南海電鉄・浜寺公園駅~明治の洋風木造駅舎、現役最終日の夜~



109年という歴史の終止符

 2016年(平成28年)1月27日、南海電鉄・浜寺公園駅の明治築の洋風木造駅舎が遂に現役引退の時を迎える。この駅舎、1907年(明治40年)、東京駅を設計した事で有名な辰野金吾が片岡安と大阪で設立した「辰野片岡事建築事務所」が手掛けた事で知られている。

明治40年築、南海・浜寺公園駅の洋風木造駅舎(大阪府堺市)

 駅舎は高架の新駅舎の前に移築され、エントランスのように活用される予定だ。限りなく現役に近い存在で、これからも浜寺公園駅の象徴であり続けると想像できる。なので取り壊しの悲壮感は無く、109年の歴史にいったん終止符を打つが、次の時代へ向かうための転換点と言えるだろう。

夜、現役引退の時が迫る駅舎へ急ぐ

 1月27日、仕事が終わると急いで新幹線に乗り、浜寺公園駅を目指した。新幹線、地下鉄御堂筋線、南海本線と乗り継ぎ、現地に到着したのは23時を過ぎ。

南海、夜0時前の浜寺公園駅プラットホーム

 見慣れたプラットホームと洒落た待合室、そして駅舎といつも通りだ。こんな夜遅くという以外…。夜になって来た事はあるが、日付を跨ぐ直前のような時間に来たのは初めてだ。この時間は普通列車しか停まらなく駅は閑散とし、パラパラと地元の人が降りる程度。ひっそりとし一日が終わろうとしているのを実感する。そんな中に混じり、私のようなカメラを手にした人が数名うろついていた。

南海・浜寺公園駅、駅舎切り替え作業の作業員

 そして、駅舎の方を見ると、ヘルメットを被った作業員の姿が何人も動き回っていた。

 駅事務室の扉が開いていて、中には何人もの作業員がいた。この中を見るのは初めてで、少し離れた場所から興味津々に覗くと、物品の移動はかなり済んでいるようで、中はもぬけの殻に近い状態に見えた。自動改札口でも、5~6人の作業員が集まって何かをしていた。まだ営業中だが、仮駅舎への移転作業は既に始まっているようだ。


 作業中の現場を通りぬけ駅の外に出た。

南海浜寺公園駅、明治の洋風駅舎最終営業日、夜空の月

 駅舎のはるか上の漆黒の闇の中、最後の夜に花を添えるように月が輝いていた。最後の最後まで美しい光景を見せてくれる駅よと感嘆し、ただ空を見上げた。

 駅前の広場には、深夜にも関わらず、浜寺公園駅舎の引退を見守ろうという人が何人もいた。ざっと見て20人程度だろうか…

南海電鉄本線・浜寺公園駅、明治の駅舎での最終日

 駅舎右側の手前には、20日前訪れた時には無かった浜寺公園駅舎長年の利用を感謝した看板があった。

地元の人々に見守られながら…

 そして0時を回った。

南海・浜寺公園駅、なんば行き最終列車

 24時17分、なんば行き最終列車が出発。

夜の浜寺公園駅、引退の時迫る明治の駅舎

 最後の時が迫る中、人影は消える事なく、みんな思い思いに駅舎を撮影していた。

南海、明治の洋風駅舎の引退迫る浜寺公園駅に集まる人々

 先程よりなんか人が増えてきているなと思っていたが、いつの間にか倍以上になっていた。50人以上はいただろうか…。私みたいに一眼カメラを抱えた鉄道ファンっぽい人というより、手ぶらの人が多かった。家族だったり、犬連れだったり。友達と連れ立って来ていたり…。ある人は、「あなたなんでこんな時間にこんな所にいるの~!」と、下車してきた友達に驚かれていた人も。たぶん連日の浜寺公園駅舎引退の報道に接し、偉大で…そして身近だったこの駅舎の現役最後の瞬間を見届けようと、地元の人々が自宅から繰り出してきたのだろう。同じラストでも、近年、鉄道ファンで騒々しい列車のラストランと違い、地元の人々にほのぼの見守られながらその瞬間を迎える様は、あたりまえのようにあったこの駅舎が、いかに惜しまれているかをしみじみと感じさせられた。

浜寺公園駅、明治の洋風駅舎が迎える最後列車を見送る人々

 遂に24時27分、下りの最終列車・羽倉崎行きが入線。何人もの人が改札前に集まり、その瞬間を目撃しようとしていた。

 セレモニーっぽいものものは無く、ちょっとざわめいた雰囲気を除くと、いつも通りの光景なのだろう。しかし、古き駅舎が見送る最後の列車が行ってしまうと、109年という長き時に万感を覚え、あぁ…終わっちゃったんだなと寂しさが混じった気持ちを感じずにはいられなかった。

南海浜寺公園駅、最終列車が出て駅移設作業をする作業員

 終電が出るとすぐに作業員の方々が集結し、仮駅舎への移転作業が次の段階へ。早朝の始発に間に合わせなけらばいけないから大変だ。自動改札機は取り外され、ひとつひとつ仮駅舎へと運ばれていった。改札口の上では、何かを取り外そうとしていて、ドリルがけたたましい音を響かせ火花を散らせていた。

浜寺公園駅、明治の洋風駅舎引退直後に封鎖される駅

 「旧」となった明治の木造駅舎は、柵が置かれ遂に封鎖されてしまった。しばらくのお別れだ。


 深夜1時過ぎ、駅前を賑わしてた人々はいなくなり、駅移転で忙しく動き回る作業員の人だけが残った。その様子をしばらく眺め、今宵の宿となる阪和線の鳳駅近くのネットカフェに向け、不案内な真夜中の街をとぼとぼと歩き続けた。

翌日

 翌日の昼前、再び浜寺公園駅に歩いて戻ってきた。昨晩の余韻が残る中、よく寝付けなかった体に晴れた日差しは頭がクラクラする。

南海浜寺公園駅、旧駅舎使用停止された翌日の風景

 変わったのはあの駅舎が使われなくなっただけで、浜寺公園駅自体は今日も動いている。

南海電鉄浜寺公園駅、地下通路

 地下通路を通り旧駅舎がある西口へ向かった。

南海本線、供用開始された浜寺公園駅仮駅舎と旧駅舎

 仮駅舎も使用開始となっていた。「仮」とは言え、ブレハブ造りの簡易なものでなく、線路に隔てられた東西の地下通路の出入口も兼ねたしっかりした造り。トイレもあり、今どきの駅らしくバリアフリーにも配慮されエレベーターまで設置されていた。

 あまり面白味無く無機質だが、旧駅舎時代にあった丸ポストが移設されていたのは嬉しかった。

 旧駅舎は昨晩に比べ、しっかりとした工事用の壁が設置されていた。とは言え、頭より少し高い位の壁で、相変わらず佇む壮麗な洋風駅舎はなおもその輝きを失っていなかった。

 旧駅舎引退の報で、足を止め旧駅舎を眺めていたり、撮影したりしている人が今日も多かった。

閉鎖された浜寺公園駅旧駅舎を見る犬の散歩中の人とわんこ

 犬の散歩中の人も足を止め閉鎖された旧駅舎に見入っていた。その間、ワンちゃんはちょっと退屈そう…

[2016年(平成28年)1月訪問](大阪府堺市西区)

レトロ駅舎カテゴリー: 私鉄の保存・残存・復元駅舎

追記: 旧駅舎曳家後、活用開始

 2017年末、浜寺公園駅旧駅舎を、解体しないでそのままの姿で移動させる「曳家」で数十メートル西に移動させた。

 そして2018年4月15日、暫定位置での浜寺公園駅旧駅舎の活用が始まった。中央の改札口付近はイベントホール、駅舎右手側の旧一等待合室は今まで通りギャラリーとして、左手側の旧駅事務室跡はカフェとなった。

 曳家の様子と活用開始後の浜寺公園駅は下記へどうぞ。

曳家後の浜寺公園駅旧駅舎、カフェにギャラリーに工事中でも活用中