畝傍駅(JR西日本・桜井線)~貴賓室がそのまま残る威容溢れる木造駅舎~



建て替えか…?今後に揺れる歴史ある駅舎

 JR桜井線(愛称: 万葉まほろば線)には、貴賓室を備えた木造駅舎が残っている事で知られている。

 畝傍駅の開業は1893年(明治26年)。桜井線の起源となる大阪鉄道・高田‐桜井間の開業時に開業した。初代天皇の神武天皇陵や、神武天皇と皇后を祀る橿原神宮に近く、参拝客で駅は賑わったという。皇族の利用も想定され、駅は開業時から貴賓室を備えていたという。

 神武天皇即位から2600年にあたる昭和15年(1940年)、皇紀2600年祭が大々的に執り行われた。記念事業の一環として、畝傍駅は現在も残る木造駅舎に改築された。

 そんな貴重な木造駅舎が取り壊しの危機に瀕している。JR西日本は畝傍駅舎の橿原市への無償譲渡を提案し、橿原市は活用する民間業者を募る方向だったが、維持費の高さから断念。耐震化工事など初期費用だけで2億円と莫大が額が試算され、財政状況が厳しい中、橿原市がそこまで負担するのは困難だろう。

 しかし駅舎の保存を望む人々が「JR畝傍駅舎の保全活用を進める会」を立ち上げた。会の設立は最後の希望。しかし無償譲渡の期限は2023年3月。それまでに保全活用の道筋が立てられなければ取り壊され、悲しい位の小さな駅舎に変わり果ててしまうだろう…

シンプルだが宮廷を思わす風格ある木造駅舎

 名古屋から近鉄特急に乗り大和八木駅で下車した。JR西日本・畝傍駅から歩いて10分もしない大和八木駅は、橿原線、大阪線の4方向からのレールが交わり、京都、奈良、大阪にも繋がる。特急列車もほとんどが停車する主要駅で、もっと近くには、橿原線の八木西口駅がある。近鉄は畝傍駅よりはるかに利便性は高く、畝傍駅はいつも閑散としているものだ…

 大和八木駅から南に歩くと、JR畝傍駅に突き当たった。

 何回か訪れているが、相変わらず壮大な木造駅舎だ。左側の屋外改札口跡を覆う上屋はまるで大きな翼を広げているかのよう。そんじょそこらの駅をはるかにしのぐ威光。駅舎右側の約3分の1程が、あの貴賓室となっている。

桜井線・大柄で威容感じる木造駅舎のある畝傍駅、右側に貴賓室。

 貴賓室という稀有な個性こそがあるが、駅舎の造りは特に手は込んでいなく素朴な雰囲気で、よくある木造駅舎がそのまま大きくなったような感じだ。

桜井線・畝傍駅舎、左側降車用改札口跡の広大な木造上屋

 駅舎左手に広がる屋外の降車用改札口跡に来てみた。一つ一つ古びた木で組まれた空間は郷愁溢れ深い渋味感じさせる。かつては出雲大社の参拝駅として賑わった旧大社駅のように、いくつも改札ラッチが連なっていたのだろう。橿原神宮、神武天皇陵への参拝客でで賑わった過去を思い起こさせる。

桜井線・畝傍駅舎、軒を支える木の柱と打ち込まれた釘

 広大な上屋を支えるのは一本一本の木の柱。長い年月で風化し木目浮かぶ。その昔、職人さんが打ち込んだのだろう…、根元に打ち込まれた釘はすっかり錆び付いていた。

畝傍駅、大柄な木造駅舎の軒は宮廷の回廊を思わす

 普通の木造駅舎よりも大きな駅舎は人を小さく見せ、不思議な感覚にさせられる。

 大柄な駅舎に回廊のように巡らされた軒の下を歩いていると、まるで宮廷にいるかのような心地になる。昭和天皇や皇太子時代の上皇と上皇后も利用された駅という歴史がそう思わせるのか…?でも、ヨーロッパの宮殿や邸宅のきらびやかさを思えば、寺社など和風の歴史的建造物は木造でシンプルではあるが、荘厳さを感じるもの。畝傍駅舎もそんな風に思う。

 古い畝傍駅舎の写真を見ると、かつては降車用改札口の上屋が南に90度曲がり、更にもう一つの建物と繋がっていた。それが何の建物かは知らないが、益々、宮廷のような風情に満ち溢れていた。

閉ざされた貴賓室

 駅舎右手の貴賓室の方に行ってみた。駅舎前全体はコインパーキングとなっていて、貴賓室前にも車が止められていた。少し撮影しずらいが、幸い隣二区画は開いていた。シャッフル状態で、全部埋まっていたら不運だったが…

桜井線畝傍駅、駅舎右側の貴賓室の木の扉

 貴賓室の辺りは屋根は入母屋風の造りになっている。出入口は木の扉で固く閉ざされている。貴賓室として最後に利用されたのが1959年(昭和34年)、皇太子殿下と美智子様が、ご成婚を橿原神宮に報告参拝に来られた時。

 重厚で味わいある扉だが私には恨めしい…。貴賓室の中を是非とも見てみたいものだが、非公開。しかし1年に1回程度、不定期に公開されている。時折、畝傍駅の事を思い出しては公開日は無いかと調べるのだが、なかなかない。気が付いても1ヶ月を切っていてて、休みの調整がつかなく泣く泣く行けなかった事が何度あった事か…

JR畝傍駅の木造駅舎、貴賓室前の造り

 そう言えば貴賓室に出入りする階段が無いなと思った。気持ち高い段差はあるものの、脚が悪くなければ簡単に昇り降りできる。しかし、天皇陛下に対し、この程度の段差を上れというのも失礼だろう。

 よく見ると両端からブロックの縁のようなのもが、緩く弧を描きながら扉の前に続いていた。そして扉の前だけコンクリートの色が微妙に違う。多分、かつては階段があったが、貴賓室として使われなくなってだいぶ過ぎ、埋められたのかもしれない…

桜井線・畝傍駅貴賓室、出入口脇の照明の台座跡

 木の扉の両脇には、照明を抜き取った痕跡が残っていた。簡素だがどんな品格ある照明が取り付けられていたのかと思うと、わくわくする。

 切望し続けたが、この扉、6日後には遂に私にも開かれる事になる。

昔日の賑わい感じさせる駅…

 駅舎内部の待合室の中に入ってみた。

桜井線・畝傍駅舎の待合室、広いが無人駅で窓口は塞がれた

 天井は高く面積もかなり広い。しかしちょうど38年目位の1984年(昭和54年)10月20日より無人駅となった。列車が発着するひと時は賑わうが、過ぎ去ってしまえばひっそり寂し気な空気に戻る。

 窓口は塞がれ、改札・出札口と手小荷物用の窓口がひっそりと残る。だだっ広い割に、ベンチは壁際に数脚あるだけだった。

桜井線・畝傍駅の木造駅舎、窓口跡の大きな掲示板

 窓口跡の上には、大きな掲示板が残されたままだ。4~5m位あるだろうか?駅舎の大きさに合わせ、かなり長い。

桜井線・畝傍駅の木造駅舎、待合室片隅の窓口のような一角

 待合室内、窓口跡の反対側の一角には、箱のような小さな部屋が残されていた。小さな木のカウンターを備え、下部にはドアノブが付いた扉もあった。ここからこの小部屋に出入りしたのだろう。

 ここは何だったのだろうか…。売店?参拝客のための案内所?それとも遠方からの参拝客もいた事だろうから、旅館の案内所でもあったのだろうか?

桜井線・畝傍駅プラットホーム、柵や上屋を支える柱は木製でレトロ

 プラットホームは長く幅の広い相対式ホームが2面の配線。今では一時間に1本か数本、基本2両編成の列車がやってくるだけ。駅舎に面した1番線が桜井・奈良方面、離れた2番線が高田・王子方面のホームだ。

JR畝傍駅1番線、ホーム端の古い木の柵

 1番ホーム端の方だけ、古い木の柵が残っていた。木の柵にはちょっとした装飾が施され、レトロな趣き。

畝傍駅の木造駅舎、ホームと貴賓室を結ぶ階段の木の手摺り

 駅舎ホーム側も長く広い木の軒で覆われ、まるで宮廷か寺社の回廊のよう。

 長いホームと回廊を備えた駅舎は3つの階段で繋がれていた。そんな風景を見ると、なんて壮大な駅舎だとしみじみと思った。

 西側の階段は貴賓室に、真ん中の階段は改札口跡に続いている。二つとも手摺りは木製で古び、こんな所にも駅の歴史が宿る。もう一つは、あの降車用改札口跡に続いていたが、手摺りは既に撤去され、ホームとは金網で仕切られていた。コンクリートの階段だけが残り、かつての名残を感じさせた。

桜井線・畝傍駅の木造駅舎、貴賓室目線から見た階段

 貴賓室ホーム側の塞がれた扉の前に立った。畝傍駅が華やかだった頃、天皇陛下、皇太子殿下がどんな風景をご覧になられたか追想したかったからだ。いや、何と恐れ多い!私なんかは良くてもお付きの人だと思い直し、味わいある階段をしばし見つめた後、ホームに上った。

[2022年(令和4年10月訪問)](奈良県橿原市)

畝傍駅FAQまとめ

  • 畝傍駅の貴賓室は公開されている?

    通常は非公開だが、不定期に1年に1回・数日程度、公開される。公開日は大きなニュースにならないので、常にネット等で情報のチェックを。最近では畝傍駅を主会場にした音楽イベント「畝傍駅音楽マルシェ」が時々開催され、その時に貴賓室も公開されているようだ。

  • 畝傍駅舎は取り壊されるの?

    きわめて危険な状況。橿原市へ無償譲渡・活用の話があったが、改修など初期費用に莫大な額が見込まれる事から暗礁に乗り上げた形。保全活用を模索し市民らが「JR畝傍駅舎の保全活用を進める会」を立ち上げたが、JR西日本への回答期限の2023年3月は迫る…。近年の概要は記事へ。

  • 畝傍駅の現駅舎はいつ建てられた?

    昭和15年(1940年)、皇紀2600年祭事業の一環として改築された三代目駅舎。

  • 貴賓室が最後に使われたのはいつ?

    1959年(昭和34年)、今の上皇ご夫妻で当時の皇太子殿下と皇太子妃の美智子様が、橿原神宮にご成婚の報告にいらした時。

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