雨の1日目
旅二日目、雨の中、会津大塩駅から只見線沿線を折りたたみ自転車で、会津中川駅までの約20㎞走った。そして列車でこの日の泊地である三島町の会津宮下にやってきた。

小さい駅ばかり見てきたが、すれ違いできるホームが生きている構内を見て、大きな駅に来たものだと感じた。

駅舎のすぐ隣には古めかしい木造の小屋が残っていた。建物財産標を探したが見当たらなかった。倉庫だろうか…?

この木造の小屋、妻面を見ると、三角屋根の頂上には先端が丸くカットされた板が並べられた軒飾りがあり、上部の白壁には木組みが露出したハーフティンバー調の装飾が施されていた。木の棒が縦に3本配され、両端の木の上部から真ん中の棒の下部に向かって曲線を描いた木が配されている。この曲線、どこか象徴的というかアクセントのように見える。
古びた小屋と侮っていたが、小洒落たものと思ってまじまじと見ていたら、
「あっ!?」
と、ある事が思い浮かんだ。
このハーフティンバー調の独特な装飾…、もしかしたら宮下、駅開業時の1941年は宮下村の「M」を模ったのだろうか?

木造倉庫だけでなく、駅本屋も古い木造だ。
ホーム側の軒を支える柱は、表面が平に整えられていなく、まさに丸太のまま。切り落とした枝の跡があちこちに残りでこぼこしている。
両側に伸びる支えの木は、あのハーフティンバーと同様に、カーブが入っている。こちらもそんなに整えられていなく、でこぼこ感がある。

壁には古い駅名標が掲げられていた。シンプルな駅名標はレトロで味わいある。国鉄時代からのものだろうか?

ホームには、あの丸太のような柱が賑やかに並び、上屋を支えてる風景が面白い。

待合室に入ると、地元で伐採された桐で造られたテーブルやベンチが置かれていた。

会津宮下駅は2023年に無人駅となった。出札口の閉じられたカーテンはもう開くことは無いのだろう。
その隣の低いカウンター、手小荷物窓口の台も木のまま。昔ながらの造形を残しているのが見事。カウンターの上には本棚が置かれ、観光パンフレットや不要となった本が寄贈され、ミニ図書館が出来上がっていた。

待合室の片隅に、会津宮下駅がある三島町への国籍別の訪問者数の一覧があった。来訪者が自分の国籍の所にシールを貼っていくやつだ。
それによると圧倒的に多いのが台湾。近場の日本に旅行に来る人が多く、何回も来ていれば有名でない三島町に目が向きやすいのだろうけど、台湾の歌手・故テレサテンが三島町の特別町民で縁があるからかもしれない。
あと、インドネシア、香港、中国と続く。欧米もちらほら。インバウンド旅行者の急増は、福島県の山奥にあるこんな小さな町にも波及しつつあるようだ。
外に出て駅舎を正面から撮影しようとしたが…、レンズの中がすっかり曇ってしまった。一日中、雨に降られたせいか曇りは頑固で、ちょっと待っても完全には落ちなかった。なあに…、駅近くの宮下温泉泊なので明日もこの駅にやってくる。そう思い、自転車を展開し、雨の中、今日最後のひと走りにペダルをまわし宿を目指した。
快晴の二日目
翌朝、再び会津宮下駅にやって来た。天気は昨日と打って変わって快晴。眩しい程の太陽の光が降り注ぐ。
さあ、駅舎の撮影と思ったが、町営バスが2台、駅前に停まっているいる。まあ、その内出発するだろうからと前景の撮影は後にした。

車寄せもあの倉庫や柱のように、ハーフティンバーや軒支えなど、カーブが賑やかに躍るようなユニークなデザインだ。同じ軒飾りもある。

駅舎の規模に比し、やや大きめの車寄せは、6本の丸太の柱で支えられている。まるで木が林立した森を思わす。

町営バスは2台とも出発した。
木造駅舎は1941年(昭和16年)10月28日の駅開業以来のもの。築80年越えの古豪だが、割と近年、改修されているだけあって、きれいに保たれている。
だけど、やはり車寄せの特徴的な曲線の装飾はやはり印象的で、お洒落でハイカラなムード。会津宮下駅の象徴的デザインと言え、あの倉庫も駅舎のデザインが取り入れられたのだろう。
ハーフティンバーの装飾は丸太の柱は、どこか山荘風。山深い地域だからそういうデザインにしたのだろうか?

駅舎の右横にも建物が続き、トイレとなっている。
以前もここはトイレだったようだが、改修前は上屋で繋がっていたものの別棟になっていて、その間に降車用の改札口があった。
トイレ側面にもカーブが入ったハーフティンバー調のデザインが残されている。ホーム側の丸太の柱が支える軒もそのまま。旅行者としてきれいなトイレが使えるのは嬉しいが、よく特徴的な部分を保ちながら改修したもの。

駅舎左側も建物が繋がったようになっている。あのホーム側の軒と一体となっていて元々あったが、正面側が3分の1ほど増築され今の姿になったと思われる。増築が必要なほど、賑わっていた時代もあったのだなあ…

駅前からもあの木造倉庫が拝める。
側面に掛けられたはしごの陰に「少量危険物取扱所」という赤い看板が掲げられていた。何と!これは倉庫でも、ランプ小屋、または危険品庫、油庫と呼ばれるものだったのか!?
ランプ小屋とは、照明や燃料のための油を収納した数畳ほどの小屋。電気が普及した現在では、本来の目的で使われる事はほとんど無いのだろうが、古くからの駅で残っているのをたまに見かける。火災につながる危険物という事で、通常はレンガや石など耐火性のあるもので造られ、駅舎から少し距離を取って設置されている事が多い。
それを思うと会津宮下駅の場合は木造で、駅舎のすぐ近くと変則的。元々、ただの倉庫だったものに、油類を入れているのだろう。今も使われているかは不明だが…

「掛員以外立入禁ズ 駅長」
消えかかりながらも残る注意書きが味わい深い。

本名駅、会津中川駅…只見線のいくつもの駅で見事な桜の木々を見てきた、この会津宮下駅も、周囲に何本もの立派な桜の木があった。また春に訪れたいものだ。

駅前には三島町ゆかりの歌手、テレサ・テンの歌碑がある。去年2024年11月できたばかりだ。歌碑には特別町民になるきっかけとなった曲「ふるさとはどこですが」の歌詞が日本語と中国語で刻まれ、歌も流れるようになっている。
日本でも人気があったテレサ・テン。衝撃の急死から今年2025年で30年。もうそんなになるのだ…。でもテレサ・テンと聞くと、印象的な歌声で「時の流れに身をまかせ」など、いくつかの代表曲が、今でも頭の中に流れて来る。

9時15分、会津川口行きと、早朝に小出を出てきた会津若松行きがすれ違った。
只見線と言えば、国鉄型の気動車が走っているイメージがあったが、只見線からは退きキハE120に主力交代。たまに見たキハ110系でさえもはや古参。
私が乗る会津若松行きもキハE120だが、1両は昔の名残を留めるように肌色とオレンジ色の国鉄色をまとっていた。
[2025年(令和7年)6月訪問](福島県大沼郡三島町)
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JR・旧国鉄の二つ星レトロ駅舎