富山地鉄らしい?個性的なホームと配線
上滝線の駅巡りをし、立山線との接続駅である終点の岩峅寺駅で下車した。入線した3番線は上滝線専用ホームで、4線あるプラットホームの中で唯一の行き止まりホームだ。
駅舎への通路は古色蒼然とした上屋が掛かり、レトロな雰囲気に溢れる。
よく見ると、車止めを超えるように、3番線のレールが埋もれながらも通路を貫いていた。昔は3番線もこの先の立山線にも続いていたようだ。しかし上屋の古び具合から見るに、もうかなり昔に3番線はせき止められていたのだろう。
上滝線と立山線がダイナミックに交わるV字状の構内配線とプラットホームはインパクトが強い。
駅舎側に近い側から2番線と1番線で、立山線用のホームとなっている。そして元京阪車が止まっているのが、先ほどの3番線、その向かいが4番線で、この2線は上滝線用ホームだ。4番線は直通列車は現在でな無いながらも、まだ立山線と繋がっている。
立山線と本線の乗換駅の寺田駅、スイッチバックの上市駅、不二越・上滝線と軌道線の乗換駅の南富山駅など、富山地鉄には面白い配線の駅が多いものだ。
和風?洋風?ユニークな造りの駅舎
薄暗い待合室は古い造りを残し、ノスタルジックな趣きが漂う。
改札口は木製だ。しかしこのレトロな雰囲気の待合室にあって、妙に新しさが漂い違和感を感じる。後で作り直されたのだろう。
壁には「映画『劒岳 点の記』撮影風景」と題し、多くの写真が展示されていた。同作は立山連峰を舞台にした作品だ。時代設定が明治のため、レトロな駅舎が残る岩峅寺駅が当時の富山駅としてロケ地に選ばれたという。それを思えば、あの新しくもレトロな改札口は、ロケのために製作されたものなのかもしれない。
待合室の片隅には、富山地鉄の駅ではよく見る鏡付きの古い広告看板が残されていた。手書き感覚なのが楽しくレトロな味わいある。
駅舎は2階建ての木造駅舎で、何といっても屋根や車寄せに敷き詰められた瓦が印象深い。屋根は入母屋、車寄せは唐破風と和風の造り。西に約250mの場所にある雄山神社前立社壇にあやかってなのかもしれない。雄山神社前立社壇は、平安時代に建てられた神仏習合の立山寺を前身とし、古くからこの地の立山信仰の中心となっていた。
しかし、純然たる和風建築でもなく、四角形の単純な形状の2階建てで、窓は縦長、腰壁はブロックで装飾され洋風の要素も含め持つ。まるで大正か昭和の街並みにありそうな、昔の町役場か郵便局のよう。小ぶりながらもビルと言うか、堂々とした感じの建物だ。
岩峅寺駅の開業は1921年(大正10年)8月20日だ。後に上滝線となる富山県営鉄道が上滝駅から延伸してきた事による。駅舎はそれ以来のものと思われる。
一方、立山線は、立山鉄道時代、県営鉄道に先駆け、1921年(大正10年)の3月19日にこの地まで延伸してきた。しかし当時は立山駅を名乗り、位置も少し離れていたという。
1936年(昭和11年)8月18日、立山鉄道は富山電気鉄道に合併されると立山駅は廃止され、県営鉄道の岩峅寺駅に乗り入れるようになった。
そして1943年(昭和18年)1月1日、富山電気鉄道を中心に県内6つの鉄道会社が統合され富山地方鉄道が設立された。
この駅舎を和風とより印象付けているのは、唐破風の車寄せだ。木の組み方や細かな彫り込みの装飾、そして鬼瓦…どれも見事だ。2階屋根部分の入母屋に載った正面の小さな三角…ドーマー的な屋根の懸魚も目を引く。
唐破風の上では亀の瓦で飾られていた。
そしてウサギも遊ぶ。なんと遊び心溢れているのだろう!
[2010年(平成22年) 9月訪問](富山県中新川郡立山町)
~◆レトロ駅舎カテゴリー: 私鉄の三つ星駅舎~
再訪
2017年(平成29年)4月、岩峅寺駅を再訪した。駅は7年前と変わらぬ懐かしい趣漂っていた。
いつものようにあれこれ写真を撮っていると、駅員さんに話しかけられた。ちょっと雑談を交わすと、思わぬ事を言われた。
「中見ていく?」
駅事務室の中を見せてあげようかと誘われたのだ。今思えば、2階部分も含めてだったのかもしれない…
唐突なご厚意にかえって尻込みして、遠慮してしまった。しかし、こんな機会、滅多にあるものじゃないので、見せてもらえばと、後で後悔した。
その代わり、外から窓口の中をちょっと撮影させてもらった。
さて…、古色蒼然とした駅舎が多く残る事で鉄道ファンに知られた富山地鉄だが、それでも、じわじわと建替えられていった。近年では少しずつ改修が進められている。例えば寺田駅、月岡駅、有峰口駅が、形状を保ちながらも新築のようになった。あと「あの駅、かなり傷みが進んでるけど大丈夫だろうか」と思いあたる駅もいくつかある。
何十年後、岩峅寺駅の駅舎はどういう姿になっているのだろう…?