門司港駅 (JR九州・鹿児島本線)~昔の大ターミナル駅の姿を残した威風堂々の洋風木造駅舎~



重要文化財となり既に偉大だった1990年頃

 門司港駅駅舎の名声は、当時まだ駅舎というものに全く興味が無かったいち鉄道ファンの私でさえ知っていた。とても古い洋風駅舎が残っていて、重要文化財にまでなったとか…


 門司港駅の歴史を簡単に標すと以下のようになる…
 開業は1891年(明治24年)。国有化以前の九州鉄道時代で、当時は200メートルほど東側に位置していた。当初の駅名は門司駅だった。

 1901年(明治34年)5月27日には関門連絡船が就航し本州の鉄道と接続されると、九州の玄関口としてとても賑わったと言う。1906年(明治39年)12月1日に山陽鉄道は国有化された。

 1914年(大正3年)、駅は現在地に移転した。この年こそ、今に残る駅舎が建てられた年だ。

 関門トンネル開通が間近の1942年(昭和17年)4月1日、駅名は門司港駅に変更された。門司の駅名は関門トンネルとの接続駅になる大里駅に譲った。

 同年7月1日は関門トンネル下り線が開通、1944年(昭和19年)9月9日には複線での運行が開始された。

 関門連絡船は地域輸送の需要がありしばらく残されたが、1964年(昭和39年)11月1日に廃止された。

 門司市…後に北九州市門司区の駅として街中に位置したが、メインルートから外れた支線のような形で取り残されたためだろうか…、駅舎は近代的なビルに建て替えらる事無く時は流れた。そして1988年(昭和63年)、駅舎としては初めて重要文化財に指定され、後に近代化産業遺産にも認定された。


 1990年頃、初めて一人で九州を鉄道で旅した。その時に偉大なる門司港駅も訪れた。

大改修前の門司港駅の駅舎。

 木造の風格ある洋館は私に強い印象を残したものだ。

 今となっては細かい事は覚えていないが、写真は懐かしい姿を留めていた。右側に電光式の看板が出ているのを見ると、蕎麦屋かうどん屋がまだあった頃のようだ。左側には丸ポストが写り込んでいる。

 雨降りで空が暗めなのにもかかわらず、2階は明かりひとつ灯っていない。九州の玄関口の座を譲ってから半世紀以上が過ぎ、大仰なターミナル駅舎を持て余してたのかもしれない。


 最初に訪れてから20年位過ぎた2010年代の前半、駅舎を解体をしての大掛かりな保存修理工事が施される事になった。2012年秋より始まった「平成の大改修」は約6年に及んだ。駅舎は竣工当時の大正3年当時の姿に復原され、2018年10月に一部供用開始。2019年3月19日に完全再開、グランドオープンとなった。

 グランドオープン前の2018年11月末。門司港駅を訪れた。フェンスで囲まれているものの外観はほぼ仕上がり、1階の切符売場など主な機能が利用されはじめていた。それだけでもレトロなムード溢れ、凄さを感じさせた。2階には大正の頃にあったみかど食堂が復刻されるとニュースで聞いていた。一体、どのような姿で、再び私たちの前に現れるのだろうか…

まずは往時が再現された駅舎2階部分から…

 グランドオープンから約2年後、門司港駅を訪れた。

 まずはランチにみかど食堂へ行こうと、2階に上がった。

重要文化財の木造駅舎が残る門司港駅、貴賓室

 改修前は非公開だった2階は、貴賓室が復元されていた。赤い壁紙が太陽の日差しで照らされ眩しいばかり。この壁紙は、地元の人が保管していた同じものや、工事中に発見された壁紙片を参考に製作したという。

 昔は高貴な人をもてなす部屋らしく豪華な調度品がしつらえられていたのだろうが、現在では円卓と椅子が置かれているだけ。しかし利用料さえ払えば、みかど食堂の個室として食事ができる。少しだけ大正のVIPの気分を味わうのも悪くないだろう。

 廊下を隔てて駅前広場側がみかど食堂となっている。レストラン内はレトロさを感じさせながらも、現代的な空間に仕上げられ、メニューは東京の有名レストランが監修する。

門司港駅舎みかど食堂、ランチコースメインのビーフカツレツ

 いい席に案内され、珍しくのんびりとランチコースを愉しんだ。食べたのは旧みかど食堂にもあったビーフカツレツ。

長き眠りから目覚めた大正の駅舎

 ランチの後、改めて復原された駅舎に対峙した…

大改修が終わり竣工の大正時代の姿に復原された門司港駅の駅舎

 左右対称の洋風建築が威風堂々と佇む様は、まさに九州の玄関、いまだ大ターミナル駅の風格に溢れる。素晴らしすぎる出来に「おぉ…」と感嘆の声を漏らした。外観の造りに大きな変化は無く、復原前と形状は大差無い。長い間、ピンク色の塗装だったが、改修後は、薄い黄土色っぽいシックな色に。

 正面に取り付けられていた大きな庇は撤去された。庇は昭和4年の改修時に取り付けられたもので、竣工時の姿を復原する事を重視した結果という。

 大時計も移転開業時には無く、4年後の大正7年に設置されたものだ。しかし、長年親しまれたことから残される事になった。この時計、初代のものは建物内の他の時計が全て同じ時刻を指す電気時計で、東京駅、新橋駅、横浜駅、京都駅に次いで駅では全国で5番目に設置された珍しいもの。こんなちょっとした事でも門司港駅の位置付けが感じられる。

門司港駅の駅舎、ネオルネッサンス様式の威厳ある洋風木造駅舎

 ネオルネッサンス調の造りは華美ではないが、凝っていて重厚感あふれる。

 主要駅と称される駅で、特に重要度が高い大きな駅のはるか昔の旧駅舎を写真を見ると、大抵、大柄で重厚感のある木造駅舎だったようだ。そんな駅がコンクリートのビルとなった現在の姿を思い返すと、あんな時代もあったものなのだと感慨を覚えるものだ。

 昔ながらの大きな駅らしさを残した古駅舎は今では数えるほど…。そういう姿を残しているという意味でも門司港駅舎の存在は貴重だ。

JR九州・鹿児島本線・門司港駅、回廊のような駅舎正面や軒下

 前面は駅舎を貫き軒と連なり回廊のようになっている。照明の台座など、細かい所もレトロに復刻されている。

 駅舎正面右寄りの塔屋の裏側は窓口のような造りが再現されていた。何があったのだろうと不思議に思ったが、後で大正3年当時の図面を見ると営業案内所と標されていた。

門司港駅、駅舎左横に小荷物取扱所の窓口

 駅舎右手側には小荷物取扱所の窓口も再現されていた。大正3年当時の図面を見ると、この場所は標されていないので、後年に増築されたのだろう。

門司港駅前から眺めた関門海峡、大橋で本州と繋がる

 駅前広場からは関門海峡と対岸の本州が垣間見えた。海に隔てられているとは言え、関門海峡大橋が大げさに見えるほど本州は近い。

門司港駅、駅舎横のバスロータリー

 駅舎の左側面にはバスロータリーが設置されていた。かつては駅正面にバスなど車が乗り入れていたが、平成に入り駅前広場が整備されロータリーもこちらの移設されたという。こうして名駅舎を堪能できるのはそういった施策のお陰だ。

門司港駅の古きもの

 門司港駅を巡り歩けば、駅舎だけでなく文化財級の印象深いものからちょっとしたモノまで、長年の歴史を感じさせる見所が数多く残されている。まさに鉄道遺産の宝庫だ。

門司港駅、帰り水の背後に移築保存された往時の洗面所

 現駅舎が竣工した頃からあると言われるレトロな水場「帰り水」の背後には、洗面所の一部が移築保存されている。年季が入り黒ずんだ蛇口は、ひねれば水が勢いよく流し台を打ちつける。大理石やタイルはよく拭かれピカピカだ。

門司港駅、復員兵など帰国者の喉を潤した帰り水

 撮影に夢中で、なぜか帰り水そのものの撮影を忘れてしまった。この写真は2018年訪問時のものだ。

 かつては海外航路もあり、戦後の復員など、門司港に帰国第一歩を標した人々も多かった。上陸した人々の多くが、まずこの水道から出る水で喉を潤し、いつしか帰り水と呼ばれるようになったという。

門司港駅、駅構内の上屋を支える鉄の柱

 駅構内の上屋を支える柱は武骨な鉄製。しかし小さく花があしらわれている。

門司港駅、幸運の手水鉢、戦中の金属供出から逃れ現存

 トイレにある、手洗い用の水を湛える「手水鉢(ちょうずばち)」も大正3年からあるものだ。水をなみなみと湛えた鉄の水甕はなかなかの重厚感。この手水鉢、戦時中の金属供出を免れた事から「幸運の手水鉢」と呼ばれている。


 何故、移りゆく時代の中でこんな古き物が残り続けたのだろうか?門司港駅には何か違うものを持っている…、そう思わせた。

[2021年(令和3年)3月訪問](福岡県北九州市門司区)

レトロ駅舎カテゴリー:
三つ星 JR・旧国鉄の三つ星レトロ駅舎