JR中央本線・大桑駅~開業15周年記念碑と桜の老木ある枯池~



15年後の喜びを今に伝える…

 一泊二日の旅、最後の訪問駅となったのが木造駅舎が残る大桑駅だ。

中央本線・大桑駅、駅舎前の桜の木、そして枯池…

 駅前に出ると、左手に大きな桜の木があるのが目に入った。そして…

JR中央本線(西線)、碑と桜の木が寄り添う大桑駅の枯池。

 その足元には、枯れた池が残されていた。

 ごつごつとした岩で囲われているが、割とシンプルな形状。しかし、木々が少し植えられ、何より大きな桜の木で覆われているのが印象深い。春の風景を見て見たいものだ。

 そして背後の真ん中に、何やら記念碑が鎮座している。この記念碑を中心に造成された池なのがうかがえる。

JR中央本線(西線)、大桑駅の枯池の駅開業15周年記念碑

 碑に何が書かれているか読んでみた。


皆ができぬという駅が
村を一つにと祈る執念と
地元のニ旬余りの汗と結晶によっと誕生
思えば運動のあれこれも運命の一駒
関係者のご御理解もその機運も
そして草深い住民にとっても明けの鐘であった
開駅十五年に際し古人の句を想う
「今日の存命 不思議にて候へ
一九六五年 秋
村長 小野 壮蔵


 1966年、駅開業15年を記念した碑で、地元の人々の開駅に至る尽力と思いが標されていた。大桑駅の開業は1951年(昭和26年)9月1日。確かに15年後になる。

 中央本線のこの区間の開通は1909年(明治42年)12月1日。42年後も前。それまでの間、村の真ん中に位置しながら、両端の須原と野尻に先に駅ができたのだ。須原と野尻には中山道の宿場町があったので、今の大桑駅周辺より栄えていたのかもしれないが、自分の村に目もくれず走り抜ていく列車を羨望と無念の思いで見るだけだったのだろう。そして、やっとの思いで出来た自分達の駅。並々ならぬ喜びがあったに違いなく、15年後でもその喜びはまだ昨日の事のように生々しく脳裏に残っていたのだろう。

 住民の陳情で開設が決まった駅は、住民も協力したという記録が散見される。この大桑駅も、周辺の住民が大挙して工事など作業を手伝ったのかもしれない。

 駅開業から71年、この記念碑建立から56年。碑文からは住民たちの思いが今でも伝わってくる。

JR大桑駅の枯池、桜の老木

 枯池横の桜の木も、池造成の時に植えられたのだろう。だとしたら樹齢56年。当時はか細かった枝もだいぶ大きくなったもの。

 しかしよく見たら、根元の太い幹は崩れかけていて、内部まで露出している。ソメイヨシノは人為的な交雑種で、寿命が短く病気にも弱いという。もう寿命が来てしまったのだろうか?

 だけど位置が池にやけに近い…。というかもろに池に面し、常に浸水している状態と言える。海に生えるマングローブならともかく、こういう状態は桜にとっていいのだろうか…?もうちょっと離して植えてくれればと思うが、植えた人もこんな風に成長するとは予想していなかったのかもしれない。

 池の水が抜かれたのは、もしかしたら桜の木を守るため…、だったのかもしれない。

[2023年(令和5年)2月訪問](長野県木曽郡大桑村)

大桑駅訪問ノート

JR東海・中央本線(西線)・大桑駅、戦後築の木造駅舎

 駅開業の1951年以来の木造駅舎。戦後型の木造駅舎と言える造りで、縦板張りで年月が経っても、木の質感があまり出ないのは使用している木材が違うのか…?、車寄せも戦前の駅舎とは造りが違う感じ。

JR中央本線(西線)、大桑駅出札口「切符うりば」文字

 窓口に残る「切符うりば」の文字が味わい深い。開業時に書かれたものだろうか?

 着いたのは夕方だったが、駅事務室内に控えめに灯りが点っていて、まだ営業してるのか終了直後かと思ったが誰も居ないよう…。窓口を見ると、営業時間は6時30分から12時30分まで。現在では大桑村による簡易委託駅となっている。

レトロ駅舎カテゴリー:
一つ星 JR・旧国鉄の一つ星レトロ駅