味わいある木造駅舎がポツンと佇む…
早朝、森駅から函館本線砂原支線周りの函館行き始発列車に乗り、渡島沼尻駅で下車した。下車したのは私だけで、乗ってきた人はいなかった。
特急街道の函館本線だが、渡島砂原駅経由の砂原支線はそんな雰囲気とは無縁のローカル線で、1両分程度の長さのプラットホームが千鳥状に配置されているだけだ。しかし、貨物列車の往来が多く、両ホームのレールの長さは、長大編成にも対応できるほど長い。
上りホーム側の端に古めかしく小さな木造駅舎が残っている。二重の出入口、二重窓、伸び出ている煙突など、雪国の建物らしい造形。待合室部分以外は鍵が掛かり中に入ることが出来なかった。
砂原支線は戦時中の1945年(昭和20年)、七飯駅‐大沼駅が急勾配を含む難所で、輸送力増強のため森駅‐砂原(現・渡島砂原駅)を結んでいた渡島海岸鉄道を買収し、さらに渡島砂原駅‐軍川(現・大沼)間を延伸し開業した路線だ。渡島沼尻駅は、軍川‐渡島砂原間開業時の1945年(昭和20年)6月に信号場として開設された。駅舎はその時以来のものだ。仮乗降場扱いで旅客も扱っていたが、1987年4月1日、国鉄分割民営化時に駅に昇格した。
少し見てまわると、駅舎の一角に待合室があった。2畳程度と狭苦しく、先客が居たら入るのをためらってしまうだろう。
室内の木目プリントの壁面やサッシ扉が、駅舎外観の使い込まれ古びた雰囲気とは合っていない。どうも、この駅舎はもう少し大きな建物だったようだが、平成に入り改修されコンパクト化されたとの事。待合室前にコンクリートの床面跡が残り、かつてここにも何があった名残を感じさせた。この待合室は改修時に新たに造られたものなのだろう。
木造駅舎は、不要になった駅務室部分等が削ぎ落とされ、半分程度の大きさに改修されるケースが珍しくないが、その多くがどこか落ち着かない違和感のある雰囲気になってしまっている。しかし渡島沼尻駅の雰囲気は全く破綻が無く、まるで昔からその姿のまま佇んでいるかのような風情がある。古き良き趣を十分に感じさせる造りだ。
旅客駅ではなく信号所として開設された経緯を考えると、駅舎は係員のための詰所を主目的として建てられたのだろう。レールの方を向いた出入口上には、「安全第一」と書かれた錆びついた看板が残っているのが、そう感じさせた。
ガラス窓に顔を近づけ、暗い中、目を凝らして中を覗くと、汚れて荒れ果てた室内が見えた。小上がりのような畳のスペースがあり、かつては保線員や信号所の係員が仕事の合間に体を休めたのだろう。窓口や改札口と言った旅客用の設備は見当たらなかった。
駅舎を側面から見てみると、建物が微妙に右に傾いているのに気づいた。強い地震が来たら、倒壊してしまいそうだ。2本のつっかえ棒が、傾いている建物を懸命に支えている。
秘境駅ムード漂う駅を歩く
駅の周囲は自然に囲まれ、背後には渡島富士とも称される名峰・駒ヶ岳がそびえる。人家は少なく、一日の利用客は10人未満という。秘境駅と言えるだろう。古い木造駅舎もあいまって、昔ながらのローカル線の小駅らしいひっそりとした風情に溢れる。
別棟にトイレが設置されてた。こちらも駅舎同様、かなり古そうだが、汲み取りの割にはきれいな方だった。清掃して間が経っていなかったか管理がいいのだろう。
駅前には数軒の人家や、公民館や神社があるのみで、ひっそりとした雰囲気だ。暖冬のせいで雪の量はとても少なく、2月の北海道だとはとても思えない。
次の列車の手持ち無沙汰に、駅から歩いていると、国道278号線に出た。駅への道路はか細く、道の入口には「渡島沼尻駅入口」という看板が設置されていた。雲に隠されているとは言え、やはり背後そびえる雄大な駒ケ岳が印象的だ。
10年前、北海道を自転車で旅した時に、まさにこの国道を通った。その時の記憶は良く残っていて、雄大な駒ヶ岳と内浦湾の眺めはとても印象的だった。そして、11月になろうとしている頃で、ゴールの苫小牧港を前に、本州の冬のような寒さに気も滅入りがちだった。そのため早くゴールに達したいと思い、連日、必死にペダルを漕いだものだ。そのため、この道の先に渡島沼尻駅がある事… いや、この道の存在にさえ全く気づかなかった。
北海道の木造駅舎には、屋根にドーマー窓のような構造物を見かける事がある。最初、小駅なれど洒落ているなと感心していた。しかし、屋根からずり落ちる雪で煙突が折れるのを防ぐためのものらしいと気付いた。
8時30分、函館行きの上り列車が渡島沼尻駅の短いホームに入線した。私の他に、一名の地元住民が乗車した。この駅の数少ない利用客の一人だ。秘境駅とも言えるこんな小駅で、地元の人と乗り合わせるとは珍しいなと思いつつ、私もこの列車に乗り込んだ。
[2007年2月訪問](北海道茅部郡森町東砂原)
渡島沼尻駅舎取り壊しに
2021年11月初旬、渡島沼尻駅に、駅舎が老朽化のため撤去される旨の貼り紙が掲示されていると、ツイッターに投稿されていた。最終日は令和3年の11月30日との事。雪深い地域だけに、積雪が本格的になる前に早々に撤去されるのだろう。
ネット上で時折、渡島沼尻駅の駅舎を見てきたが、私が訪れた時と比べ、レール側出入口の扉はサッシ戸になり、外観は灰色の板で所々補修され継ぎはぎのようになるなど改修されてきたが、時の流れは確実に駅舎を蝕んでいるように映った。だけどつっかえ棒で支えられた駅舎は懸命に立ち続けていた。でも、もうそろそろ限界なのだろうと受け止めていた。
私が最後に見たのは2021年10月末の函館本線南部の旅だった。訪れなかったものの、車内から目を凝らした。駅舎に先駆け、駅前のトイレは既に撤去されていた。
それにしても、2022年の函館本線南部の5駅…本石倉駅、石谷駅、銚子口駅、流山温泉駅、池田園駅の廃止だけでも衝撃だったが、そこに渡島沼尻駅のあの木造駅舎取り壊しが加わるなんて思いもよらなかった。
封鎖後、渡島沼尻駅舎は取り壊されず残存していたが、約1年後の2022年11月末から解体工事が始まったという。
- レトロ駅舎カテゴリー:
- JR・旧国鉄の失われしレトロ駅舎