日本を代表する名駅舎の今後
2016年年明け、南海本線の浜寺公園駅を訪れた。浜寺公園駅の駅舎は明治40年(1907年)に建てられた洋風木造駅舎が現役で残っている事で知られている。しかしその駅舎も、南海本線の高架化により2016年1月27日を最後に役目を終える。
東京駅丸の内駅舎を設計した事で広く知られる辰野金吾が関わったレトロな洋風駅舎は、間違いなく日本を代表する現存古駅舎の1つ。そのため、現駅舎のあり方が論議され続けたが、保存される事が決まった。
コンペにより新しい浜寺公園駅の全体像も定まり、今後、最優秀賞のプランを元に整備されていくとの事。
(※関連ページ: 堺市ウェブサイト、堺市、浜寺公園駅・諏訪ノ森駅 駅舎及び駅前交通広場等計画提案競技について、浜寺公園駅最優秀賞(PDF) より )
最優秀賞の作品は、歴史ある現駅舎へのオマージュがふんだんに盛り込まれ、現在の姿を知る私には、真新しい駅の中にも、どこか懐かしさを感じるものになりそう。そして何より、現駅舎は新駅舎の正面に移築され門のように利用されるとの事で、限りなく現役駅舎に近い存在でありつづけると言えるだろう。なので引退と言っても、取り壊される時のような悲壮感は薄い。
しかし、それ以外の多くのものは失われゆく運命にある。それらは地味ながら、どれも駅舎と共に浜寺公園駅を構成し続けた一員で味わい深く印象的な、いわば名脇役。失われゆくのは何と惜しい事か…
高架化へ向けた工事が進む浜寺公園駅
今回の浜寺公園駅訪問は、阪堺電車で浜寺駅前から入った。両駅は目の鼻の先にあり、浜寺駅前から一歩出ると、浜寺公園駅は目の前だ。
初めて浜寺公園駅を訪れた2003年は、片側1車線ずつの狭い道の両側に、飲食店などお店が並ぶ昔ながらの駅前通といった風情だったが、訪れる度に風景は目まぐるしく変わってった。現在では1店の飲食店を除き、全て撤退と取壊しが完了し、道路は拡張された。
そして3年振りに、壮麗な洋風駅舎に対面した。駅舎の周囲にも工事用のフェンスが迫る光景を見て、遂に「その時」が近づいている事を実感させられた。写真左手のちょっと写り込んだ建物は建築中の仮駅舎だ。現駅舎よりおそらく面積が広く、フェンスの間から中を覗くと、エレベータの入口も見え、仮駅舎とは言えなかなかの規模のようだ。
駅舎車寄せの左横には、浜寺公園駅を説明した碑があった。この碑、かつてはここよりもう少し前の松の木の植え込みの横にあったものだ。しかし松の木々は工事に関連し撤去され、碑だけがこの場所に移動された。あの松の木は諏訪ノ森駅のステンドグラスにも描かれた、この近辺一帯の海岸風景の名残だ、まさにこの駅に相応しい植込みだった。
しかし横の小さな看板に、「ここにあった松は浜寺公園内に仮移植された。」と書かれていました。「仮」というのがとても気になる。高架化完了後、この駅に戻す含みを持たせていると期待していいのだろうか…
歴史感じさせる愛すべき名脇役たち…
改札口を通ると、上下線のレール間にある庭園風の空間が私の目に飛び込んでいた。2005年に再訪した時、この場所に枯れた池があるのに気付いた。3連の池で、更に1・2番ホーム端にも仏塔のようなオブジェが添えられた枯池まであった。例え池は枯れて久しくても、こんなに目を引かれる存在だと改めて気付いた。レールの間に空いたスペースがあって、何となく作ったのではなく、改札口を通る人の目を捉える事まで計算していたのかもしれない。
駅舎に面したプラットホームがなんば方面行きの列車が発着する3番線だ。浜寺公園駅はほぼ普通列車しか停まらないが、大阪都市圏の路線だけあってホームは長い。ホームを和歌山の方に歩くと、木の壁と古レールが支える上屋が続く。古い木の壁がずっと続く光景は、駅舎同様に駅の歴史を感じさせる。木の壁には扉がある箇所もあり、その裏には古色蒼然とした木造の倉庫が設置されている。
歩き続けると、上屋は途切れ頭上には青空が広がった。ホーム沿いは木の壁に代わって木々が植えられていた。乗降客は上屋のある範囲内に集中し、昼下がり、このあたりまでやって来る人はほとんどいない。
木々の中には、柿の木も混じっていた。秋が過ぎた冬を迎えた今、残った実は萎み艶やかさを失くしていた。
駅舎横の降車用改札口は大きな屋根に覆われていた。半世紀以上も前、浜寺公園が海水浴場のあるリゾート地とした賑わった頃を偲ばせる。件のコンペの最優秀作品を見ると、駅舎=駅本屋は保存されても、残念ながらその隣にあるこの改札口は保存されないようだ。
この屋外の改札口には、木のラッチもいまだ残っていた。初めて見た2003年は4列の改札口が並び壮観ですらあったが、工事を控え一部が切り取られていた。
プラットホームには石積みの古いままの造りがよく残っていた。嵩上げされたホームの土台のように残る石積みは、すっかり赤茶けている。この下りホームの1・2番線も、上りホームと同様に古レールが上屋を支える。高架化工事となるとプラットホームはさすがに崩さざるを得ない。しかし、この石積みや古レールを、駅の歴史を伝えるものとして新駅で展示する構想があるようだ。実現すれば何と素晴らしい事か!
和歌山方面行きの1・2番線にある木造の待合室は、駅舎のデザインを採り入れた味わいあるユニークなもの。こちらも新駅舎で活用できないものだろうか…
浜寺公園駅は変った構内配線も特徴的。明治のあの駅舎が面した3番線の北側に、ローカル線でよく見るような切り欠きのホームが設けられいて、4番線となっている。こういう形状の場合、たいてい切り欠きホームは行き止まりとなっているが、ここでは3番線を通った上り線レールが分岐して4番線に入り、また上り線に合流する配線となっている。この4番線は通過列車を待つための退避用のホームとして利用されている。こういう場合、1面2線の島式ホームを作るか、上り線をホームの無い通過専用線にして、停車・退避用のホームを作る場合が多い。4番線も古い石積みのホームなので、元々は行き止まりホームだったのだろう。しかし列車本数が多い南海本線で待避線を作りたく、この切り欠きホームを活用したのだろう。
以前は昼間も使われていて、4番線から列車に乗った記憶もあるのだが、この日は「この時間ここから発車する列車は無い」という注意書きが吊るされたロープが張られ、ひっそりとしていた。
隠れた名駅舎?がある東口
浜寺公園に近い西側に対して、反対の東側は住宅街に面し、券売機や改札口と言った必要最低限の設備しかない小さなコンクリート駅舎があるのみ。西側の壮麗で風格ある駅舎に対し、まるでローカル私鉄の小駅のようで、そのギャップが面白い。
しかし折れた屋根が大きくせり出したユニークなデザインで、壁にはレトロなフォントで駅名が標され、昭和レトロなモダンさを醸し出す。こちらもなかなか味わいのある駅舎だ。
この東側駅舎は取り壊されるのだろう。しかし、新駅舎の壁に描かれ、その姿を新駅にも留めるらしい。
東側駅舎の横に、謎のロッカーコーナーがある。コインロッカーの趣きだが、靴箱程度の扉で、奥がやたらと深い奇妙な形状だ。
よく見ると、どうやらこのロッカー、地元の自治会が住民の置き傘のために設置したようだ。何ともローカル線らしい不思議な風情だ。
2016年になり1月27日の浜寺公園駅舎の現役引退…、というより一区切りまで遂にカウントダウンに入った。これらひっそりと消え去る名脇役たちにも憐憫と愛着をもって思いを馳せたい。
時間が取れれれば、最終日となる1月27日も訪れるつもりだ。
[2016年(平成28年)1月訪問](大阪府堺市西区)
そして1月27日、浜寺公園駅舎引退の瞬間を見届けた。その時の様子は以下へどうぞ!
『南海電鉄・浜寺公園駅~明治の洋風木造駅舎、現役最終日の夜~』