万葉の地を駆け抜ける路線の明治の駅舎
奈良県内を走るJR西日本・桜井線は沿線に万葉集に詠まれた名所旧跡が多く、2010年3月13日からは「万葉まほろば線」という愛称が付けられる。そういえば今年2010年は平城遷都1300年にあたる節目の年だ。
桜井線の駅の一つに櫟本(いちのもと)という駅がある。JRのはるか前身、奈良鉄道時代の1898年(明治31年)築の駅開業時以来の木造駅舎が未だに現役だ。あのJR九州・肥薩線・嘉例川駅駅舎の1903年(明治36年)築よりも5年も早く建てられた駅舎で、私鉄最古1907年(明治40年)築の浜寺公園駅駅舎(南海電鉄本線)よりも古い。1886年(明治19年)築と言われている亀崎駅(JR東海・武豊線)には及ばないながらも、現役駅舎の中では相当古いものと言えるだろう。
石垣の上に100年以上の年月を経た木造駅舎がどっしりと構えている姿は、重厚さ溢れ印象深い。平城宮の長い長い歴史にはかなわないかもしれないが、こちらも歴史を感じさせる威風堂々たる風景だ。
その石垣の中には枯池が残っていた。駅舎が載ってる石垣上の僅かな余地に作ったためか、四角い形状で狭いスペースを有効に使っているといった感じだ。木々が植えられているが、池と言うより防火水槽的な雰囲気だ。池はほとんど枯れているが、水道は生きているようで、新しそうな青いホースが繋がっていた。掃除などで使われているのだろう。
駅舎内部の窓口や待合室などは新しい駅のように改装され、外観のような古さは感じない。櫟本駅は2002年より無人駅となっていて、窓口のシャッターは固く閉ざされたままだ。だけど券売機があり、ホームにはICOCAのカードリーダーも設置されている。
外に出て駅舎を見ると、窓枠がサッシ窓に交換されるなどなど、改修箇所は多い。しかし、屋根は瓦で、何よりも車寄せ部分や外壁などは使い古された木のままだ。木の質感豊かな木造駅舎らしい趣に溢れ、まさに明治という長い歴史を感じさせる。
プラットホームには古い木造跨線橋が残っていた。しかも、支えている鉄柱は古レールが中心だ。古レールは中古の使いまわしで、細い様は華奢にさえ見え。大丈夫なのかと思える。しかし、何十年とこの跨線橋を支えているのだろう。見かけによらず、かくも丈夫なものなのだと驚かされる。
駅舎の横は雑草で埋め尽くされた空地となっていた。よく見ると片隅に錆びた鉄棒と鉄製のゴミ箱が放置されたままだった。かつては子供達の笑い声が響いた公園がこんな寂しい姿になってしまったのかと侘しい気持ちになった。しかしすぐ隣に新しい公園が出来ているのに気づいた。
でも、駅舎横のこの空地は、何十年も昔、駅がもっと華やかだった頃は、駅員宿舎や詰所などがあったのかもしれないとふと思った。
かさ上げされたプラットホームの下層に、古めかしいレンガ積みの構造が残されていた。昔はこんなに低かったのだ。年月を経て古い姿のまま生き残り、実情に合わせあちこち改修されているが、それでも隅々から歴史の香りを感じさせる駅がなんとも素晴らしい。
訪問時は帰宅する学生で駅はとても賑わっていた。
それにしてもローカル線の小駅と思っていたが、2線あるホームは支線系の路線にしては長く、真ん中に中線があった事を思わせる空間が残っている。桜井線は沿線の天理市に天理教の本拠地がある事で知られいる。礼祭の時は、鉄道ファンの間で「天理臨」と呼ばれる臨時の専用団体列車が運行され、日本各地から天理市に信者が訪れていたという。きっと各地からやって来る団体列車や、いつも通り地元の人々を運ぶ普通列車が入り乱れ、櫟本駅の中線もフル活用されるなど、単線の桜井線は大賑わいだったのだろう。
[2009年12月訪問](奈良県天理市)
~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の二つ星駅舎~