油須原駅(平成筑豊鉄道・田川線)~復元改修された明治の木造駅舎~



ちょっと昔の油須原駅

 国鉄田川線から第三セクターの平成筑豊鉄道に転換された油須原駅。かつて2回訪れた事がある。

平成筑豊鉄道、2006年木造駅舎改修前の油須原駅

 豊州鉄道として開業した明治28年(1895年)以来の駅舎が残ると聞き、初めて訪れたのは2006年6月。古い木造駅舎にはレトロな丸ポストが良く似合っていた。

平成筑豊鉄道・油須原駅、趣ある木造駅舎だが傷みが進む…(2015年)

 2回目に訪れたのは2015年6月。9年の歳月は古い木造駅舎を、いっそう古色蒼然とさせた。いや…古くなり過ぎで心配になるほどだ。この前に訪れた同じ田川線の崎山駅ほどではないが、つるが絡み外壁や柱もボロボロだった。もしかしたら、今度来る時にこの駅舎は無いかもとさえ思った。

改修され蘇った木造駅舎

 しかし油須原駅の木造駅舎は改修される事になり、2022年2月、工事が完了した。昔の資料は残っていないものの、明治時代の姿をイメージし復元改修に取り組んだという。

平成筑豊鉄道、秋晴れの油須原駅

 11月、東海道山陽新幹線、日豊本線と乗り継ぎ、行橋駅から平成筑豊鉄道に乗換え、油須原駅に到着した。空は気持ちいいほどの秋晴れ。3回目の訪問だが、3度とも快晴。どうやら油須原駅との相性はいいようだ。

平成筑豊鉄道田川線・油須原駅、改修された木造駅舎と国鉄型駅名標

 先行きを心配した木造駅舎は、古き味わいを残しつつすっかりきれいに改修されたもの。復刻された国鉄型駅名標もよく似合う。

油須原駅、千鳥式ホームなど石炭輸送で賑わった国鉄田川線時代を留める構内

 ホームを互い違いに配置した千鳥式のプラットホームと、その真ん中には中線を剥がした痕跡、片隅には側線跡。いち無人駅にしてはかなり広い構内だが、国有鉄道時代は石炭で活況を呈した筑豊の名残をを留めていた。きっと石炭を満載した長大編成の貨物列車が、一日に何度もすれ違ったのだろう亥。

 側線ホームには、腕木式信号機が一本あった。以前は無かったように思うのだが、どこかから移設し保存しているのだろう。

3度目の油須原駅、駅舎の造りとムードを堪能

 駅舎正面に回ってみた。屋根瓦は取り替えられピカピカ。以前はサッシだった窓枠は木のものに取り替えられた。だけど木の外壁は古びたまま。新しくなりながらも、昔からの古さが調和した味わい感じさせる姿に仕上げられた。

 丸ポストは以前と同じ場所に、コンクリートの高い台座にのっかっているのは相変わらずだ。

平成筑豊鉄道油須原駅、レトロなムード溢れる木造駅舎

 軒下に立つと、まさに昔のままの木造駅舎の風情感じる。軒は古いままで、こちらも昔からのものを続けて使っているのだろう。裏側を見ると、碍子や壁を伝うように古い電線が繋がれたままだった。電線はすっかり錆び付きもう使わていない事を物語っていたが…

油須原駅の木造駅舎、軒の古い柱は石炭色に…

 ちょっとした装飾がワンポイントの木の柱は塗装越しにすっかり古びているのがわかる。石炭をイメージしたのか…柱の色は真っ黒だ。

平成筑豊鉄道・油須原駅、駅舎土台コンクリート縁のレンガ

 駅舎の床はコンクリートで塗り固められ、まわりはレンガで縁取られていた。

平成筑豊鉄道・油須原駅、駅舎側面のレトロな「預所」の看板

 改修前には駅舎正面の出入口左側に「預所 自転車 手荷物」の古い看板が掲げられ、油須原駅を象徴的な風景だったもの。改修後の写真では無くなっていて、あんなレトロで味わいあるもの撤去したのかと残念に思っていたが、右側側面に移設されていた。軒下のこの部分は自転車置場として利用されちょうどいい。

待合室

平成筑豊鉄道・油須原駅舎、待合室もレトロな造りを残す

 待合室に入ると
 「うわぁ…」
思わず感嘆のため息を漏らした。古い木が敷かれたままの天井、木枠の窓、昔ながらの形が復元された出札口跡…、古き良き時代の光景が目の前に広がったかの心地。

平成筑豊鉄道・油須原駅、古いままの駅舎窓枠

 駅舎の窓枠台座は古い木のまま。すり減った木の無数の傷が年月を物語る。

平成筑豊鉄道・油須原駅、駅舎待合室の伝言板・拾得物案内板

 待合室には伝言板、拾得物のお知らせ掲示板まで残っていた。私が学生服を着ていた頃までは、こんなモノが地元の駅に残っていたもの。懐かしく何か書きたくなってくる…

平成筑豊鉄道田川線・油須原駅待合室、呉服店のレトロな広告

 片隅には手書きのレトロな駅広告が掲示されていた。

 後に帰宅し、過去の油須原駅の画像を見た限り、この広告は無かったよう。どこか他の駅から持ってきたのだろうか…?

 呉服店は、地方の街を歩いていると今でもよく見る。伊田本局前とは、郵便局か電話局か…?伊田とは昭和57年に田川伊田駅と改称された国鉄の伊田駅あたりの事だろうか?この店は今も健在なのかとGoogleマップで検索してみたら見つけられなかった。やはり時の流れ、無常を感じずにはいられなかった。

油須原駅待合室、レトロな広告下部の古いプレート

 この駅広告で気になったのは、額の下に金属の小さなプレートが取り付けられていた事だ。プレート後半の「…司支部」読めたが、他はほとんど消えとても判読し辛い。

 旧字交じりで
「鐵……司」ん?「…弘…」「…廣告部」かな…?
さらに目を凝らし判読できた文字を繋ぎ合わせ、頭の中で文脈を考えると、恐らく 「鐵道弘済会門司支部廣告部」と書いてあるのだろうと推察できた。

 鉄道弘済会…私の中では、かつてJR・国鉄駅の駅構内で売店のキヨスクを運営していたというイメージだが、1931年(昭和6年)に、鉄道業務で殉職や負傷をした鉄道公傷職員に対する福利厚生を目的に設立された。鉄道弘済会は今でも存続しているが、昔は駅広告の事業も取り扱っていたのだろう。

 左読みというのを考えると、戦後に作られた広告なのだろうが、それにしても支部が門司にあるというのが、かつて九州の入口が門司港駅がある門司だった頃の名残よとしみじみと感じさせた。

レトロな看板たち

 再びホームに出てみた

平成筑豊鉄道・油須原駅、古い国鉄仕様の縦型駅名標

 軒の柱には古い縦型の駅名標が取り付けられたままだった。色あせた毛筆体の看板…、かなり古そうだ。

油須原駅、国鉄のキャンペーン・ディスカバージャパンのポスター

 壁には1970年台の国鉄のキャンペーン「ディスカバージャパン」のポスターが貼られていた。

平成筑豊鉄道・油須原駅の木造駅舎、閉塞器室

 閉塞器室とも呼ばれる駅舎ホーム側の出っ張りも、綺麗に改修されていた。

 周囲には「気象告知板」「通票仮置場」など古い表示があり、中には鉄道資料館なんかで見る赤い道具・通票閉塞器が置かれていた。「通票」とは単線区間の通行証と言えるもので、自動化以前はタブレットなど通票を持つ列車だけが、その区間を通行する事ができた。

 ガラス窓には「次の鉄道作業体験室公開は…」という貼紙がしてあった。月に一回程度、旧事務室が公開され、タブレット取扱いなどかつての駅員さんの作業が体験できるという。昔の駅の仕事を現代の人に伝える…、言うなれば鉄道無形文化遺産だろうか。

輪行の旅、平成筑豊鉄道・油須原駅からDahonK3で…

 思わず長居してしまったが、そろそろ出発しなければいけない。折りたたみ自転車のDahonK3を展開し、惜しみつつ振り返り油須原駅を発った。途中まで田川線を辿りつつ、今日は同じ福岡県内の築上市を目指して走る。

[2022年(令和4年)11月訪問](福岡県田川郡赤村)

レトロ駅舎カテゴリー:
三つ星 JR・旧国鉄の三つ星レトロ駅舎