京終駅 (JR西日本・桜井線)~開業の明治時代のイメージに改修された木造駅舎~



奈良の都の果てに残る明治の木造駅舎

 JR桜井線は関西本線の奈良駅からJR和歌山線の高田駅を結ぶ路線だ。沿線に万葉集に詠まれたゆかりの地が点在する事から、2010年からは「万葉まほろば線」という愛称が付けられている。

 奈良駅から一駅、1.9km南に行くと京終駅(きょうばてえき)だ。変わった読み方をする難読駅だが、奈良時代の都・平城京の東側半分「左京」と、続きの小さな出っ張り「外京」から外れた場所に位置し、「京が果てる」という響きがとても合う駅名だ。

 京終駅の開業は1898年(明治31年)。桜井線の起源となる奈良鉄道がに桜井駅‐京終駅で開業した時からの歴史があり、何とその時以来の駅舎が現役で残っている。

JR西日本桜井線・京終駅、改修前の2009年当時の木造駅舎

 無人駅になり、窓が塞がれるなど改修され、やや寂れた感はあるが、それでも築110年の木造駅舎が存在するのは素晴らしい。日本国内でも最古クラスの現役駅舎と言えるだろう。


 そんな駅舎が改修され、活用が図られる事になった。駅舎は奈良市に無償譲渡され徹底した改修工事が施され、2018年(平成30年に)待合室部分が、2019年1月に全工事が完了。駅舎は明治の開業時の姿をイメージしたものになった。そして2月には観光案内所も兼ねたカフェがオープンした。駅舎の運営は京終地区の活性化を目指し地元有志で設立されたNPO法人「NPO KYOBATE」が担っていく。

改修された明治の木造駅舎

 改修から1年ちょっと過ぎた2020年3月、ついに京終駅を訪れる事ができた。

JR西日本桜井線・京終駅、改修されカフェが入居した明治の木造駅舎

 木の壁は真新しくピカピカだ。「閉塞器室」「調整室」と呼ばれる駅舎ホーム側の出っ張りも健在で、改修前から気になっていた右下足元あたりの謎の小窓まで健在。

 窓の向こうは旧駅事務室で、内部はカフェ「ハテノミドリ」として活用されている。室内の温かな照明が趣を感じさせる。

桜井線・京終駅、明治の開業時をイメージし改修された木造駅舎

 改修された駅舎を正面から見渡すと、輝くような木の駅舎に驚かされた。以前は正方形に近い窓だったが、縦長の窓になっていた。改修前の駅舎の構造を活かしていると言うので、完全なる新築ではないが、まるで新築か復元駅舎のようだ。しかし形状は以前と変わっていなく、改修前の懐かしさを不思議と感じさせる。

奈良市、桜井線京終駅、開業の明治以来の木造駅舎

 真新しい駅舎は、開業時の華やかさを取り戻したかのよう。駅舎の前にはレトロな丸ポストが新たに置かれていた。

桜井線・京終駅の木造駅舎、車寄せに取り付けられた玉

 改修で私が密かに気にしていたのが、車寄せの破風内側部分に取り付けられていた丸い玉の装飾だ。再現されているといいなと思っていたが、見事に残っていた。しかし、この木の玉だけ、他の部分に比べて質感が明らかに古くひび割れまで入っている。この部分だけ、改修前の物を取り付けたのだろう。

JR西日本桜井線・京終駅、駅ピアノが置かれた待合室

 待合室ももちろんきれいに改修されていた。縦長の窓がホーム側、正面側の両側にあり、明るく開放的な雰囲気だ。

 広めの待合室の真ん中には、ピアノが置かれていた。休日にはNHK-BSの駅ビアノや空港ピアノを見るが、こんな所に駅ピアノがあろうとは…。私にはせいぜい鍵盤に触れるのが精一杯だが、上手い人が演奏すると、明治の駅舎に響き渡るピアノの音が、また一味違う趣を与えるものだろう。

お洒落な駅舎カフェ「ハテノミドリ」

桜井線・京終駅窓口跡、旧駅事務室はカフェ「ハテノミドリ」に…

 無人駅となって久しいが、出札口は有人駅を思わす造りを残していた。そして引戸の奥の駅事務室跡はカフェとなっている。さあ、カフェでちょと遅めのティータイムとしよう…

奈良県奈良市、桜井線の京終駅の駅舎に入ったカフェ「ハテノミドリ」

 内部は観光案内所も兼ねたカフェ「ハテノミドリ」となっている。木を基調とした自然を感じさせる落ち着いた空間で、インスタ映えしそうな今どきの女子にも好まれそうな柔らかな雰囲気だ。店内ではハーブ製品や紅茶、雑貨などの販売もしていた。

桜井線・京終駅カフェ「ハテノミドリ」店内から駅を眺める

 空いていたので、閉塞器室跡の4人掛けのテーブルに座らせてもらった。駅と列車が見渡せ、鉄道ファンにはたまらない特等席だ。

 メニューはどれも美味しそうで悩んだ…

奈良市、京終駅舎内のカフェ「ハテノミドリ」パフェとほうじ茶

 少し待つと注文したものが運ばれてきた。オーダーしたものはほうじ茶とパフェ。普段、コーヒーばかり飲んでいるので、こういう旅の非日常の空間では、他の物を頼みたくなる。

 行き交う列車、そして人々…、駅のあたりまえの風景を眺めつつ、ゆったりとした店内でのんびりと過ごした。

きれいになった駅に残る昔の面影

 ハテノミドリを後にし、再び待合室にやってきた。

 奥の方には京終駅の歴史を紹介したパネルが多く展示されていた。かつての京終駅の風景、構内配線、奈良鉄道時代の蒸気機関車、昭和5年当時の京終駅時刻表、そして貨物用の索道(ロープウェイ)、奈良安全索道の写真もあった。奈良安全索道は1919年(大正8年)から1951年(昭和26年)まで運行され、京終駅から三重県との県境に近い小倉という地区まで16.9㎞もの路線を伸ばしていた。

JR西日本桜井線・京終駅、奈良鉄道時代の駅舎写真

 でもやはり一番気になったのが奈良鉄道時代の京終駅の駅舎写真だ。大まかな形状は今と同じで、この駅舎が古くから使い継がれているのを実感した。

 ただ違いはいくつかある。何といっても屋根から小屋のように突き出た小さな構造物「ドーマー」が目を引く。

 そして車寄せの形状が違う。現在は三角屋根だが、昔は外側に向かって傾斜し下がっていく形状だったのだ。だとしたら、あの木の玉も開業時からのものではなく形状が変更された時以来のものなのだろう。

 窓は縦長だった。一旦は変えられたが、今回の改修では、元の縦長に戻されたのだ。

 ドーマーや縦長の窓を見るに、昔はより洋風の外観だったのだ。ドーマーは再現されなかったが、再現していれば、意外性はより増し面白かったと思う。

JR西日本桜井線・京終駅、地下通路と木造上屋

 駅本屋こそきれいになったが、駅構内その他の部分はそのままだ。反対ホームへの地下通路の階段を覆う屋根は、古い木のままだ。復元された輝くような駅舎にあって、くくすんだ光景が、また年月を感じさせる。

JR桜井線・京終駅、レンガのホーム跡がある広い側線跡

 そして2番ホーム背後には3線分の側線跡が残されたままだった。片隅にはコンクリート枕木が何束か積み上げられている。レールは錆びながらも敷かれたままだが、枕木は傷み壊れているものばかりで、もう長い間、車両は入ってきていないのだろう。

JR西日本桜井線・京終駅、側線跡のレンガ積みホーム跡

 そしてレンガの古いホーム跡も残っていた。

 貨物ロープウェイの奈良安全索道は小さな町を結び、木材や木炭、野菜、名産の凍み豆腐(高野豆腐)を運搬していたという。京終駅は半世紀以上も昔は、県内の物流の重要な拠点だったのだろう。そして、ロープウェイが運んできた様々な荷物が、この駅で列車に積み替えられ、各地へ旅立っていった事だろう。

[2020年(令和2年) 3月訪問](奈良県奈良市)

レトロ駅舎カテゴリー: 三つ星 JR・旧国鉄の三つ星レトロ駅舎

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