天皇陛下が立ち寄られた昭和初期築の小さな無人駅
折りたたみ自転車に乗り、長崎本線の肥前浜駅にやってきた。2010年以来、約14年振り2度目の訪問だ。
肥前浜駅には1930年(昭和5年)11月30日の開業以来の木造駅舎が改修されながら使われて来た。洋風の趣きで、個性的ながらもレトロさ感じさせるいい駅舎だったもの。
しかし2018年(平成30年)、鹿島酒造ツーリズムの開催にあわせ、開業の昭和5年当時の姿をイメージし復元された。久しぶりに目にする木造駅舎は、淡いピンク色の塗装のせいか、前回の記憶のままの風情を残しながらも、より瀟洒なレトロな趣きを感じるものになっていた。
変わったのは駅舎だけではない。近年のもう一つの変化と言えば、2022年(令和4年)9月23日の西九州新幹線の開業だ。経営分離されずJR線としての運行は継続されているが、肥前鹿島‐長崎間の特急列車の運行は廃止となった。ローカル列車だけが残ると、電化設備のコストが高い事から、肥前浜以西は非電化となった。肥前浜‐諫早間は、数時間も列車間隔が空く場合もある。特急かもめで賑わった特急街道も随分と寂しくなったものだ。
改修前の駅舎は、車寄せを含めた正面の3連の三角屋根のファサードが、なんとも個性的で目を引いたもの。1985年頃にこのような姿に改修されたとの事。あともう少し左側に長い建物だったが、減築され小さくなったようだ。
訪問した2010年当時は、かつて入居し数年前に撤退したヤマト運輸の痕跡がまだ色濃く残っていて、駅事務室跡には観光案内所が入居していたものだ。
駅舎が改修・復元されると、3連のファサードの左側の部分は無くなったが、その真ん中には窓口が出現していた。とんでもないものを隠し持っていたものだ。昭和20年とか昔の肥前浜駅の写真を見ると、確かにその場所には窓口があった。
通常、切符売場は駅舎の中に設けられる場合がほとんどだ。駅舎正面の外に向かって窓口がある造りは珍しいが、無い訳ではない。ただ肥前浜駅のように、正面にしっかり一室、窓口を設けような造りはかなり珍しいのでは?
でも突然変異的に個性的な造りはできてしまうもの。待合室の混雑緩和のため、出札口は外に設けたのか…?それとも列車の切符を売る目的以外の窓口だったのだろうか?
車寄せの両側の柱には、小さな日章旗が掲げられていた。
10月初旬、国民スポーツ大会(国体の新名称)に出席されるため、天皇、皇后両両陛下が佐賀県を訪問されたが、訪問地としてこの小さな無人駅が選ばれた。その名残なのだろう。私より11日前の10月6日の事なので、ついこの前。旗はまだ純白の白さで、日の丸は鮮やかだ。
ご夫妻は地元の小学生が紹介する浜地区の歴史に耳を傾けられ、駅舎リニューアルの際、隣にオープンした日本酒バー「HAMA BAR」に立ち寄られ、鹿島市の酒造についての説明を受けられるなど、地元の人々と交流なさったという。
ニュース映像には、駅舎の前で駅についての説明をお聞きになられているような場面もあった。この趣ある駅舎の感想もお聞きしたいものだ。
活用される昭和初期築のレトロ駅舎
待合室は窓口跡こそ改修され昔の面影は無いが、壁に沿って木の造り付けのベンチが巡らされ、窓枠は木製のものに取り替えられた。まさに昔の駅の趣き。
奥の方にはベンチを切り欠き、ピアノが1台置かれていた。街中など公共の場所に置かれ誰でも自由に弾けるストリートピアノ…、駅の場合は駅ビアノというものが流行っているが、こんな地方の小さな駅にまであるとは。誰か弾きに来る人はいるのだろうか?
見上げると、天井は木の枠材と6角形の照明の台座が紡ぐ白い空間。レトロ駅舎という世界に引き込まれていく心地…
ホームには地元の幼稚園児が散歩に来ていて賑やかだ。江北行きの列車が入線すると、歓声が上がったり手を振ったりで大盛り上がり。
列車到着を見計らって来ていたのか、園児たちはいなくなり静けさが戻った。
駅舎ホーム側もレトロな造りだ。
ホームの軒を支える柱は、補強されながらも古びた造りを垣間見せた。
観光案内所に入ってみた。売店も併設され、鹿島市など佐賀県のものを中心とした品ぞろえで、お土産にもいい。近年、地方の主要駅は売店が無くなってしまった駅も多いので、嬉しくもある。後で買い物をしよう。
駅で一献、肥前浜宿の地酒が味わえる「HAMA BAR」
さて、話題の日本酒パー「HAMA BAR」に行ってみよう。駅舎とは別棟だが屋根で繋がっている。
この浜地区や鹿島の酒蔵(さかぐら)で醸造された日本酒が、レールに面した窓の棚にずらりと並べられている。カウンターから列車を眺めながらグラスを傾ければ最高だろう。
アルコールに弱い私だが、地の銘酒をちょっとだけ試してみたくもなる。しかし、自転車で飲酒運転になってしまうので、残念だがそうはいかない。
しかし、ノンアルコール飲料を見てみると、肥前浜の酒蔵幸姫酒造の甘酒があった。美味しく一献。
壁には5本の大吟醸が展示されていた。どれも鹿島市の酒蔵によるお酒で、幸姫酒造、富久千代酒造、光武酒造この浜地区の製品だ。
天皇皇后両陛下のご訪問の際、公務中でその場でお飲みになる事はできなかった。日本酒好きという陛下、公務中の辛い所だが、前日のホテルでは飲まれたようで「これをいただきました。大変おいしかったです。」と、富久千代酒造の鍋島大吟醸を指さされながら仰ったという。
ピアノの調べに包まれて…
車寄せの柱の足元の土台が小洒落ている。
車寄せの内側は白い漆喰でかためられ、丸い照明の台座も付いている。
古い街並みが残る肥前浜宿までは、駅から道なりに約400m。約3㎞の祐徳神社まで足を伸ばす人は、観光案内所でレンタサイクルを借りるのがお勧めだ。
売店でお土産を見ていたら、ピアノの音が聞こえてきた。誰かが待合室のあのピアノを弾いているようだ。
どういう曲か知らない。ただ荘厳で美しい曲が力強く演奏され駅中に響き渡った。のんびりとした小さな木造駅舎は、一瞬にしてコンサートホールのような厳粛で優雅な空間へと一変した。いや、もはや神々しいとすら思う。レトロ駅舎と言うものは見慣れたつもりだったが、こういう駅空間を感じる事ができるとは…。ファサード、待合室の天井、車寄せ…、私に肥前浜駅の味わい深さをもう一度感じさせるように、ピアノの調べは響いた。
ピアノを管理している売店の人によれば、ピアノの先生との事。こんな素晴らしいひと時をくれた演奏者の方々に、拍手の一つでも贈りたかったし、失礼でなければヨーロッパの路上パフォーマーにするように、おひねりを渡したかった。しかし、演奏は途切れず相方の人は動画を撮影しているように見える。あまり変な事をしては迷惑になってしまいそう。心の中でありがとうと言い、ピアノの音色に見送られながら肥前浜駅を後にした。
帰路、肥前浜駅での乗換え。
この後、日本の古い街並みが残る肥前浜宿に立ち寄り、有明海の干潟を眺めつつ、肥前七浦駅や大魚神社の海中鳥居に立ち寄り多良駅まで走った。多良駅から折り返し帰りの途に就いた。
肥前浜‐長崎間が非電化された影響で、肥前鹿島方面への列車の多くは、肥前浜駅で運行が区切られ乗換えが発生するようになった。私が今度乗る列車も肥前浜駅で終点。輪行袋に入れた重い自転車を抱え、跨線橋渡るのも面倒だなぁと思っていた。
肥前浜駅では島式ホームの2番線に到着したが、隣の3番線に江北行きの普通列車が既に停車していた。どうも、乗り換えが発生する場合でも、原則、このように対面で乗り換えできるように配慮されているらしい。
重い自転車を抱えつつ、楽々、隣に停まる列車に乗り移った。
[2024年(令和6年)10月訪問](佐賀県鹿島市)
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- 旧国鉄・JRの三つ星レトロ駅舎