鉾田駅 (鹿島鉄道)~看板建築な木造駅舎の後味悪い思い出…~



奇抜な看板建築!?

 単行のキハ600形気動車に揺られ、終点の鉾田駅に着いた。いつもなら学生の下校で賑わい始める時間帯だろうが、大晦日という事もあるせいか、乗降は少なく、駅は閑散としている。

鹿島鉄道の終着駅・鉾田駅

 ホームは列車の左右両方にあり、まるで大手私鉄によくある乗降分離型のような感じだ。一線二面のホームだが、片方のホームと駅舎の間には、一線分のスペースがあり、かつては二面二線以上の構造は有していたのだろう。レールはホームを過ぎると、構内通路を貫き、少し先の所で尽きている。計画では、更に先の鹿島神宮までレールが伸びる予定だったという。

鹿島鉄道・鉾田駅、ファサードに独特の装飾を施した木造駅舎
鹿島鉄道・鉾田駅、ファサードの三角形状の飾りは看板建築のよう

 駅舎は開通の1929年(昭和4年)年5月16日以来の木造駅舎だ。

 出入り口の上に、大きな三角状の不思議なオブジェを盾のように掲げているのが奇抜で目を引く。洋風駅舎と言えるのだろうか…?まるで教会を思わせるようなファサードとなり、看板建築的な面白さがある。だが、この部分を除けば、アクは強くない木造駅舎と言えるだろう。正直、オブジェの印象が突出してい、最初は、駅舎全体の中で浮いて見えた。別にこのオブジェは無くていいよなと思えるが、これが無ければ鉾田駅の味というものが無くなってしまい、逆につまらないかもしれない。

鹿島鉄道・鉾田駅、洋館のような洒落た駅舎出入り口

 三角状オブジェ以外は普通の木造駅舎に見えるが、出入り口は洋館風の洒落た造りで、レトロな雰囲気が漂う。

たいやきは鉾田駅の名物と言うが…

鹿島鉄道・鉾田駅の木造駅舎、切符売場と改札口

 駅舎内部の窓口も昔の造りを留めている。

 鉾田駅には鹿島鉄道直駅のそば屋がある事で知られている。特に、たいやきはおいしいと評判で、私も楽しみにしていた。駅を一通り見た後、たい焼きのノボリに誘われ、そば屋の前に行き「たいやき下さい。」と、店員のおばさんに声を掛けた。だが、
 「焼かなきゃいけないのよねぇ~~」
と、あっけらかんとした返事に呆気に取られた。焼くのがめんどくさい…、そう言いたげだった。いつもより暇で、作り置きをしてなく、或いは焼き機に火さえ入れていないのだろう。しかも、一人旅の旅人で多くても数個の注文しか見込めなく、わざわざ作るのが面倒だったのだろう。そういう雰囲気を感じ取り、カチンときた。サービス業に従事する人間が、開店中に客を拒絶する言動をあからさまにし、仕事を放棄してもいいものだろうか。じゃあなぜそこに居るのか。

 だが、その場で怒りをぶつけ、無理やりたいやきを作らせるのも性に合わないので
「いいです」
と一言返答した。その後、どこか居心地が悪くなり、釈然としない思いのまま、次の目的地・鹿島臨海鉄道の新鉾田駅に向かって歩き出した。

 少し時間を置くと、店員さんは悪気は無く、焼くのに時間が掛かると言いたかっただけなのではと、鉾田の市街地を歩きながら思った。だが、そうだとしても、もっとマシな言い方があるはずだ。

 「食べ物の恨みは恐ろしい」とよく言うが、そんな出来事のため、駅舎は素晴らしくても、鉾田駅には後味の悪い思いが残されてしまったものだ。

[2003年(平成15年) 12月訪問](茨城県鉾田市)

追記: 鹿島鉄道廃線後の鉾田駅

 鹿島鉄道は2007年(平成19年) 4月1日で廃線となった。

 廃線後、有志により「鉾田駅保存会」が結成された。鉾田駅駅舎保存の構想はあったものの、残念ながら取り壊しとなった。また鹿島鉄道の車両を買い取り動態保存を行っていて、駅跡地の鉄道公園化も構想していたが、同地では実現しなかった。

 現在では、鉾田市にキハ600形のキハ601、KR-500形のKR-505の2両を寄贈し、温泉施設「ほっとパーク鉾田」内で静態保存し、時々、車両公開イベントも開催される。

※関連ウェブサイト: 鉾田駅保存会


レトロ駅舎カテゴリー: 私鉄の失われし駅舎