塩狩駅 (JR北海道・宗谷本線)~もしかしたら… 日本最北の枯池かも!??~



峠の駅にひっそり残る枯池

 木造駅舎やかつて泊まったことがあるユースホステル跡を見たくて、塩狩駅で下車したのだが、まさか枯池があるとは思いも寄らなかった。

JR宗谷本線・塩狩駅、下りホームの枯池

 何故なら北海道みたいに寒さが厳しい地域は、一年の3分の1が雪で埋もれている地域も珍しくなく、その間、池も雪で埋もれる事になり、残りの8ヶ月のためにわざわざ池を造るなんて事はしないだろうと思い込んでいたからだ。

 前日から宗谷本線を南下してきて、停車するたびに駅前を観察してきた。また、これまでの下車経験からすると、恐らく、この枯池が現役路線にある日本最北の駅の枯池なのだろう。尤も、かつては天北線、羽幌線など国鉄線、軽便鉄道など、道北にもそうそうたる鉄道路線網が存在していたので、塩狩以北の駅にも池庭が存在していたのかもしれないが…

 さて、池の立地や構造はと言うと、1番ホームの駅舎への階段横にあり、水があった頃は車内からでも簡単に発見できたに違いない。池の深さは浅く、魚は飼えそうにない。縁はコンクリートで固められた簡単な造りだ。水が枯れた現在、冬は雪で埋もれ、夏は雑草で埋もれる。ホームの目立つ所にあると言っても、この枯池の存在に気づく人は殆どいないだろう。

 それにしても、北海道の駅でこれから先、枯池を見つける事は無はあるのだろうか…、ふとそんな事が頭に過ぎった。

[2008年(平成20年) 9月訪問](北海道川上郡和寒町)

2020年

 宗谷本線の無人駅巡りをしている時、快速なよろ1号で塩狩駅を通りかかった。通過駅だったものの、上り列車とのすれ違いで少し停車時間があった。そらならとすぐに列車左側に移動し車窓の外に注目した。

宗谷本線車内から見た塩狩駅の枯池

 雑草が刈られ間もなかったのか、とてもすっきりした状態で見る事ができた。このコンクリート、池の跡ではなく花壇だったのではと内心思っていた。しかし、長方形に形作られたコンクリートの角に、プラスチックの注水工を確認できた。池の跡だったのだ。この枯池は「日本最北の枯池」の座を見事守った。

[2020年(令和2年)9月訪問]

塩狩駅訪問ノート

JR北海道宗谷本線・塩狩駅、大正築の木造駅舎

 開業は1916年(大正5年)9月5日、信号所としての開業。駅に昇格したのは8年後の1924年(大正13年)11月25日で、その時以来の木造駅舎が改修されながらも現役だ。

 周囲は家屋がほとんど無い秘境駅だが、明治にこの地で起きた鉄道事故をモチーフにした三浦綾子の小説「塩狩峠」で有名だ。三浦綾子氏の旧宅を復元した塩狩峠記念館や、桜の名所・一目千本桜もあり観光資源には恵まれている。

 しかし地元の生活利用者はほとんどいなく、JR北海道からは廃駅の方針が示された。自治体の和寒町は町内の貴重な観光資源である事から、町が維持費を負担しての存続を決めた。ふるさと納税で資金を募り、財源として活用するという。


~◆レトロ駅舎カテゴリー: 三つ星 JR・旧国鉄の一つ星駅舎