廃墟一歩手前の駅舎と放置された丸窓電車
中塩田駅は終点の別所温泉駅と共通デザインの洋風木造駅舎だ。建築時期は不明らしいが、上田丸子電鉄時代に建てられたとの事。上田電鉄と丸子鉄道が合併し、上田丸子電鉄が発足したのが1943年(昭和18年)だ。そして、別所温泉駅の現駅舎が建てられたのが1950年(昭和25年)なので、中塩田駅の駅舎も大体、その位なのではないだろうか…
別所温泉駅は、文字通り別所温泉の玄関口として、きれいに整備されているが、この中塩田駅は朽ちるに任せているといった印象だ…。爛れているかのように、壁の漆喰が剥がれるなど傷みが目立つ状態で、取り壊しを待つだけのように思えた。洋風のいい駅舎なのに、ただ残念だった。
踏切を隔て上田方にある側線跡には、丸窓電車ことモハ5250形・モハ5253が放置されていた。この車両は上田電鉄のはるか前身、上田温泉電軌が1928年(昭和3年)に新造導入した上田電鉄生え抜きの車両で、かつてはデナ200形という形式名だった。
中塩田駅舎とともに同社の歴史を今に伝える貴重な鉄道遺産だが、こちらも悲惨な保存状態だ。これが長年活躍した名車の末路かと思うと哀れみさえ感じる。
だが2005年、モハ5253は、上田市内に生産拠点を置き、丸窓電車に縁深い長野計器(株)に引き取られ、「長野計器丸窓電車資料館」として静態保存、一般公開されるようになったという。
[2004年(平成16年) 1月訪問]
再訪、荒廃した木造駅舎のその後…
中塩田駅で駅舎と丸窓電車の惨状を目の当たりにしてから4年と約半年の2008年8月、中塩田駅を再訪してみようと思った。上田交通は、2005年(平成17年) 10月3日、鉄道部門が分社化され、上田電鉄として再出発していた。
丸窓電車モハ5253は幸せな結末を迎えたが、あのボロ駅舎は、あれから更に荒廃しているのだろうか…。もしかしたら既に取り壊されているかもしれないと思った。
しかし意外にも、駅舎は整備改修されていたのだった。 全面的にとまではいかないものの、壁が剥が落ちた部分は埋められるなど、あの頃を思うと随分ときれいになったものだ。漆喰で埋められた新しい部分がまだらになり浮いている感はあるが、時と共に馴染んでいくだろう。
英語で「NAKASHIODA STATION」と正面に刻まれいる所や、車寄せの社紋が、古びていてもなお風格があり、地方私鉄の誇りを感じさせる。
待合室部分の窓の一部はサッシ窓に変えられていたが、木枠で木の窓枠風に仕上げられている所が目を引く。これを見たとき、修復に関わった人は中塩田駅の良さをよくわかっているものだと感心した。窓としての機能はサッシ窓で十分果たせているが、やはりレトロで趣のある洋風木造駅舎にサッシ窓が露出しているのは雰囲気を損ねる。この窓枠を経営が厳しい上田電鉄がやっているのだから余計に感心だ。経営事情で新駅舎を建てる費用がままならないというのもあるのだろうが、この駅舎をできる限り大切に使っていこうという気持ちが感じられる。
駅舎内の待合室内にある窓口は無人駅となった現在、塞がれてはいるが、比較的、原形を保っていると思われる。おもちゃやぬいぐるみが窓口カウンターを賑わしている。明るい緑色に塗られているのが、古くくすみがちな駅舎を明るい雰囲気にしようという意図を感じるが、やや派手な感じ…。願わくば、こちらも茶色など渋い色に塗り替えて、窓口も復元し、レトロな雰囲気を再現して欲しいもの。
木製の改札口もそのままだ。ペンキ越しに浮かぶ木目が駅の歴史を教えてくれる。
駅舎ホーム側は、紺色の手書き駅名看板が渋く、いい味を醸し出し、昔ながらの造りと雰囲気を留める駅舎によく合っている。最近は駅舎など鉄道施設を登録有形文化財に登録する動きが見られるが、中塩田駅もその資格は十分に持ち合わせているように思える。
駅舎正面の反対側にまわると、蔦にびっしりと覆われて驚かされた。ある意味、風情があっていいのだろうが、きれいに除去した方がいいように思う…。
ホーム上田方の駅舎背後も荒れ放題で、雑草や花が生い茂り駅のホームと隣り合わせの空間とは思えない。塞がれた古井戸も残っている。このスペースにはかつて何があったのだろう?
雑草で荒れ放題のホームの中に、何故かプチトマトやナスが育っていた。しっかりとした柵に絡み育っているので、この僅かな空地に目をつけた近所の住民が作っているのだろう。
かつて丸窓電車が保管されていた側線には、保線用車両が置かれていた。
同じ敷地に家屋があるが、現在は使われていない様子。よく見ると、窓に日本通運の社章のステッカーが貼られていた。かつて日本中津々浦々の駅前に、日本通運の営業所があったように、この駅にもあったのだろう。
その家屋と側線の間は空地になっているが、昔は側線が何本もあり、貨物の取り扱いも盛んだったのだろう。2008年8月に元東急電鉄の1000系が上田電鉄で運転開始となったが、3月、同社に搬入された際に、この空地が使われ、この側線のレールに載せられ本線に入ったという。
かつては2面2線の相対式ホームを持つ配線だったが、今では一面一線になっている、今でもこの廃ホームのレールは側線として使われているが、別所温泉方ではレールは繋がっていない。しかし上田方の踏切付近で繋がっていて、先ほどの空地の側線から本線に入る場合、一端、この廃ホームの側線まで入り、スイッチバックしているようだ。
中塩田駅に到着した時、空は晴れ渡っていたが、いつの間にか、曇っていて、遂に雨が強く降り出した。ゲリラ豪雨と呼ばれる2008年の晩夏を、まさに象徴する天気だ。家を出た時は快晴だったのだろう…、急な雨で下車客は雨具の用意が無く、駅舎までダッシュしていた。
ホームの上屋には、レトロな乗車位置表示板が吊り下げられたままだ。下3分の1が広告になっているのが地方私鉄らしい。いろいろなものが、この駅のレトロで懐かしい雰囲気を作り上げているものだ。
訪問前、あの廃墟の一歩手前のような駅舎はどうなっているのか心配だった。しかし歴史ある駅舎が、古さゆえの気品ある姿を取り戻している姿に胸をなでおろした。来てよかった。
[2008年(平成20年) 8月訪問](長野県上田市)
~◆レトロ駅舎カテゴリー: 私鉄の三つ星駅舎~