木造駅舎天国の大手私鉄!東武鉄道ローカル区間
伊勢崎線や東上線などを運行し、首都圏の大手私鉄に数えられる東武鉄道だが、駅舎について調べていると、意外と古く味わいある木造駅舎が多く残っている事を知った。それには都内への通勤通学圏になっている沿線の街だけでなく、群馬県や栃木県といった、首都圏と違いローカル線の顔に変わる末端部も多く抱えているからだろう。写真を見ると、旧国鉄の純木造駅舎に引けを取らない駅舎も多く、まさに私鉄の木造駅舎天国だ。
東京都区内とは思えない小さな木造駅舎、堀切駅
上り列車で堀切駅に到着し、駅舎から出ると、眼前には堤防の傾斜が迫っていた。
階段を上がると、荒川を跨ぐ首都高の高架やジャンクションが望める。河川敷を含めると相当な広さだが、首都高の高架はダイナミックに越え、自然と都会が融合したような風景が広がる。
堀切駅は荒川と隅田川に挟まれた中州のような場所に位置し、駅の近くには二つの川を繋ぐ水路もある。
堀切駅は上下ホームが完全に別れていて、改札内に入ると、互いのホームを行き来する事ができなくなり、日本の駅としては珍しい構造だ。
下りホームの駅舎は都区内としては珍しく、小さく素朴な木造駅舎が残っている。それにしても、田舎にあるようなちっぽけな木造駅舎が、よくぞ東京23区内に残っていたものだ。正面から見るのもいいが、上り線側から見ると、奥行が狭い事がわかり、半切り妻屋根の小さな駅舎はまるでサイコロのようで可愛らしい。
駅前の茂みの中に小さな池があり、金魚が泳ぐ様にしばし癒しの心地を感じた。
東武鉄道・群馬県内の素晴らしきレトロ駅舎
館林駅
北千住駅から特急りょうもうで一気に北上し、館林駅で下車した。伊勢崎線、佐野線、小泉線が交わる東武の群馬県内の拠点と言える重要な駅だ。駅舎は1937年(昭和12年)の築のモダンな時計塔を備えた洋風駅舎で、縦長の窓のダイヤ状の格子が印象的だ。
取り壊し迫る篠塚駅
館林からは小泉線に入り、まず篠塚駅で下車した。近い内に取り壊されると聞きていて、私が訪問する時にはもう無くなっているかもと思っていたが、まだ健在だった。だが、駅には「駅舎改築中…」の張り紙があり、真横には新しい待合室が完成目前だ。この駅舎は本当にもう長くないのだろう…。
駅舎は木の質感豊かであるだけでなく、窓枠まで木製と、とても純度が高く味わい深い。
この木造駅舎と長年、慣れ親しみ幾年も季節を共に過ごしてきた蔦も、もうすぐ駅舎と共にこの世から消え去ろうとしている。
威風堂々たるローカル線の終着駅、西小泉駅
そして、小泉線の終点、西小泉駅で下車した。ローカル線の終端駅にしておくのが惜しい程、威風堂々とした駅で、ついさっき訪問した館林駅より貫禄を感じさせる風体だ。
路線は貨物線の仙石河岸線として、1939年(昭和14年)に小泉町駅から南に約1㎞の場所に仙石河岸間駅が開業していた。西小泉駅は2年後の1941年(昭和16年)、旧日本軍の戦闘機・隼や疾風などで有名な中島飛行機の小泉製作所の玄関として開業した。当時は、貨物も相当賑わっていたといい、軍の威光もあり大きな駅舎が建ったのだろう。
1976年(昭和51年)10月1日、仙石河岸線の西小泉以南が廃止された事により終着駅になった。
それにしても大柄な駅舎だ。ズームレンズを24mmにし、ぎりぎりまで下がり真正面からなんとか全容を撮影できた。
西小泉駅がある群馬県の大泉町には、ブラジル人労働者が多く住み、駅前にはブラジル人向けの店、広告や表記もチラホラ。駅近くにはブラジル人向けのお店もあり、不思議な異国情緒が漂う。
アイスクリームが欲しくて、駅前のそんな感じの商店に入ってみたのだが、香辛料のせいかもう臭いからして、日本のものではなく、一瞬にしてブラジルに迷い込んだと錯覚させられた。
ブラジル的なムードのある駅前の中、特に目に付いたのが、国際電話関連の広告だった。やはり遠く離れた日本の裏側にある故郷と、そこに住む親しい人々が恋しいのだろう。
竜舞駅
西小泉から館林行きの列車に乗り、東小泉駅で太田市方面行きの列車に乗り換え、竜舞駅で下車した。無人駅だが、ここにも昔ながらの木造駅舎が残っている。待合室に入ると隅々まで昔を思わす造りで、時代を遡ったかのような感覚に陥る。
窓口跡からガラス越しに駅務室内を覗いてみた。JRの無人化された木造駅舎は、駅務室が汚れ雑然とし、、廃れた印象が強いが、東武鉄道の駅では、どことなく人の息吹が伝わってくるような空気が漂い、どこかに駅員さんが隠れているのではないかと思ってしまう。この駅に来るまで、どこかの無人駅で係員の人が改札をしているのを見た。抜き打ち改札か何かで、時々社員の方の出入りがあるのだろうが、無人駅の割には、掃除が行き届いている。
木造駅舎も印象的だったが、強烈だったのが竜舞駅近くで見たシュールで怪しいこけし達。この表情、素敵過ぎ!こういう風景大好きだ(笑)。しかも顔があるのは左端のこいつだけで、あとはのっぺらぼう。駅から伸びる道の突き当たりに唐突に立っているのだが、この先が畑で、道と間違われ突入されるのを防ぐという立派なお役目を果たしている。
これぞ古き駅の味わい、世良田駅
小泉線から伊勢崎線に戻り、世良田駅で下車した。古民家のような味わい深い佇まいの木造駅舎に魅かれ、予定していた列車を見送り駅舎を堪能した。これぞ木造駅舎だと言いたくなるような木の質感を纏っている。駅舎の目の前は住宅分譲地のようだが、まだ数軒しか家が建っていなく、駅舎の反対側は工場だ。駅周囲はそれ程住宅が多く、ひっそりとした雰囲気が漂っていた。
東武鉄道末端区間の無人駅では、駅前の商店などで切符の委託販売をしている事が多いようだが、世良田駅では100m位離れたところの民間駐輪場が切符の販売所だ。少し離れているが、「きっぷ」と大きく書かれているので解りやすい。
夜を迎えた剛志駅
いくつもの木造駅舎を巡ってきたが、この日の結びとなったのは剛志駅だ。日が沈み周囲はすっかり暗くなっていた。秋になると、17時過ぎには空が真っ暗になってしまう。でも、そんな空の下、ひっそりとした空気感の中に佇む古き駅舎もいいものだ。剛志駅は他の東武の木造駅舎より奥行きと高さがややあり、ややずんぐりむっくりとした印象だ。
今回の旅では、三脚を持参しなかったため、ISO400のリバーサルフィルムをISO800に増感し、レンズの絞りは開放付近にし、シャッター速度は手持ちの限界まで下げて何とか撮影できた。
列車は帰宅する学生達で賑わっていた。列車交換の合間を惜しみ、高校生の女の子たちはおしゃべりに夢中だ。闇夜に照らし出された彼女達のありふれた青春の1ページが、何故かまぶしく私の目に映った…。
その後、伊勢崎線の終点・伊勢崎駅まで行き、JR両毛線、長野新幹線と乗換え、翌日のしなの鉄道などの駅巡りに便利な軽井沢駅の近くのホテルに宿泊した。途上で安中榛名駅を初めて見たが、ほぼ満席の車内からは誰も降りなく、ホームで列車を待つ人も居なかった様子…。う~ん、噂に違わぬ秘境駅。
[2006年(平成18年) 10月訪問]
追記: この時の訪れた東武鉄道古駅舎のその後…
この時訪れた駅で、篠塚駅、竜舞駅、世良田駅、剛志駅の木造駅舎は次々と取り壊されていき、残念ながらもう存在しない。東武鉄道では、この他にも、日光線の合戦場駅など、末端ローカル区間の駅舎改築が進み、すっかり木造駅舎の数を減らしたのは残念。
堀切駅の木造駅舎は、まだ存在しているが、屋根瓦がトタンに葺き替えられたり外壁が改修されたりと、写真で見る限り、古き良き趣はやや落ちた感…
館林駅は2009年(平成21年)に橋上駅舎が完成したが、時計塔のある洋風駅舎の方も、駅の一部として機能している。