盛岡市街地の風格ある木造駅舎
盛岡駅から仙台寄りに1駅の仙北町駅で下車した。約5年振りの訪問で、前回、木造駅舎が印象的だったので、また来てみたいと思い続けていた。
跨線橋は、趣深い木造駅舎に似合う古めかしい木造だ。この跨線橋にちょうど隠れてほどんど見えないが、背後にはレールを跨ぎ、街の東西を繋ぐ自由通路がある。
跨線橋階段の一部には、古い木製の手擦りまで残っていた。しかし新しい鉄製の手擦りが、覆いかぶさるように上から設置されているのがやや残念。もっと古くいいものを活かしてくれればいいのに…。
跨線橋の上から駅の周辺を見渡してみた。駅に隣接して、西側には工場があるが、新幹線も停車する県下最大の駅、盛岡駅から1.8kmしか離れていない事もあり、周辺は住宅など建物が立ち並ぶ市街地だ。
盛岡駅から1.8kmという距離は、旧国鉄の駅間距離としては短い方と言えるだろう。例えば、何十年も昔は大都市圏を除き、私鉄と国鉄の路線が近接している場合、私鉄が主に近郊輸送、国鉄は長距離輸送を担うという風に、役割分担みたいなものがあり、国鉄の列車の事を「汽車」と言ったものだった。なので、同じような距離でも国鉄の駅の方がグッと少なかった。それを思うと、「汽車」の駅間で1.8kmは異様と言える短さだ。
元々、盛岡駅は今の仙北町駅付近に設置される予定だったが、地元の反対により、1890年(明治23年)に現在の場所に開業した。その結果、盛岡駅周辺の方が発展していき、逆に今の仙北町駅付近が徐々に衰退していったという。
そうなると地元の人々は1911年(明治44年)当時、鉄道院総裁だった原敬の下に、駅を造るように陳情に行ったという。言うまでもないだろうが、原敬は1918年(大正7年)に首相となる人物で、今の仙北町駅西側の本宮村の出身だったのだ。
陳情から数年後の1915年(大正4年)1月5日、仙北町駅が開業した。そのため仙北町駅は原敬が職権で作らせた駅と言われている。この駅から約2km西には原敬の生家と記念館がある。
跨線橋を降りると、跨線橋の屋根がそのまま駅舎の軒に繋がっている。軒や支える柱も木製という木の空間は、まるで古い回廊のように味わい深く歴史を感じる。この下を歩くほどに心地良さに包まれる気分だ。
駅舎改札口付近に並ぶ軒の柱は、白く塗られてはいるが木のままで、外壁も木のままだ。大切に使われ続けている事がうかがえる。柱に駅名が書かれたホーロー看板が、白い壁に映えるようにレトロなアクセントになっている。
奥にある茂みが気になり、改札口を通らすにそのまま進むと、池が涸れた小さな庭園の跡があった。乗降客の動線からはやや遠く目に付きにくい。なぜこんな所にと不思議に思った。
駅開業以来と思われる仙北町駅の木造駅舎は街の中心にあり利用客も多いため、色々と改装されている。しかし、昔のままの佇まいが良く残り味わい深い。他にもっと木の質感が豊かで味わい深い木造駅舎はいくらでもあるが、何故かとても魅かれ。たぶん、街中で、レトロないでたちの駅舎が立派に現役という点が魅力的なのだと思う。そう思うと、駅舎を撮影する時はいつも鬱陶しく思う自動販売機も、現代に生きる古駅舎ならではとさえ思え味わいのある風景に見える。
内部は今も多くの人が利用する駅というため、窓口や待合室は大きく改装され古い木造駅舎らしい面影は薄い。しかし、待合室は田舎のローカル線の木造駅舎のものよりやや広く、駅開業当初より、それなりの需要が想定されていて、現在も少なからず乗降客がいるのだろうと感じさせる。
KIOSKも健在だ。
改装された待合室でも、片隅には造り付けの木製ベンチがひっそりと残る。まるでこの歴史を語りかけてくるかのようだ。それに人間の体形に合わせ曲線が入れられているのが凝っていていい!
駅舎の入り口には、「よごさぬように美しく」という日本観光協会(現:日本観光振興協会)の小さな看板がひっそりと掲げらていた。木造駅舎を巡り旅していると、たまに見かける古いホーロー看板だ。この標語のように、古いながらも駅はきれいに保たれているのが嬉しい。
古きよき歴史の香り漂う仙北町駅だが、地元の住民から橋上駅舎化の要望が出されている。周辺の駅も橋上化が徐々に進んでいる。95年間、街を見つめ続けてきた駅舎だが、もう先は長くないかもしれない…。
[2010年(平成22年) 8月訪問](岩手県盛岡市)
~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の二つ星駅舎~