緑豊かな駅前のロータリーの中に…
秋の青春18きっぷ的な「秋の乗り放題パス」で帰路に就きつつ駅巡りをしている時、大正築の洋風駅舎が残ると言う大磯駅で下車してみた。
首都圏を思わす平塚駅までの風景とは一変、海に近いが高台の木々に囲まれた長閑な風景が広がっていた。
周囲を一回りし大磯駅前に戻ってくると、駅舎から少し離れた所にある緑豊かなロータリーが目に入った。すっかり成長した木があるなど緑豊かで、その中にはいくつか石碑があり、由緒ありげな雰囲気を漂わせている。何気に中を覗いてみると…
小さな池があった!円形のシンプルな形状で、水がなみなみと張られていた。藻が浮きホテイ草も添えられ緑豊か。これだけ立派な駅の池なのに、金魚とか魚がいないのが惜しいような…
池の真ん中には土管と突き刺したかのようなオブジェがある。噴水だったのだろうか…
池には大きな石碑の他に、足元位の高さの小さな石碑もあり、「鴫立沢」と標されていた。この庭園風ロータリーの名前だろうか…?鴫立沢は「しきだつさわ」と読む。鴫立沢はこの近くにある海に注ぐ渓流で、平安末期の俳人・西行法師が付近の海岸を
「心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立沢の 秋の夕暮」
と詠んだことで知られている。そして江戸時代に鴫立沢沿いに鴫立庵が建てられたという。
海近くと言っても鴫立沢は林のような風景の部分もある。このロータリーはもしかしたら鴫立沢をイメージして造園されたのかもしれない。
鴫立沢の碑の裏を見てみると、裏側に文字が刻まれているのに気付いた。そこには
「昭和四十年七月否市告天子造園
大磯駅駅員一同□□□完成ス」
と標されていた。
風化していて文脈を考慮しても判然としない部分もある。一行目の「否」と「天」の部分は何となくそう書いてあるかなと思えた程度。二行目の「□□□」は推測さえも難しい。
しかし、私の過去に見てきたものから類推するに
「大磯駅駅員一同でこの庭を造り、昭和40年7月に完成した」
というような事が標されているのだろうと思った。と言うのも、駅の池庭は駅員さんが造園に関わったケースが少なからずあるからだ。例えば関西本線の柘植駅や、佐世保線の有田駅など…
なので、そんな駅の池庭と同様に、この大磯駅の池庭は当時の駅員さんたちが仕事の合間に汗水垂らしながら懸命に作庭し、遂には完成させたのだろう。
最後にやや強引に駅舎と池庭を絡めた一枚を撮影した。
[2020年(令和2年) 10月訪問](神奈川県中郡大磯町)
大磯駅訪問ノート
長閑な環境だが、東京上野ラインや湘南新宿ラインの長大編成の列車が頻繁に行き交う。
駅は1887年(明治20年)7月11日に開業。当初、駅設置の予定は無かったが、医者で政治家でもある松本良順が、海水浴の適地として提案した事により駅が開業。以降、別荘地として発展し、伊藤博文、大隈重信、吉田茂と言った重鎮も別荘を構え、さながら政財界人の奥座敷に。
現在の駅舎は1925年(大正14年)、関東大震災で倒壊した後に再建された三代目駅舎。別荘地として発展した駅のためか、スペイン風のオレンジ瓦が明るく開放的なムードで、正面の明り取りの窓など、洒落た洋風の造りが印象的な木造駅舎だ。
~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の一つ星駅舎~