目に飛び込んできた古色蒼然とした構造物…
去年2025年6月、只見線の会津若松行き列車に乗って何気なく車窓を見ていた。
ある駅のホームに進入した時、目の前に木造のいかにも古びた構造物が目に飛び込んできた。
「!!これは貨物上屋!?」
どの駅か忘れないように、慌てて外に向けシャッターを切った。写した簡易駅舎の壁には
「会津高田駅」
と標された駅名標が掲示されていた。
会津高田駅は、只見線の起点・会津若松駅から4つ目の駅で、11.3㎞の所にある。福島県大沼郡会津美里町にあるが、2005年に周辺自治体と合併するまでは、駅名の通り会津高田町という自治体にある駅だった。
会津高田駅で貨物列車の取り扱いが廃止されたのは1971年(昭和46年)8月29日、旅客列車による荷物取扱いが廃止されたのが1984年(昭和59年)2月1日。恐らく前者の時に、あの貨物上屋と側線ホームでの貨物取扱も廃止されたのだろう。
今でもローカル線の駅に行くと、貨物を扱っていた側線とそのホーム跡が残っているのをよく目にする。駅舎のあるホームに面して、行き止まりのホームを造り、本線から分岐していたというパターンが多い。
貨物列車が廃止されていくと、側線ホームには保線車両が留置されたり別の物が建ったりと転用されたりもする。しかし、その後使われる事もなく、かと言って取り壊すまでも無く、そのまま放置のように残っているケースも少なからずある。
だけど会津高田駅のように、半世紀以上も前に用途を失った側線ホームに貨物上屋まで残っている駅は本当に稀。日本全国にもう数えるほどしかないのでは…
できるだけ早く、できれば1年以内に会津高田駅を訪れたいと思った。…というのも、こういうレトロで古色蒼然とした構造物、ましてや無名のものはいつひっそりと取り壊されたもおかしくない。
「またいつか…」
と悠長に構えていると、数年後には取り壊され、二度と見られなくなるかもしれない。
会津盆地を西に会津高田駅へ…
それから約10ヶ月後、再び只見線を訪れた。
只見線は、会津若松駅を出ると、真っすぐ奥会津の山々の方を目指すのではなく、会津盆地を南に迂回した後、北上し会津坂下駅へ至るルートを取っている。会津坂下駅までは約21㎞、35分。直線距離だと約11㎞で約半分。
そのルートの南西あたりにあるのが会津高田駅。今回は会津若松駅から折りたたみ自転車で会津高田駅を目指す。

レトロな建物が残る七日町商店街を通り、住宅街を走り抜けると、山並みを背景にした長閑な農村の風景が広がった。雪解けから1ヶ月位だろうか?田んぼにはまだ稲は植えられていない。
会津盆地のやや南を西へと突っ切り、会津高田駅を目指した。

会津高田駅が近づくにつれ、田畑から町並みの風景に変わっていった。もうすぐだろう。
圧巻!貨物ホーム跡の木造貨物上屋
そして道の突き当りに会津高田駅が見えた。そして左を向くと…


「あった!!」
古びた木の建造物にはにつるが絡みつく。
「喜楽屋駐車場」と看板を掲げている。今では駅前の中華料理屋・喜楽屋の駐車場として使われているようだ。角にはバスケットのゴールが設置されているが、所有者が子供のために設置したのだろう。
貨物取扱が廃止され土地も不要となっていた所、周辺の敷地を含め、買ってくれる人(もしくは借りてくれる人?)が現れたのだろう。屋根付きの貨物ホーム跡は、雨や雪が防げ好都合。広さは乗用車を停めておくのにちょうどいい。駐車場として良い事づくめ。そのあたりが貨物廃止後、50年以上も残り続けた理由なのだろう。

ホーム側にまわってみた。柱がホーム沿いに並び、屋根がホームを覆っているのは、今でも貨物ホームの風格。広さから察するに、2線分の側線があったようだ。

半世紀以上、風雨や雪に晒され、古さが染み付いた木が入り組み、屋根を支える姿は古き良き趣溢れ圧巻ですらある。木造建築の迫力が迫り来るかのよう。

使い古された木造建造物の風格が印象深いが、それは傷みが進行してる事の裏返し。
ある柱はひび入り…というか割れている上に傾いていた。他の部分も相当劣化が進んでいるのは想像に難くない。放っておいたら数年の内に崩落してしまいそう。いや、その前に車への被害が及ばないように取り壊されてしまうだろう。
只見線に残る鉄道遺産として、町などに適切に管理されればと思うが…。それ以前に認識すらされていないのだろう。
昔の賑わいを伝えるものが遺跡のように…

駅舎の前には映画・寅さんシリーズこと「男はつらいよ」の第36作「柴又より愛をこめて」のロケ地になった事をアピールする看板があった。1985年公開で、看板にはロケの様子や、木造だった旧駅舎の写真もあり興味深く見た。
第48作の最終作となった「寅次郎紅の花」では、岡山県にあるJR因美線の美作滝尾駅がロケ地となった事で知られていが、美作滝尾駅にも木造の貨物上屋が残っている。寅さんのロケ地と古い貨物上屋…、全く違う場所にある駅の意外な共通点が面白い。

ロケ当時の木造駅舎は、2000年に現在の簡易駅舎に建て替えられた。待合室があるだけの簡易駅舎。出入口の通路の部分に、急角度で高い三角屋根があるのが特徴的。会津若松-会津坂下間の、新鶴駅、会津本郷駅も同デザインだ。

かつては2面2線の列車のすれ違いができる配線だったが、反対側の一面は廃止されて、今は1面1線に。ホームの幅より大きく高く成長した木が使われなくなってからの年月を物語る。
あの行き止まりの貨物ホームは西側…、会津坂下方にある。

反対ホームは草が生し、まるで遺跡のように残存している。ホームの向こうには水田、そして会津若松の町並みや会津盆地を取り囲む山々が遠望できる。もう少ししたら、田んぼは水が湛えられ瑞々しい稲でいっぱいに植えられるだろう。まだ反対ホームが使われていた頃に立って眺めたら、どんなに素晴らしい風景が広がった事だろうか…

あの貨物上屋をホーム側から見てみた。屋根は意外と高く、柱の間に乗用車がゆったり4台停められれる。美作滝尾駅のものよりざっと見て約1.5倍の広さ。

側線ホームを眺めてみた。貨物上屋の隣も、宿舎や詰所など、駅の諸施設が建ち並んでいたのだろうが、今では民家が建っている。

側線のレールは草に覆われながらも残っていた。貨物上屋のプレハブで改修された部分も、倉庫など関連設備だったのだろう。
レールを見ていておかしな事に気づいたが、突き当りのコンクリートの車止めと位置がずれている。側線は広さから見て、2線分のレールがあったと推察できるが、残っているレールはその真ん中に敷かれいてる。貨物ホームとも少し離れ面しているとは言えないあ。これでは作業がし辛かったのでは…?
おそらく貨物ホーム廃止後、保線車両など業務用車両の留置するため、再びレールが敷かれ使われていた時期もあったのではないだろうか…

貨物上屋の正面には、道路をはさんで農協の農業倉庫が残っていた。古い駅には付き物と言っていい駅前の農業倉庫。昔ながらで懐かしくもある駅風景だ。壁には会津高田町と合併前の町名が標されていた。上屋同様、かなり古いものだ。今でも使われているのだろうか…?
お昼にはちょと早いが、折角なので上屋の持ち主であろう喜楽屋さんでランチをと思っていた。しかし定休日の看板を立てて、店の前で掃除か何かをしていた。

名残惜しいが一通り見たので、出発の時だ。今度は列車で、再び訪れる時に貨物上屋が残っていればいいな。
次の目的地は会津坂下駅。駅の西にある踏切を超え、勢いよく会津盆地に漕ぎ出した。自転車には辛い風が吹き荒れていたが…
[2026年(令和8年)4月訪問(福島県大沼郡会津美里町)]