広大な留置線(跡)にレトロなホームに…
暑い9月の夕刻前、船で松山に渡る前に呉駅を二つ通り越した吉浦駅に立ち寄った。

ホームは駅舎に面した1面と島式1面だが、1番線が両ホームに挟まれた2面2線の配線。しかし島式の駅舎に近い方はフェンスで塞がれ使えなくなっているが。

2番線の向こう、駅の南側には留置線があり、保線車両が留置されている。架線柱を見ると、そのさらに奥の駐車場まで跨いでいる。昔はあの駐車場にも留置線が広がっていたのだろう。更に西側すぐの海上自衛隊施設の港湾まで引込線が伸びていたというので、貨物でもさぞ賑わっていたのだろう。

駅には古い跨線橋が残っていた。2番線は階段が二手に分かれていて、ホームの上屋は、呉寄りが古レール造り、広島寄りが木造と、違う造りなのが面白い。最初、呉寄りに居て、その後、広島寄りに降りると違う駅にいるかのような錯覚を覚えた。

駅舎の方を見てみた。軒を支える木の柱が何本も立ち並び、屋外の改札口跡の上屋も残る。昔の駅らしい堂々したムードを感じさせる。
ターミナル駅のような戦後築の木造駅舎

駅舎の待合室に入ると、その広々として空間に驚かされた。床面積もだけど、天井の高さも2階分はあり、ちょっとしたイベントができるホールのよう。古さは感じるけど、内部の壁の板が張り換えられるなど改装されていた。
こんなに大きく立派な駅舎だけど。2022年4月から無人駅となった。窓口跡は虚しく塞がれていた。

外に出て駅舎を眺めると、その大きさに更に驚いた。派手な造りは無いが、まるで主要駅、ターミナル駅のような威厳感じる。待合室側は吹き抜けと言える高さだったが、駅事務室側は2階建てなのだろうか?
この木造駅舎は、戦後の1946年(昭和21年)築。戦後の復興期、規模は必要だが、物が足りなかったりデザインに凝る余裕もなく、実用本位の質素な駅舎となったのだろう。

ただでさえ大きな駅舎だが、左側が木造建築物が付け足されたような造りになっていて、更に駅舎を大きく見せる。

駅舎右側にはタクシー会社の小屋がポツンと置かれている。正面がスクラッチタイルで装飾され、レトロで小洒落ている。昔のちょっとした規模の駅では、こんなタクシー会社の小さな事務所のようなものをよく見かけたものだ。

駅前からアーケードのある商店街が真っすぐ伸びている。
アーケードから駅を見ると、駅前の蘇鉄がまるで写真のフレームに収まったかのように映った。地元の人から見たら、吉浦駅は南国風の木がある駅という認識なのかも…
駅舎真横の謎の木造構造物??

駅舎左側の木造部分も堂々としている。他の部分は違う建材なのに、こちらは木の質感豊かな木造のまま。土台は丸みのある岩が埋め込まれレトロなムード。階段も同じ感じだ。
見た所、倉庫のように思えるが…

扉の横には呼鈴のブザーらしきものが設置されている。駅員さんが中に入りたい時は「ブーッ!」と鳴らしたのだろう…

倉庫らしきものの階段の上にあがって駅前を眺めてみた。
旧国鉄の駅は、貨物を扱った側線ホームの段差を無くし荷物のやりとりをしやすくするためか、駅周辺のスペースが駅舎など駅の諸施設に向かって、段差無く微妙な上り坂になるように設計されている事が多い。
しかしこの吉浦駅はそのように設計されていなく、駅舎に出入りするためには階段を上り下りしなければいけない。海に近い立地で、広い留置線も設けねばならず、駅舎前のスペースは限られ、このようになったのだろう。

階段からふと頭上を見上げてみた。すると小さな軒に変わったオブジェが吊るされているのを見つけた。金属の輪っかに、木の小さな栓のようなものが5個、半円を描くように取り付けられていた。オブジェ…、という訳ではなく、何らかの設備だったのだろうが。
これは…、もしかしたら電線の電流を絶縁するための碍子(ガイシ)なのだろうか?碍子だとしたら、陶磁器のものはよく見るが、木製は珍しいのでは?だとしたら輪っかが錆びている所も察するに、相当古い部品なのだろう。

駅舎に出入りするための何段もの階段、そして軒を支える何本もの古い柱…、歴史的建築物の威厳を感じさせる佇まいだ。
あの木造倉庫のようなものは…
あの倉庫のようなものをホーム側から見てみようと駅舎を通りぬけた。

駅事務室の扉横に
「管理者の許可なく入室を禁ずる. 駅長」
という注意書きが残されたままだった。今は無人駅だが、自体がレトロでかわいい。

そしてあの木造構造物の前に立った。
正面側は一面の古い木造だが、ホーム側は下部の3分の2程はそれよりは新しい建材の壁となっている。
小さな扉があって、よく見るとその横に古い建物財産標が取り付けられたままだった。見てみると…
「財 第14号… 貨物上家…」
と標されていた。
貨物上屋!!側線など貨物取扱所にある、東屋のようなものだったのだ!
貨物の「貨」の字は、偏(へん)がにんべんの旧字体だった。
年月を見ると
「昭 〇9年 3月 〇日」
となっていた。〇の部分ははっきりと判読できなかったが、「年」の部分は1と書かれているか、何も書かれていないように見えた。つまりは19年か9年か…。だとすると、この貨物上屋は昭和21年築の駅舎より早く建てられていた事になる。
貨物上屋は通常では、駅舎からやや離れ、独立して設置されている事が多いが、吉浦駅のこの上屋は駅舎に密着した造りで、珍しいかもしれない。そういう珍しい造りは、貨物上屋が先に建っていたのが関係してるのかもしれない。
そして壁で完全に覆われ、外部とは分断されている。美作滝尾駅とか、見てきた貨物上屋は、もっと開放的な造りだったよなぁと思い出していた。

貨物上屋の出入口には鉄板が敷かれ、ホームとの段差を無くしている。荷物のやりとりをしやすくするため敷いたのだろうが、もうすっかり錆びつき過ぎ去った年月を感じさせる。それにしても出入口が小さすぎると、作業がし辛そうだ。
このように貨物上屋が壁で塞がれたのは、もしかしたら倉庫など他の用途に転用するためだったのかもしれない。それか荷物の盗難防止とか…

「見応えのある駅だった、来てよかった。」
と思いながら、呉駅に引き返した。2時間後は海の上だ。
[2025年(令和7年)9月](広島県呉市)
- レトロ駅舎カテゴリー:
JR・旧国鉄の二つ星レトロ駅舎</a>