京都市内、賑わう駅で残る生きた池庭
伏見稲荷大社のJR側の最寄り駅、奈良線の稲荷駅で下車した。
プラットホームから駅舎へ降りる階段を下っていると、左手に緑豊かな一角があるのが目に付いた。よく見ると、その中には池があった。しかも枯れていない!
昔は、駅構内に池のある小さな庭園があった事が多いようだが、今では枯れたまま残っている場合がほとんどだ。枯れた池ばかり見てきたので、このように水が湛えられ「現役」と言える状態にあるのは珍しく、とても驚かされた。住民や伏見稲荷への参拝客など乗降客が多いので、見苦しくないように整えられているのだろうか…。
池庭は紅葉など木々が植えられ緑豊かだ。京都市内の駅とは思えないようなゆとりある空間だ。やや奥まった所にあるので、もう少し目立つ所にあれば、地元住民や伏見稲荷を訪れる観光客の目を楽しませる事ができただろうに…。
なみなみと水が湛えられた池の中では、色鮮やかな鯉が何匹も泳ぎまわっていた。きっと駅員さんに毎日餌を貰っているのだろう。
池庭の右端には、小さな石碑が設置されていた。よく見ると「安全祈願之碑」と標されていた。
そして左端には鉄道唱歌の歌碑がひっそりと添えられていた。読んでみると、京都府内の山科やこの伏見稲荷を唄った46番の歌詞だった。
「大石良雄が山科の
その隠家はあともなし
赤き鳥居の神さびて
立つは伏見の稲荷山」
大石良雄は忠臣蔵の大石内蔵助として知られ、松の廊下事件で赤穂藩が取り潰しとなった後、山科に隠棲したという。
前の45番では大津付近、次の47番が京都駅が唄われている。
明治の頃、東海道本線は東山に阻まれ、馬場駅(二代目の大津駅で今の膳所駅)から南に迂回し稲荷駅を通り京都駅に至っていた。しかし、1921年(大正10年)新逢坂山トンネルと東山トンネルができ、馬場駅‐京都駅間が開通すると、旧東海道本線の稲荷駅‐京都駅は奈良線となり、稲荷駅‐桃山駅間は新線を敷き、奈良線の桃山駅以南と繋げた。
旧東海道本線区間にはじき出された形の奈良線の旧区間は、桃山駅‐伏見駅間の2.19kmは貨物線となったものの、10年も持たず1928年(昭和3年)に廃止された。残りの区間は奈良鉄道に払い下げられ、現在は近鉄京都線の一部となっている。
[2007年7月訪問](京都府京都市伏見区)
稲荷駅訪問ノート
京都の数ある神社の中で有名な神社の一つで、稲荷大社の総本社・伏見稲荷大社最寄の門前駅で、1935年(昭和10年)築のコンクリート駅舎は、柱が朱色に塗られるなど社殿風に仕立てられた和風駅舎となっている。
構内には東海道本線として開業した明治12年(1879年)からあるレンガ造りのランプ小屋が残る。最古の鉄道建築物で、準鉄道記念物に指定されている。
レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の一つ星レトロ駅舎