木造駅舎の旅で叶わぬ事
古く味わいのある木造駅舎が好きで、日本全国を旅している。「古い味わいに溢れる・・・」「自然に囲まれのんびりとした風景が心地よい…」と言った、気に入った駅には存分に滞在し堪能する事もしばしばだ。
ただ、どれだけその駅に居ようと、どれだけじっくり観察しようと叶わない事がある。それは木造駅舎の「中」の中に入る事だ。この場合、中とは待合室ではなく、一般乗客が立ち入る事ができない窓口の向こう側…。つまりは駅員さんが働いていた「駅事務室」または「駅務室」とも呼ばれる部分であり、更にその奥の宿直室と言った部分だったりする。一般人がそんな所に入れないのは至極あたりまえなのだが、無人駅となった駅舎では、ガラス窓越しに駅舎内部が垣間見えると、いつも興味津々に眺めている。特にそこだけ時が止まったままのように、昔の面影を留めていると、指をくわえるような気持ちで食い入るように見入ってしまう。
しかし、何度が木造駅舎の内部に入る機会に恵まれた事がある。もちろん特別な許可を得てという訳もなく、ましてや鍵やドアを壊して無理に侵入した訳でもない。そんな幸運の内の何回かが、イベントなどで、駅舎が開放されていた事によるものだ、そういう貴重な経験を出来た時は、まさに木造駅舎を隅まで味わい尽くしたという気持ちで満たされ、この時、この駅に訪れて良かったと一層心に刻まれるものだ。
こういう場合、有人駅だと切符販売など実際の業務が行われているので見学は不可能で、無人駅となった木造駅舎という事になる。
美作滝尾駅(JR西日本・因美線)
JR西日本・因美線で、年に数回運行される国鉄型気動車をイベント列車「みまさかスローライフ列車」は、美作加茂駅など主要停車駅で長めの停車時間が取られ、歓迎行事が行われる。美作滝尾駅もその駅の一つだ。その時に、何とかつての駅事務室も開放され見学できるようになっていた。歓迎行事も楽しそうだが、やはり私のいちばんの関心は旧駅務室内部だ。1928年(昭和3年)に建てられた、最も味わい深い木造駅舎の一つとして知られる駅舎の中はどうなっているのだろう…
駅事務室側から見た出札口の台や、その下の棚や引き出しの古い木の質感、壁の漆喰など、外観同様、確かに長年使い込まれた味わいのある質感が露わで、窓の向こうのお祭りのような雑踏は私の中から消え去り、まさに半世紀以上も昔の駅にタイムスリップしたかのような心境に陥った。魂が震えるような感動を覚えながらシャッターを切った。
鉄道員の服が展示されているあたりの、駅舎ホーム側の一部が四角く出っ張っている部分は「閉塞器室」と呼ばれる場所だ。かつてはタブレットを管理・収納する通票閉塞器など、運行関連の機器が置かれ、駅員さんがここで駅を見渡しながら運行管理をしていたのだろう。
一番奥には水場が残っていた。コンクリート製の流し台というのがどこかレトロ感というか武骨さ溢れる。その上の、木製の作り付けの棚も古くいい味出している。石鹸やタオルも置かれ、蛇口は金属の輝きを放つ。どうやら今でも使えるようだ。
水場の前で振り返り室内全体を見渡した。右手には、3畳ほどのの部屋がある。これが駅員宿直室・休憩室だ。笠付きの電球が灯る畳敷きの簡素な和室は、「神田川」の歌詞に出てくるような何十年前の時代感が漂っていた。
映画「男はつらいよ」の最終作で、美作滝尾駅が登場したのが縁で、待合室には同作の監督だった山田洋二氏の手紙が掲示されている。冒頭で
「寅さんと共に日本中の駅を見てきましたが、美作滝尾駅ほど美しい駅はもう日本のどこにもありません。」
としたためられていた。日本にはまだまだ美しい駅は残っている。しかし、この昔のままの駅事務室に身を置き、監督の言葉を前よりもより深く噛み締めている自分がいた。
[2012年(平成24年) 11月訪問] (岡山県津山市)
※関連ページ: 美作滝尾駅訪問記(2009年)
西大塚駅(山形鉄道・フラワー長井線)
写真集「木造駅舎の旅」を出版された鉄道写真家の米屋浩二氏が、山形鉄道の西大塚駅で写真展を開くと聞いた。木造駅舎の写真展の会場としてこんな相応しい場所があろうかと思い、夜行バスを使っての名古屋から山形へのほぼ日帰りの旅を即座に決意した。
西大塚駅は1914年(大正3年)、軽便鉄道として開業した時以来の木造駅舎が残っている事で知られる。東北では数少なくなった木造駅舎らしさらしい素朴さを残した駅舎だ。
そして西大塚駅に第一歩を標した。駅事務室はほぼ原型を留めていてた。ただ、長年使われていなく漆喰は黒ずみ、荒廃している雰囲気も否めなかった。米屋氏曰く、写真展の準備をしている時も雨漏りがしたので、山形鉄道の方に応急処置をしてもらったとか・・・。
だけどそんな昔ながらの造りを存分に残す古びた室内に、味わい深いモノクロの駅舎写真が展示されている様は、まるで古い駅舎を新しい命を吹き込み再生しようとしているかのようだ。
駅務室から宿直室と土間への入口の上には神棚があった。相当に年季が入り汚れた神社の御札が4枚置かれたままだった。
帰ってから画像をよく見ると、4枚の内、3枚の札に「熊野大社」と大きく書かれていた。フラワー長井線の宮内駅から1km弱の所にある熊野神社のお札だ。更によく見ると、いちばん右のお札の左下に、「西大塚駅 ○○○○殿」と、当時の駅員さんと思しき方の名前が書き添えられていた。そして右上には「無事故祈願」と書かれていた。きっとフラワー長井線の沿線にあり南陽市内でも有数の神社である熊野神社に、駅と列車の安全を祈って御札を貰いにいったのだろう。西大塚駅は無人駅となり寂れてしまった感は拭いきれない。しかし今でも当時の駅員さんの思いに包まれている・・・。時を越えた思いが残る駅に深い感慨を覚えた。
米屋氏の作品を堪能した後、御好意で駅舎内部をあれこれ内部を見せてもらった。(そのへんは同じ木造駅舎好きとして意を汲んでくれた様子。多謝!)
駅事務室の奥は隣は土間と宿直室になっている。駅舎内部と言っても、窓口側・駅事務室側が「表」なら、こちらは「裏」だろう。駅業務のためのような、いっとき業務から開放される奥まった所にある空間は、駅内部の境界のような曖昧な雰囲気で不思議な空気が漂う。土間には水場もあったようだが、もう撤去されていた。
宿直室も廃れながらも昔のままの造りをよく留め・・・、いや、おそらくは原形をほぼ留めているのだろう。この駅の有人駅時代を彷彿とさせる。3畳という狭い空間だが、駅員さんがしばしの休息を取った安らぎの空間だ。
宿直室の中にはキリストの肖像画が掲げられていた。なぜこんな物がこんな所に…。しかし、この肖像画は室内の使い込まれ古びた雰囲気に不思議と溶け込んでいる。かなり以前からそこにあるのだろう。きっと駅員さんがキリスト教の信者で、この狭い部屋で祈りを捧げていたのだろう。
でも今思えば、なんでそんな大切な物を置いていったのだろうか…?それにこんな目立つものは外し忘れたとも考えづらい。もしかしたら、自分が離れた後もこの駅を見守って欲しい…、そんな願いが込めて、この駅にあえて残されたのかもしれない。
それにしても、この古く小さき建物に、二つの神様が仲良く同居しているとはとてもユニークだ。
壁には配電盤が残されていた。無人駅であるのを象徴しているかのように、8つあるスイッチは全てオフになっている。しかし「浴場」「スピーカー」「ホーム」「出札待合室」「常夜」「駅長」「宿直室」と、スイッチ毎にラベルが付いているのが、まるでこの駅のかつての姿を私に伝えているかのようだ。
それにしても、西大塚駅の無人化が決まり、駅の物を搬出し全ての整頓を終え、この駅の電源をひとつひとつ落とす時は、どういう心境だったのだろうか…。そして全ての明かりが消え、待合室が暗くなった時は・・・。その時の駅員さんの心情を思うと、私までも心が痛む。
※姉妹ブログ関連ページ: 山形鉄道・西大塚駅、木造駅舎で木造駅舎の写真展
[2010年(平成22年) 4月訪問] (山形県東置賜郡川西町)
⇒気になる駅事務室の中、その2はJR九州の木造駅舎3駅!