矢島駅 (由利高原鉄道・鳥海山ろく線)~新旧駅舎並び立つ終着駅~



新駅舎

 由利高原鉄道鳥海山ろく線の薬師堂駅を見た後、終点の矢島駅に降り立った。

由利高原鉄道の終点・矢島駅、新駅舎

 2000年(平成12年)から供用開始された新築駅舎ながら、秋田杉をふんだんに使い、温もりある雰囲気で、2002年に東北の駅百選に選ばれた。中は観光案内所、吹き抜けの広々とした待合室、イベントや集会で使える多目的ルームなどがある。1985年(昭和60年)10月1日、国鉄矢島線から第三セクター鉄道に転換時、羽後矢島駅から矢島駅へと駅名が変更された。

倉庫として残る国鉄時代からの旧駅舎

由利高原鉄道・矢島駅旧駅舎、国鉄矢島線時代からのもの

 そんな立派な新駅舎の横に、こじんまりとしたいかにもローカル線の駅舎っぽい建物があった。こちらは現駅舎がオープンするまで使われてきた旧駅舎だ。この駅舎は1938年(昭和13年)、国鉄矢島線が西滝沢と当駅間で開業した時以来の歴史誇る木造駅舎だ。

 立派な現駅舎に較べれば見劣りしてしまうが、駅前への道が新駅舎ではなく、旧駅舎に突き当たる点は、道がかつて町の玄関であった旧駅舎に合わせて整えら、そこから町が形成されていった事の現われで、先代の威光だ。寒冷地の駅らしく、車寄せは壁などで囲まれ風を遮れる造り。トタン葺きの屋根なのに、その上になぜか瓦が敷かれているのが奇異に見えた。

 ガラス窓越しに中を覗いてみると、鉄道用具など、物が雑然と置かれ、現在では由利高原鉄道の倉庫として使われているのがわかる。そんな中、窓口はかつての造りを残していて、現役時代を思い起こさせた。

由利高原鉄道・矢島駅旧駅舎、ホーム側

 旧駅舎のプラットホーム側に回ってみた。色々な物が置かれているが、現役時の頃の雰囲気がよく残り、こちらが駅だと言われても違和感は無い。

由利高原鉄道・矢島駅の木造駅舎ホーム側の柱

 ホームの軒を支える柱は丸太のような丸い柱で、足元はコンクリートで補強されつつ、石で飾られている。壁面の袴腰には茶色いタイルが敷き詰められている。矢島駅は鳥海山を控え、かつては登山口に近い駅として賑わったのだろう。駅舎は山小屋風の造りを採り入れ、そんな雰囲気を演出する。

由利高原鉄道・矢島駅旧駅舎、改札口跡付近

 旧改札口横には、鳥海山や鳥海高原の名所案内看板がいまだに残っている。矢島登山口までバスで60分とあるが、駅前に登山口行きのバス停がある形跡はなかった。もうとうの昔に廃止されてしまったのだろう。ただ、錆び付いた看板がかつての賑わいを忍ばせた。

由利高原鉄道の終着駅・矢島駅の車止め

 矢島駅は、車庫や由利高原鉄道の本社がある中枢駅だ。鳥海山ろく線の前身は国鉄矢島線だが、その前身は釜石-横手-本荘を結ぶ「陸羽横断鉄道構想」という壮大な構想の下、開業した横荘鉄道だ。

 後に由利高原鉄道となる横荘鉄道西線は、最初に1922年(大正11年)に羽後本荘駅と前郷駅間で開業した。東側は、横手駅‐老方駅間の38.2㎞が横荘線(東線)として開業していた。

 しかし1937年(昭和12年)、西線のみが国有化、買収対象のとなった。東線は羽後交通横荘線として存続したが、1971年(昭和46年)に廃線となった。

 国有化後、羽後矢島駅までは開業したが、資金難で工事が中断し、両線が繋がる事はなかった。。壮大過ぎた構想だった。しかし、車止めが無念さを物語るようにレールをせき止めているいように映った…

[2006年(平成18年) 5月訪問](秋田県由利本荘市)

追記

 矢島駅の旧駅舎は、2011年(平成23年)8月に惜しくも取り壊された。取り壊しを前に、長年の労をねぎらい「旧矢島駅舎お別れの夕べ」という会が開催された。旧駅舎が久々に開放され、多くの人々が思い出を語り合い昔を懐しみ、旧駅舎への餞にしたという。


~◆レトロ駅舎カテゴリー: 旧国鉄の失われし駅舎