富山地鉄らしさ溢れる木造駅舎
古い木造駅舎が残る釜ヶ淵駅。駅の開業は立山線・五百石駅 – 立山駅の開業と同じ1921年(大正10)年3月19日だが、その当時からの駅舎だろうか…?
釜ヶ淵駅には2005年に訪問していて、富山地鉄独特の形状と古色蒼然とした雰囲気が印象的だった。しかしそれは古びている、老朽化しているという意味と背中合わせで取り壊されるのではという不安もあった。
しかし、2007年に駅舎はきれいに改修された。古いながら大切に使い継いで行こうという意思が感じられて何よりだ
リニューアル後数年でまだつやつやとし、まるで新築の木造駅舎のようだ。しかしファサードに掲げられた小さなマンサード屋根と、そこに標された駅名、そして庇を支える独特の形状の柱など、以前からの〝釜ヶ淵駅らしさ〟は損なわれていない。柱は2本1組の木製の柱が、レトロで洋風な台座で固められどっしりとした感じがする。庇の左部分は部屋のようになっていて、まるで駅舎から部屋がせり出てきたかのようだ。後年に増築されたのだろう。
より個性を際立たせるマンサード屋根的な部分。寺田駅、西魚津駅、浜加積駅にも同じような屋根が取り付けられ、各駅の特徴的で印象的な部分になっている。漆喰で釜ヶ淵驛と形作られているのがより印象的だ。
無人駅となりながらも、待合室内部もきれいに改装された。白い塗装が明るい雰囲気だ。無人化され放置された駅では待合室が荒んでしまい、ここで列車を待つのはちょっとと思う事も少なからずあるが、これなら安心して列車を待つことができるだろう。
無人駅となり窓口は塞がれたが、窓口のカウンターなど僅かに有人駅時代の痕跡を留める。カウンターには、金銭や切符の受け渡しをしたトレーがあったと思われる部分に四角い切り込みが入っていた。
地元の方が生けたのだろうか?活き活きとした花が無人化された駅に、ちょっとした華やぎと潤いを与える。
かつての駅務室を覗いてみると、改装された室内に計量器が置かれていた。同駅で貨物を取り扱っていた頃は盛んに使われたのだろう。
駅舎側面に回るとビリビリに破れた障子が放置されたままの窓だけが荒んだ雰囲気だった。きっと宿直室の跡だったのだろう。とうに無人駅となっていて、使う予定が無い部分までは手をまわさなかったようだ。
プラットホームを見てみると、駅の外とホームと外を仕切る鉄の柵の一部に、開閉できる扉のような部分があった。今では色とりどりの花が塞ぐように並べられ、使われていないのは一目瞭然だが。かつてはこの扉から貨物が出し入れされたのだろうか・・・?
駅には駅舎より背の高い三本の木が寄り添う。立山線の五百石駅は駅横の木が台風で倒れ駅舎を半壊させたというが、釜ヶ淵駅は大丈夫かと心配になってくる。
改札口から階段を経てホームへと至る通路は、厳しい冬の寒さから少しでも乗客を守ろうと、ホームまでしっかりと壁で覆われている。これも富山地鉄らしい駅に造りだ。
ちょうど立山発宇奈月温泉行きのアルペン特急が通過していった。アルペン特急は立山黒部アルペンルートと宇奈月温泉・黒部峡谷という富山県の二大名所を結ぶが、地鉄最大の駅の富山駅を経由せず、寺田駅でスイッチバックしている事で知られている。この前日、寺田駅でその様子を眺めたが、元京阪の特急車だった10030形だった。この日はというと富山地鉄自社発注の14760系だ。どうせなら、より特急らしい西武でレッドアローの愛称で活躍した16010形を使えばと思うのだが、あまり気にしていないらしい。
古びた木造上屋と造りつけのベンチが残るホームでコーヒーを飲みながら列車を待った。ベンチの板張りが横長にでなく、縦に短い板で張られているのがピアノのようで面白い。
ベンチに腰掛けると、農村と広がる空、そして歴史を感じる廃ホームに地元の人々が心をこめて育てた花々が咲く、心地よい風景が広がっていた。列車が来るまで、しばしくつろぎののひとときだ。
[2010年(平成22年) 9月訪問]
~◆レトロ駅舎カテゴリー: 私鉄の三つ星駅舎~
釜ヶ淵駅基本情報+
- 鉄道会社・路線:
- 富山地方鉄道・立山線
- 駅所在地:
- 富山県新川郡立山町道源寺
- 駅開業日:
- 1921年(大正10年) 3月19日 ※立山鉄道時代
- 駅舎竣工年:
- ※駅開業以来の駅舎… と思われる。
- 駅営業形態:
- 無人駅
- その他:
- 富山地鉄本線の西魚津駅、浜加積駅とは、ほぼ同デザインの駅舎。