山中のようなひっそりとした風景の中に佇む大正の駅舎
日田駅から日田彦山線の列車に乗った。田川後藤寺駅辺りまで来ると、山から徐々に街の風景へとなっていき、人口100万を擁する北九州市が近付いているのだなと実感する。しかし、採銅所駅に到着するとまた山中の集落の風景へと変わった。駅名は文字通り、昔、この地区で銅が採れた事に由来し、1200年前には宇佐神宮に奉納する神鏡を鋳造したという伝説が残っている。
駅の配線はは交換可能な構造で、ちょうどキハ147形がすれ違おうとしている。駅舎から離れた島式ホームは、かつて2番線だったであろう真ん中の番線のレールが外されていて、今では2面2線となっている。
年代ものの古い木造駅舎が残っているが、無人駅となって久しい。プラットホーム側から駅舎を見ると、片隅の軒下には降車用と思われる木製改札口の残骸が残っていた。
採銅所駅の駅舎を正面にまわり見てみた。小倉鉄道時代の1915年(大正4年)に建てられた、駅開業時以来の駅舎だ。何と築90年越えだ!下見板貼りの木造駅舎で、縦長の窓や右手の屋根部分の造りなど、洋風の造りが印象的で、ハイカラないでたちは齢90になっても十二分に気品を漂わせている。
採銅所駅駅舎のもっとも特徴的な部分が、このペディメントと言われる切妻屋根の三角部分で、洋風の凝った装飾が施されている。石原町駅にも同じような装飾があったらしいが、今では塞がれてしまっている。
その下の窓周りの装飾も見逃せないものがある。窓は塞がれているが、かつては木枠の窓があったのだろう。窓があった頃はどんな雰囲気を作り上げていたのだろうと想像が膨らむ。この窓の限らず、採銅所駅の窓の殆どの部分は板で塞がれていた。
大木から切り出した木の板を使った駅名看板が、この木造駅舎にはやはり良く似合う。駅名が毛筆の直筆だ。駅名看板の左斜め下には「大正 4.3」と標された建物財産標が掲げられていた。
造り付けの木製ベンチが駅舎正面とホーム側に設けられている。カラフルな色に塗られているため、くすんだ駅舎にあってやや浮いた印象だ。
狭い駅前だが円形のロータリーがある。中には草木が植えられ、まるで庭園のような空間だ。
採銅所駅には5年前に訪れていて、その時、駅前に池があったのは頭の片隅に残っていた。そして、池の側に、奈良時代の8世紀初頭に発行された貨幣「和同開珎」はこの地区で採れた銅で鋳造されたという内容の説明看板があったのもおぼろげに覚えている。この庭園が池の跡なのかと思ったが、記憶の中の池はもっと小さく、現在の駅周囲にはそのような池は見当たらないし、かと言って池跡っぽいものはこれしかない…。過去の記憶と現状が一致しなかった。
どうしても腑に落ちなく、駅に来た地元の人に聞いてみると
「うん。埋められちゃったよ。無人駅で管理する人は居ないし、子供が落ちたら大変だからねぇ。」
と・・・。やはりこの庭園の跡はかつて池だったのだ。もう一度よく見てみると、円の中心に組まれた岩の影に、注水口が鋳潰されたまま残っていたのを発見した。
城野と小倉方向には、貨物用だったと思われる側線にホーム跡が残っていた。レールは赤茶色に錆びきっているので、もう車両が入ってくる事は無いのだろう。だがホームは駐車場になっている。ここの他、駅舎左手、彦山方も駐車場になっていた。山中の小さな駅だが、駐車場としての需要はそれなりにあるようだ。
駅舎左手の駐車場の奥は桜の木が並ぶ空地となっている。春はさぞ奇麗なのだろう。いつか訪れたいものだ。
その中にポツンと古井戸跡があり、錆びた手押しポンプが地からは生える雑草に絡まれながら残っていた。今は雑草が茂る空地と化しているが、昔は駅員宿舎や駅関連施設があったのだろう。そして、駅長さん始め駅で働いていた人にとって、この井戸は大切水源だったに違いない。
窓口の跡は塞がれてしまったが、僅かに痕跡が残っている。今ではその前に、自動券売機やベンチが置かれている無人駅になってしまったという事を印象付ける。
しかし、頭上を見上げると、天井には古い照明の台座が残されていた。天井の板の張り方も凝っていて、丸い台座を中心にして、四角い天井に対し菱型に組まれているのが、どこか独特の空間を造り上ていて面白い。台座を良く見ると、彫り込みか何か装飾が入れられていたようだ。今では風化したのか錆びたのか、どんな模様かはっきりとわからないが…。
次の列車に乗るため、プラットホームに立ち、もう一度駅舎を見つめた。
駅の周辺は山間のひっそりとした集落で、駅の利用者もまばらだった。少し歩けば、国道沿いに住宅など建物が集まっているのが見下ろせる。駅は国道から離れた高台のような場所にある。車社会が進んだ中、わざわざ駅まで上り坂を歩いてきて、列車を利用する人は少ないのだろう。街が意外と近くにありながら、この古びた洋風木造駅舎は街とは別の世界にあるかのようで、まるで山篭りでもしているような空気をまとっていた。
[2008年(平成20年) 11月訪問](福岡県田川郡香春町)
~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の三つ星駅舎~
追記: その後の採銅所駅
この採銅所駅の駅舎は老朽化、特に白アリ被害が著しく、取壊しの危機に瀕していた。しかし、地域住民による保存運動が起こり、2010年に香春町がJR九州より駅舎を無償で譲り受け、町の有形文化財に指定した。そして2011年、大規模な改修工事が施された。
2015年、採銅所駅は開業100周年を迎え、11月21日、現地で記念式典が行われた。
2017年(平成29年)5月1日、改修された旧駅事務室が移住・交流のための拠点施設「採銅所駅舎内第二待合室」としてオープンした。改修された駅舎を写真で見ると、板で塞がれた窓が木枠で復元され、落ち着いたシックな色調で、大正ロマン漂う開業当時の姿を取り戻したかのよう。またぜひ訪れたい駅だ。
※関連サイト: 香春町カワラカケル「採銅所駅内第二待合室」