嘉例川駅(JR九州・肥薩線)
鹿児島県、肥薩線の嘉例川駅は、築100年の木造駅舎のある駅として、今や鉄道ファン以外の見物客も多い観光スポットとして定着した感もある。

そのせいもあるのか、2012年の4月に訪れた時、かつて3回の訪問では閉じられていた駅事務室が開放されていた。内部には四季折々の嘉例川駅の写真や、古い駅名標など鉄道用品が展示されていた。
私の目は数々の展示品を通り越し、やはりその背後の出札口跡、手小荷物窓口跡に行ってしまう。棚や引き出しなど、何十年も前の有人駅時代のままの造りが良く残っているのが印象的だ。出札口の裏側が、ちょっとした舞台のように、木製の低い台で嵩上げされているのが目に付く。このような造りは、嘉例川駅に限らず他の駅でもよく見られる。座って対応する駅員さんと、切符を買い求める乗客の視点の高さをの差を縮めるためなのだろう。

駅事務室側から見た窓口跡はまさに木のままの造りを留めていた。時の流れが刻んだような木目のひとつひとつが味わい深い。
手小荷物窓口下の造り付けの棚には、破れながらも「遺失品保管箱」というシールが貼り付けられたままだ。他にも棚や引き出しにもシールが色々と貼られていた。

そして手小荷物窓口の窓枠には「通商産業大臣指定 計量器使用事業所」という古そうな木の札が掛かったままだった。通商産業省は経済産業省の前身だ。車による輸送に取って代わられる前は、駅でも厳密に荷物を量り取り扱っていたのだ…。そう言えば、今でも使われなくなった量りが駅に放置されているの見る事もある。

実際に、嘉例川駅で使われていたという金庫が展示されていた。その奥が宿直室だが、係員らしき人が詰めていて見る事はできなかった。
[2012年(平成24年)4月訪問] (鹿児島県霧島市)
※関連ページ: 初回2004年の嘉例川駅訪問記
肥前七浦駅(JR九州・長崎本線)
これまで挙げた3駅は誰でも駅務室に入り、昔の木造駅舎の風情をより深く堪能する事が出来るが、イベント開催日時、オープン時間などに限られる。しかし、肥前七浦駅は、おそらくいつでも駅事務室跡に入れる身近さがあり、しかも非常に印象深い。

無人駅となり窓口跡は大きく改修された。壁や窓が取り払われて、駅事務室と待合室は繋げられ、広々としている。しかし出札口跡、手小荷物窓口跡は、あえてそうしたかのように昔の造りが一部残されている。特に後者は、木製の台にいくつもの木目が浮き出て、使い込まれた質感漂う。その駅事務室内部も木や漆喰の造りはそのままだ。大改修しながらも、古い木造駅舎が宿す年月を経たゆえの趣き深さを見事に生かした改修が素晴らしい。

窓口跡裏側のテーブルやその下の引き出しや棚は、長年、駅員さんに使い古され黒ずんだままのものがそのまま残っている。引き出しを開けてみたが、さすがに駅の備品は残っていなく空っぽだった。

壁には、昔の掲示物が貼られたままだ。出札口の裏側上の方に掲示されたのが、国鉄九州管内の駅員から募集した安全を守るための標語だ。手書きで標語が書かれたか紙は、すっかりセピア色に染まっている。その下の緑枠のものが「安全の確保に関する綱領」だ。その他、昭和55年(1980年)10月ダイヤ改正時の肥前七浦駅の手描きの時刻表、安全啓発の注意書き、簡単な構内図なども貼られていた。まるで駅員さんが今にでも、どこかから出てくるのでは・・・。そんな錯覚さえ覚えた。

かつての駅事務室の真ん中には、木製の大きなテーブルと新しそうな木製ベンチが置かれ、待合室として気軽に利用できる。駅は国鉄OBの方が掃除をしてくれているだけに、古びていても廃れた感じは全く無い。
桜咲く4月・・・、暑さが落ち着いた秋・・・、気候が良ければ窓を開け放ち、吹きぬける風とこの昔ながらの駅事務室跡に身をゆだねながら、ここで過ごしてみたいものだ。弁当を食べたり、読書をして過ごしたり…、ただ昼寝をするのもいいだろう。
[2010年(平成22年) 6月訪問] (佐賀県鹿島市)
※関連ページ: 肥前七浦駅訪問記
肥前長野駅(JR九州・筑肥線)
肥前長野駅には、荒廃が酷い木造駅舎が残っている事で鉄道ファンの間で有名だった。外壁は剥がれ、駅舎の内部は廃品だらけでまるでゴミ捨て場だった。廃墟同然で、取り壊しも時間の問題と思われた。
しかし2015年初め頃からか、少しずつ、改修されるようになったという。なかなかネットに情報が上がらず、それならばと自分でと確かめに行った。
駅舎は確かに改修されていた。外壁は補修され、駅じゅうを占拠していた廃品はほぼ撤去されて、もぬけの殻とさえ言える状態だった。
そしてもう一つ驚いたのが、駅事務室の扉が開け放たれていた事だった。

まず入ると、正面に駅員さんが休憩や宿直で使われた小部屋だ。畳敷きで4畳半という響きが、どこか昭和レトロの趣を感じさせる。
以前はここにも廃品が山積みされていたものだが、すっかりきれいになった。畳も替えられたようで、青々しいのがかえって不思議だ。

そしてもう少し右に入ると駅事務室だった所だ。かなり古びているが、窓口跡は造りを留め、天井や窓枠までも木のままだ。素晴らしいまでに昔のままの姿だ!文化財…、いや国宝級とさえ言える。傷みが目立つのが惜しく、本格的な保全が施されるといいのだが…

手小荷物窓口跡の引き戸を開け、待合室を眺めてみた。これが駅員さん側の眺めと思うと不思議な感慨を覚えた。

窓口跡とは反対の奥の方に振り返った。

休憩室の扉の上には、神棚の跡があった。
[2015年(平成27年) 6月訪問](佐賀県伊万里市)