かつての田園風景を伝える田舎の農家のような駅舎
中央本線の長い列車がホームから離れると、駅舎の眺めが開けた。1937年(昭和12年)築の木造駅舎が残るが、こうして眺めると、広がるように増築され使い続けられているのがわかる。
入母屋屋根からは丸太の棟木が三本突き出ている。
外に出て駅舎を眺めた。日野市は何千万もの人が住む首都圏の中の一都市で、駅の利用者や通行人も多い。駅舎を撮影するために人が途切れる一瞬を辛抱強く待った。
日野駅の開業は1890年(明治23年)1月6日。中央東線の起源となる甲武鉄道時代の事だ。
現在の駅舎は1937年(昭和12年)の中央本線複線化の際、現在地に移転してきた時に建てられたものだ。
特徴的なのは何といっても入母屋屋根を持つ古民家風の造りだ。正面に店舗部分が増築されているが、それでも田舎にあるような素朴な民家のような佇まいは健在だ。稲作が盛んだった日野の風土に合わせ、多摩の農家を模した駅舎にしたという。
こんな農家の面影を残した素朴な駅舎が雑然とした現代の街に…、しかも中央本線の駅舎とした残っているのは奇跡と言える。
駅舎からは通路が高架下まで伸びていた。
駅には昔の日野駅の写真がいくつか飾られていた。移転開業当時の記念写真もあり、駅舎を背後に日の丸を掲げ、駅員さん達が並んだ光景が何とも晴れやかだ。
こうして見ると、軒下には店舗こそ設置されたものの、よく開業当時の風情を残していると思う。軒の柱が丸太なのは今と同じだ。
昭和26年の写真では、正面右側の現在の通路に当たる部分に改札口があるのが写り込んでいた。降車用の改札口だろうか…?その背後の高架には、ホームへの階段を覆っていた木の囲いなどの構造物が見える。現在では階段は奥の方だが、昔はそちら側だったのだ。
この時代になると、正面左側の今の店舗と同じ位置に、新聞や雑誌を売る小さな店舗が設置されていた。
高架下への通路の上屋は今でも木だ。丸太の柱や木で組み上げられている屋根が何と味わい深い事か!
駅舎の裏手に回ると、送迎車用の一時停車用の開けたスペースに出た。こうして駅施設を眺めると、色々と工夫して古い駅舎を使っているものと実感させられた。
駅舎側面の軒も丸太で支えられているい。一本一本地面に地に打ち付けられたようにどっしりしている。現代の物に埋もれそうになりながらも存在感は大きい。
駅舎の内部は完全に現代の都市型路線の姿だ。もう少しそれっぽい造りにしてくれてもと思いつつ、でも現代の東京の駅でありながら、外観はあれだけ古民家風の昔の姿を残しつつ使い継いでいるのはやっぱり凄いよなあとも思った。
[2020年(令和2年) 10月訪問](東京都日野市)
~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の三つ星駅舎~