに乗りこんだ。そして、運転手さんに「JRの伊予和気駅まで…」と告げた。今回、数年前に訪れたばかりの三津駅を再訪したのは、三津駅自体の魅力はもちろんあったが、伊予和気駅を見る前に、改めて三津駅を見ておくのも悪くないなと思ったからだった。


[2005年(平成17年) 6月訪問](愛媛県松山市)


なぜ、三津駅を見た後に、JRの伊予和気駅に行きたいと思ったか…答えは伊予和気駅の訪問記をご覧下さい。

取り壊しから15年後、訪れると…

 この三津駅駅舎は惜しくも2008年に取壊しとなり、2009年に新駅舎が竣工した。新駅舎はアール・ヌーヴォの曲線など、旧駅舎の雰囲気を取り入れたデザインとなった。


 大好きだった駅舎が取り壊されてから約15年後、三津駅新駅舎を訪れた。あまり見たくないなと思いつつ、やっぱり気になるという思いを抱えながら…

伊予鉄道高浜線・三津駅、特徴的な旧駅舎を模した新駅舎
三津駅、旧駅舎を模した新駅舎(2023年6月)

 レトロな洋風デザインで、旧駅舎からそのまま受け継いだようなあのアール・ヌーヴォ調の曲線は印象的。その部分だけ見ていると、旧駅舎を改修しただけだったのかと錯覚さえ覚えた。

 竣工からそれなりに過ぎているとは言え、新築のようにきれい。内部は地元の菓子店が営むカフェとトイレがあった。

伊予鉄道、新駅舎竣工後の三津駅。
三津駅、ホーム端に設けられた駅事務室

 切符売場や駅事務室はホーム端に設けられ、実質的な駅機能はそちらに移った感。旧駅舎時代は西側にしか出入口が無かったが、駅を東西に貫く構内通路が設けれら、東側からも出入りできるようになっていた。

レトロ駅舎カテゴリー:
私鉄の失われし駅舎