難関区間、美深町の秘境駅を攻める~宗谷本線 2021年廃止予定駅と気になる無人駅を巡る旅~1日目(2)~



一日目の後半戦、難関区間の名寄以北へ…

 宗谷本線の無人駅巡りの旅一日目、いよいよ後半戦のスタートだ。名寄以南は、列車本数はまあまああるが、これから向かう以北となると、少ない列車が数年前に更に減便されてしまい、駅巡りの難度がより増した。名寄‐美深間は下り列車だと一日4本という少なさだ。その内の3本が15時以降なので、この時間帯に攻めるのがまだ効率的だ。

 あまりの列車の少なさに、当初の計画では、紋穂内駅もしくは恩根内駅から、天塩川温泉もしくは咲来駅まで駅間徒歩をする計画を立てたが、最低でも10㎞、最大で20kmに及ぶ距離のため無謀と思い計画を練り直した。


 名寄を14時56分に出た稚内行きの列車は、先ほどまでいた日進駅に停車した。次は北星駅だ。北星駅も来年の廃駅が予定されているが、十数年前に訪問しているため、今回は下車の対象から外した。

 とは言え、あの看板待合室は気になる…。なので車内から眺めようと車窓右側に陣取った。そして北星駅に停車した。

宗谷本線、車窓から見た北星駅

 あのボロい待合室は相変わらず「毛織の北紡」と大きなホーロー看板を掲げていた。しかし周囲の風景が妙にすっきりしポツンと寂し気に佇んでいる姿に驚かされた。かつては農家と思しき家屋や倉庫があり、人が住んでる気配もあったのだが、空地と化していたのだ。まるで最初から何もなかったかのように…。何かの都合で離農し後継者も居なく更地となったのだろう。周囲に1件の家屋があり倉庫もあるのだが、果たしてまだ人は住んでいるのだろうか…?

 待合室は健在だったが、窓部分はガラスが割れてしまったのか、透明のビニールシートのようなもので覆われ、いちばん左の窓は板で塞がれいた。時は確実に忘れ去られたような待合室を蝕んでいる。

満身創痍で終わりを迎えようとしている紋穂内駅

 列車は美深駅を過ぎ紋穂内駅に入線した。この駅も来年での廃駅が予定されている。

宗谷本線、車内から見た紋穂内駅ホーム

 車両先頭から眺めると、板切れではないホームがある1面1線の駅だった。

JR北海道宗谷本線・紋穂内駅、ボロボロの貨車駅舎

 駅舎は宗谷本線の他の無人駅でよく見る貨車駅舎なのだが。錆と塗装の剥げが一層激しい。まるでヒョウ柄か鱗の模様を描いているかのよう。ここまで来ると潔いとさえ言えるのかもしれないが、小さな駅まで改修の手が届かない苦しい事情が垣間見える。きっと来年の廃駅までずっとこのままなのだろう。

JR宗谷本線・紋穂内駅、貨車駅舎の待合室内部

 外観は凄まじいが、内部は古さは感じるもののまずまずの状態。それにしても狭苦しく圧迫感を感じる。しかし、雨風を…何よりも雪をしのげるのは有り難い。

宗谷本線・紋穂内駅、旧駅舎残骸のコンクリート基礎部分

 待合室一帯には旧駅舎のものと思われるコンクリートの土台が残っていた。よく見ると縁がレンガのようにペイントされている。こんな洒落っ気があった時期もあったのだ…

JR北海道宗谷本線、秘境駅ムード溢れる紋穂内駅

 紋穂内駅の次は恩根内駅に行くが、列車は無いので近くを通る名士バスに乗っていく。最寄りバス停の西里4線まで約1.2㎞あり時間も迫っているので名残惜しいがもう行かなければいけない。最後に紋穂内駅に振り返った。アスファルトが敷かれた駅前はかつては立派な駅舎が建っていたんだろうなと想像させた。周囲は木々に囲まれ鬱蒼としていた。

 とぼとぼ歩いていると、踏切横の突き当りにレトロモダンな家屋があるのが目に入った。レンガの古い建物をリノベーションしたプチホテルだ。けっこういいお値段がするが、宗谷本線真横にあり、列車が眺められる部屋があるという。泊まりたかったのだが、9月ほほんどが休業だったよう。残念ながら紋穂内駅が現役である内に泊まるもう叶わないだろう。

 突き当りを左に曲がり広い堰堤に囲まれた天塩川の長い橋を渡ると、国道40号線に出た。すぐ右手の廃校前に、西里4線停留所があった。

何とか生き残った恩根内駅

 やってきた恩根内行きのバスは乗客は何ゼロで、そのまま終点の恩根内まで行った。

宗谷本線・恩根内駅と名士バス

 バス停は駅手前50mのバス駐車場に停車した。集落奥手に、教会の塔屋を思わす背の高い待合室が夕日を浴びながら佇んでいた。

 駅舎は1986年の無人駅化時に貨車駅舎に置き換えられていたが、10年と経たない1993年に現在の待合室が建てられたという。

 恩根内駅も来年の廃駅予定が公表されていた。しかし地元自治会が存続要望の声が上がり、美深町が維持費を出す事を条件に、一転、存続が決定した。

宗谷本線・恩根内駅前集落の中のレンガ造りの農業倉庫

 駅前は歯が抜けたように雑草が生えた空地が目に付き、過疎を印象付ける。それでも人家が何軒も建ち集落というものの雰囲気をよく残している。

 バスが恩根内の集落に差し掛かった時、親子連れが歩いているのを目にした。また頻繁ではなくても、たまに列車を利用し出かける住人もいるのだろう。そういう住民にとっては、冬も安定して利用できる列車は心強い最後の砦なのだろう。少ないながらも利用される見込みがあるのが、恩根内駅が生き残った理由なのかもしれいないと思った。

宗谷本線・恩根内駅に入線する音威子府行き普通列車

 そして音威子府行きの列車がやってきた。先ほど乗車した14時55分名寄発の、約1時間40分後に出た列車で、一日4本の割に密な列車間隔だ。学生の帰宅を見込んだ設定なのだろう。しかし車内はガラガラで、10人に満たない乗客のほとんどが鉄道ファンと思しき人々だった。

豊清水駅、無人地帯の秘境駅を夜の闇が包む…

 恩根内駅から一駅で次の訪問駅の豊清水駅に到着した。私を含め3人も下車客がいた。全て鉄道ファンだったが。上りが約45分後の18時16分にやってくるので、難関区間の宗谷本線にあって、駅訪問にはうってつけのダイヤだ。

宗谷本線、行き違いホームに側線もある豊清水駅

 1線のレールに僅か1両程度の長さのホームの駅ばかり見てきたが、すれ違いができる島式のホームに側線まである。ホームは数両分の長さだが石積みで重厚感漂う。やっとそれなりの規模の無人駅を見たが、この駅も廃止12駅の中の一つだ。

JR北海道宗谷本線・豊清水駅の木造駅舎

 そして駅舎らしい駅舎もあった。古い写真を見るに、昭和40年代半ば以降に建て替えられた駅舎のよう。待合室は狭いながらも、出札口の跡も残る。旧駅事務室は保線員の詰所のようで、ガラス窓から用品が透けて見えた。

宗谷本線の秘境駅・恩根内駅、駅周囲は既に無人地帯

 駅から階段を降り駅前に出ると、目の前には倒壊した牛舎があった。宗谷本線に平行して鬱蒼とした道が伸びるが、道沿いに建物は見当たらなかった。完全に無人地帯と化して久しいようだ。

宗谷本線・恩根内駅、夜を迎えた駅前

 そして夜の闇に包まれ、駅前の外灯がともるが、周囲は完全に暗闇に包まれた。そして鉄道ファンたちが動く以外の気配は全く無い。

 豊清水駅は戦後の1946年(昭和21年)、入植者の請願で開設された駅だが、その子孫たちもこの地を去り、駅周囲は無人地帯となってしまった。今では旅客駅としてより、実質には信号場として存在しているのだろう。廃駅後は、すれ違いができる駅として、保線員の詰所として、今とさほど変わらない姿で残り続けるのだろう。

そして南美深駅…

 豊清水駅を18時10分に出た列車は美深駅に到着しようとしていた。これからの予定は21時23分の特急サロベツ3号に乗って宿泊地の稚内に向かう事だ。しかし南美深駅を訪れようか迷っていた。最初からプランに組み込んではいたが、豊清水駅を出た時点で完全に夜だったので、この状態で訪れてもという気持ちはあった。それなら美深で夕食を取りのんびりしようか…。

 しかし折角来たのだし、来年の今ごろ、南美深駅はもう無い。そう思うと、迷いながらも初志貫徹しようと車内に留まった。

宗谷本線、廃止が決まった南美深駅に停車する列車

 南美深駅に到着した。美深市街から数キロ離れた場所にある駅で降りたのは私だけで、もちろん乗ってきた人もいなかった。単行の列車は板切れの短いホームからはみ出て踏切の上にまで車体は及んでいた。

宗谷本線、短い板張りホームの南美深駅

 この駅も1面1線の朝礼台スタイルの駅だった。

宗谷本線、夜の闇に包まれた南美深駅待合室

 ホームの写真を撮り、改めて周囲を見渡すと真っ暗過ぎるのに度肝を抜かれた。まさに漆黒の闇だ。ホームや踏切にこそ灯りは灯っている。しかし10メートル先は暗過ぎて、どうなっているのかさっぱり解らない。駅前に一軒の民家があり、600mほど西を平行する国道40号線の外灯が、点々と規則正しく並んでいるのが見えるだけだ。

 周囲は畑か牛の放牧地にでも広がっているのだろうか…?少し離れた所から作業用車と思しきエンジン音が絶えず聞こえてきた。暗闇にひとり戸惑う私にはそれさえも心強い。

 ホーム隣に、古めかしい待合所が闇の中に潜んでいたのに気付いた。古い木造の待合室で、貨車駅舎より一回りばかり大きいだろうか…。内部も同様に真っ暗でどうなっているのか解らなかった。怖くて扉を開けるのを躊躇ったが、思い切って少し中に入ってみた。スマホの懐中電灯機能で室内を照らそうとしたが、普段使っていない機能なので解らなく、結局、内部の様子をうかがい知る事は出来ない。もしかしたら室内に照明のスイッチがあったのかもしれない…

 1時間ほど待てば下り列車が来るが、ここで1時間も過ごすのは辛いものがあると思った。それなら約4㎞先の美深市街まで歩いた方がいいかもしれない。とりあえず真っすぐ西に歩けば、国道40号線と交差する。

宗谷本線・南美深駅、夜は真っ暗になる…

 しかし行く先は真っ暗で、外灯や家屋一つ無く、足元さえ数歩先は暗い。まるで道なき道を歩いてるようだ。

 よく見ると、何とか5m位先までは分離帯の白線が見えた。道とそうでない所の境目が解かりづらく、端を歩いているとかえって危ないと感じ、道の真ん中の分離帯をなぞるように歩いた。幸い車の通行はほとんど無いので、気配を感じた時だけ端に寄ればいい。ふと空を見上げると、都会よりうんと多くの星がまたたいていた。

 通り過ぎた車は1台で、10分程度で国道40号線に達しホッとした。

 しかしそれも束の間。40号線沿いも、この辺りだと外灯や家屋もほどんど無く、道はかなり暗かった。歩道はあるが、割れ目からは雑草が生えでこぼこしていた。市街地に差し掛かるまで苦難の駅間徒歩は続いた。

美深白樺ブルワリー、美深産ブルーベリーを使ったビール

 中心部に入り古レンガ倉庫を改装した日本最北のビール醸造所、美深白樺ブルワリー併設のレストランでお疲れの一人乾杯、そして夕食…。ビールは美深産ブルーベリーをふんだんに使ったフルーティーなビールだ。

 
 疲れを癒すと、今日の締めの列車、サロベツ3号に乗るため美深駅に向かった。稚内到着は23時47分、そして翌朝は上り始発の5時20分発でのスタードだ。ホテルには僅か5時間程度しかいられなく、睡眠は3時間取れれば御の字のハードスケジュールだ。音威子府など他の街で宿を取り、少しでも長く寝るという選択肢もあった。しかし、列車本数が少ない宗谷本線で、自分の希望に近づけるためには、稚内まで行ってしまうのが、結局はベターだと悟ったのだった。

 稚内までの2時間はひたすら眠った。

[2020年(令和2年)9月訪問]

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番外編(1): 2008年、車窓から見た駅(徳満駅、安牛駅、下士別駅)
番外編(2): 北比布駅、東六線駅、北剣淵駅~3駅を巡ったある夏の日の風景