駅中が鉄道遺産、見所だらけの門司港駅を堪能
門司港駅舎2階に復刻されたみかど食堂でランチを味わい、ヴェールが外され全貌を現した門司港駅舎を正面から堪能した後、右側に回り込み西に少し歩いた。
すると駅構内の車両留置線横の扉が開いているのに気付いた。足を踏み入れたいけど、ここ一般人立ち入り禁止だよなあ…。しかし、ただの通行人が何人も駅から、または駅へと通り抜けていた。どうやら通路として開放されているらしい。
中に入ると5番ホームの横に、数本の留置線がありJR九州の車両が止められていた。1番線の側面はもっと広い留置線があるので、なかなかの規模だ。
すぐ背後には標高362mの風師山がそびえる。その様、まるで麓のマンションを圧するかのよう。海沿いの狭い土地をなんとか切り開き広大な駅と街を作っていったものだ。
留置線から少し駅舎の方に進むと、古めかしい木造建築が数棟、残ってた。ちょっとした規模の古い駅には、一般的に駅舎と言われる駅本屋の他に、色々な施設で構成されていた。洋風でもないくすんだ木造建築が門司港駅に残っている様は、普通の駅臭さも感じさせた。まさに隠れた見所だ。
今では、建物の一つに忘れ物預かり係の看板が出ているが、よく見ると木の建物財産標が残っていた。そこには「会議所 建第8号 門司港駅 会議所 昭和23.2」と標されていた。他に門鉄広告協同組合事務局が国鉄の頃、使用していた旨のプラスチックの看板も残されていた。
そのまま駅の中に進むと、駅構内に関門連絡船の地下通路跡があった。階段を下りると往時の通路は塞がれていた。塞がれた壁面にはこの先にかつてあった関門連絡船の写真が拡大され飾られていた。
連絡船のすぐ後ろには門司港駅舎と、その隣に現在も残る旧三井物産門司支店(後の国鉄門司鉄道管理局etc…)のビルも写り込んでいた。今では遠くなってしまった感があるが、やはり随分と近くにあったのだ。
階段横の四角い穴は、戦争末期、軍が海外渡航者を監視するために造らせた穴で、中に人が入り不審人物がいないか目を光らせていたという。
地下通路から振り返ると、壮大な駅空間が広がっていた。歴史薫る大きな木造駅舎と駅構内を包み込む大屋根、支える武骨な鉄組み…、これが本州から渡って来た人々が見た門司港駅の最初の光景なのだと思うと、味わい深さもひとしおだ。
気が付いたらもう夕日が影を落とす時間になっていた。
終端駅らしさ感じる行き止まりホームの手前に改札口がある。しかし数組の自動改札機が並び、二人の駅員さんがいるだけの光景は、鉄道の要衝でなくなり、過去の栄光は今は昔と少しの寂寥感が過った。
出札口や一等二等待合室などがあった1階部分
一階中央のコンコース部分も大正ロマンを意識した洒落た造りになっていた。入って右奥には手小荷物窓口の造りが再現されていた。しかし、レイアウトの変更は無い。
出札口の位置は以前のままだが、木の造りやレトロな装飾が再現されていた。多角形に突き出て各窓口は、金銭受けなど細かい部分まで昔さながら。何と美しいのだろう…
昔は7つか8つ位の窓口があったのだろが、今では自動券売機が2か所に埋め込まれている。それ以外はダミーの窓口だ。古い物が上手い事、現代のものを取り込んでいて、違和感は意外としないものだ。
入って右手前側はみどりの窓口と、観光案内所が入っている。しかし竣工時は一等二等待合室だった所で、1951年(昭和26年)頃に、みかど食堂が2階から移転してきたという。一等二等席を購入できる裕福な人しか入れなかった空間は格調高く、まるでクラシックホテルのロビーのよう。
復原の際、壁や塗料を慎重に剥がし、細かい所までこだわったという。額縁が付いた掲示板のようなものは飾り壁と呼ばれる装飾だ。漆喰壁は現在はスターバックスとなっている旧三等待合室はチーク、一等二等待合室はベイマツで、一等二等の方は上等な木材が使われ、三等とは何かと差別化されている。
隅には石造りの暖炉まで残っていた。鏡の下には「REFRESHMENTS UPSTAIRS 西洋料理喫茶所」と標された旧みかど食堂の古めかしい広告が埋め込まれたままだった。漢字は右読みで書かれているので、相当古いものなのだろう。
駅舎右奥、先ほどの手小荷物窓口の裏側は、実際に手小荷物取扱室として使われていてた場所だ。片隅には保管庫だった小部屋もあった。現在では待合室になっているが、イベントスペースとしても使えそうな広さ。しかし昔は多くの荷物で埋め尽くされ、専従の駅員さん達が忙しく働いた事だろう。
その隣も小荷物の取り扱いスペースだったようで、駅前広場に面し窓口跡の造りが残っている。ここは左右対称の駅舎に取り付けられたような造りで、天井はなく屋根の骨組みが露出している。後で見た竣工時の図面で、この位置に上屋はあっても、部屋のようなものは標されていなかった。なので、鉄道全盛期は荷物の取り扱いもかなりのもので、この部分を増築したのかもしれない。
今ではこがらんとしているが、門司港駅に関する資料を展示したミニ博物館のようなスペースとなっている。復原工事中に発見された古い時代の部材や旧みかど食堂の備品などが興味深いものが展示されている。
中でも興味深かったのが竣工の大正三年当時の駅舎の設計図だ。間取りは現在と同じ。各部屋の用途は、一等二等待合室の隣の電信室など、一部を除いて現代に再現されている。一等二等待合室には電信室用の窓口もあったようだ。
1階図面の右横には2階の図面、左横には便所の図面も添えられていた。トイレはさすがに建替えられているが、位置はほぼ同じ。男女別の仕切りや記述は見当たらないので、男女共用だったよう。出入り口付近には丸い何かが標されていた。この丸には心当たりがある。先ほど見た「幸運の手水鉢」だろう。竣工時からある手洗い用の金属の大鉢で、戦時中の厳しい金属供出から運良く免れた事から「幸運の」といつしか呼ばれるようになり、今では門司港駅名物の一つだ。
見るほどに興味が尽きなく、思案は巡る。いつまでも見ていられる。
最初は予定していなかったが、折角なら旧三等待合室に開店したスターバックスコーヒーで一休みしようと中に入った。見慣れたスタバの雰囲気に、レトロな駅と鉄道の雰囲気を取り入れた店内は、この駅舎ならではでユニークさ光る。
奥の方には厳ついエレベータが設置されていた。2階にもテーブルがあるのかと思ったが、貴賓室やみかど食堂に面した廊下に繋がっているだけだった。なるほど、こうして古い建築物のバリアフリーを達成してるのだ。恐らくスタバを利用しなくても、2階に行きたいのなら、このエレベータを自由に使っていいのだろう。
夜の門司港駅、大正の旅情はかくや…
見所だらけの門司港駅を堪能し、スタバを出た頃、外はすっかり暗くなっていた。
最初は門司港駅でランチを食べて駅舎を見たら他の駅に行こうと思っていた。気が付けば、相当な長居をしてしまったもの。しかし、こうしてライトアップされた駅舎も堪能する事ができる。光に浮かび上がる美しき駅舎は、昼とは違った味わいがある。ロマンティックムードに溢れた洋館の佇まいもまたいいものだ。
夜になり列車が到着する度に、大正の駅舎から家路に就く人々がどっと出てくる。手厚く保護されているが、そこにあるのは紛れもない現役の駅の光景。市井に生きる重要文化財の醍醐味だ。
駅前広場には桜の木が何本か植えられている。復原に際し植えられたのだろう。日本の駅には桜が植えられている駅が多いが、こんな所にもと嬉しくなる。十数年後の春には、華やかに桜咲き誇る風景が見られる事だろう。
新幹線の時間があるのでそろそろ帰らなければいけない。それでもまだ見ていたいという思いを抱えたまま、駅舎を通りぬけ改札口に向かった。
木の屋根や古レールで支えられた昔ながらの上屋がホームと共に伸びる様も、歴史ある駅らしい雰囲気に溢れる。JR九州が作った現代的な車両でさえ、夜汽車という響きが似合う… 広がる幻想の前に、しばし佇んだ。
[2021年(令和3年)3月訪問](福岡県北九州市門司区)
- レトロ駅舎カテゴリー:
- JR旧国鉄の三つ星レトロ駅舎