早朝、マイナス10度を下回る南下沼駅で降り立つ…
朝の5時前、特急利尻で宗谷本線の幌延駅に降り立った。
稚内行きの普通列車までは一時間半もあるので、一旦、待合室に向かった。ストーブは点いているものの、外の寒さに押されているのか、火力が弱いのか、思いの外、暖かくない。寒い思いをしながら列車はまだかと待ち焦がれた。
空が明らみ始めた頃、稚内行きの普通列車が入線し、定刻の6時34分に幌延駅を出発した。
列車に乗れて、ようやく暖を取れたと思ったのだが、わずか一駅、5分程度の乗車でもう下車しなければいけない。暖かい車内に後ろ髪をひかれつつ、南下沼駅で下車した。下車したのは私だけで、乗ってきた人は居なかった。
駅は単行の列車しかカバーできない短い板張りのホームのすぐ側に、物置のような待合室が付いている北海道のローカル駅によくある停留所タイプの駅で、仮乗降場から昇格した駅という雰囲気を色濃く留めている。周囲は雪原が広がり、酪農家と思われる建物が、駅から離れて点在する程度だ。
停車する列車は少なく、下りだと、私が今乗ってきた列車と、15時42分発の2本、上りはこれから折り返しで乗る7時35分発と、18時18分発のみと、必要最低限の列車しか停まらない。隣の下沼駅までは2km未満と比較的近く、代りに使えなくも無いが、モータリゼーションが進んだ中、わざわざ、近い隣の駅にまわる以前に、車を使うというものだろう。
この駅は、利用者が余程少ないのか、2006年の3月17日で廃駅となってしまう。JR北海道は、近年、乗降客が極端に少ない駅の廃止を進めていて、宗谷本線では2001年に、上雄信内駅、下中川駅、芦川駅が廃止になっている。そして、今回、遂に智東駅とこの南下沼駅とにも廃止の手が伸びてきた…。
乗降客がほどんど居なくても、除雪はされていて、ホームには薄く雪が乗ってる程度だ。だが、足跡が全く無く、この駅の利用者の少なさを物語っている。私がホームを歩き回ると、沈黙に包まれた雪原にギュッギュと音が響き、訪問証明の刻印を押しているかのように、真っ白い雪の上に、靴の跡が増えていく。
下車後、しばらくは車内の暖かさが体に残っていたが、極寒の朝、そんなもの直ぐに奪われ、体が冷えてくる。こんなボロでも待合所があるのは有難いと思い中に入った。とは言え、ストーブが焚かれている訳ではなく、中に入っても気持ち程度の差でしかない。
壁に造り付けのベンチが設置されているが、中はまさに物置小屋で、2畳程の狭いスペースにほうきや除雪用のシャベルやジョウロが置かれている。床板は無く地面が露出していて、まるで土間だ。床板なんて、元々無かったのであろう。壁には、時刻表や運賃表など列車運行関係の紙が掲示されているのを見て、何とか駅だという事を思い出させる。ベンチの長さを考えると、待合所の定員は3~4人だが、狭く気詰まりしそうな空間で、もし先客がいたら、自分はこの中に入るのを遠慮してしまうだろう。
壁には誰が掛けたのか、温度計が掛けられていた。数値を見てみると、マイナス12度だった。
線路を渡った所に、駅の外に出る細い道が通じている。本当は、待合所横から直接国道40号線に出られる道があるらしいのだが、冬は除雪されていなく、周囲の雪原と完全に同化し、どれが道なのかさっぱりわからない。細い道も正規の通路ではないようで、線路を渡らなければいけないが、構内踏切などの設備や安全を促す看板類も一切無い。一応、注意して線路を渡り、その道の前に立つと、まるで雪原の獣道かあぜ道のような趣で、細い道が車道に伸びている。ズボリと足が埋まってしまわないかと、恐る恐るその先へと歩みを進めた。
車道へ出ると、少し離れた所に酪農家の建物が見える。これがこの駅最寄の人家だ。
車道を少し歩くと、国道40号線へと合流する。宗谷地方と道央を結ぶ幹線国道で、交通量は多く、周囲の深い積雪にも関わらず、アスファルトが露出している。国道40号線は南下沼駅の北側で、宗谷本線を跨いでいて、跨線橋からは南下沼駅とその周囲が見渡せる。2本のレールが伸び、あの緑色の待合所が雪原に抱かれるようにポツンと存在している。廃駅になると、駅施設を残しておかず、早々に撤去してしまうらしい。たぶん、南下沼駅も雪解けを待って、早々に撤去されてしまうのだろう。今度の冬、この景色はもう無い。ここからの冬景色も、自分にとってはガラリと変わってしまうんだろうなと思いながら、南下沼駅の方を見つめた。
[2006年(平成18年) 2月訪問](北海道天塩郡幌延町)
追記: 2年半後に列車で通りかかると…
2008年8月、宗谷本線で旅の途上、南下沼駅の跡を通る機会があった。上り列車が下沼駅を出発すると、南下沼駅のホームなど駅施設があった車窓右側を注視した。
あの国道40号線の跨線橋が目印だと思い、目を凝らした。しかし…、全く気付かなかった。もしかしたら、僅かな痕跡は走り去る列車からは捕捉できなかったのかもしれない。しかし、そこには周辺の風景の同様に、深い緑が生い茂っているだけだった。まるで駅の跡が原野に飲み込まれたかのように…